三吉さま覚え書き

 
 


1. 栗駒町沼倉小都田にある三吉さまは、やはりスサノオさんの可能性がある。

2. つまり三吉さまも、御天王さまかもしれない。

3. その根拠は、民俗学者の宮田登氏が、その著「催事百話」(株ぎょうせい昭和55年刊)の中で「夏祭りとして、知られる祇園、天王、津島、氷川のたぐいはすべて同系列の神社で、古くからの神社信仰に新たに疫神信仰が加わり合流したものが多い。」(p163)との一行からきている。

4. この本によれば、愛知県津島市の津島神社では毎年七月第三土日、津島祭りが行われるが、この神社の祭神はスサノオと牛頭天王であり、近くには天王川という川もある。宵祭りでは、この天王川を花火を背景として五艘の提灯船が華やかに御旅所に向かう。明けて次の日は、朝祭りとなり、市江車も加わり、前夜の提灯船が、飾りつけを能人形に変えてそれに付き従う。市江車には、氏子の若者が乗り、御旅所近くにくると、鉾を頭に載せて、水に飛び込み神社へと走りこむ。その夜には、古伝の御葭(みよし)流しの神事が他見許さずひそかに行われる。この葭とは、草の葦(あし)の異名であり、この葭にもろもろの罪穢れをつけて川に流すのである。

5. 津島祭りの前後は、尾張や三河の各所で茅の輪(牛頭天王にちなむ)くぐりなどの夏の祓いを兼ねた天王祭りが行われる。

6. また海部郡や中島郡では、津島祭りの一週間ほど後に、道路のかたわらに青竹四本を立て、あしやがまの葉を使って祠(ほこら)をつくり、津島神社のお札を受けてきて貼る。これを御御葭さん(おみよしさん)と言う。この時、きゅうりの酢もみを供え、川へ入るのを忌むなどの風習がある。

7. 尾張津島の天王祭りは、狂言「千鳥」に出てくるらしい。

8. この祭りは津島神社の祭礼として500年以上も続いている。起源は南北朝の争いに遡る。南北朝時代に、津島に逃れてきた良王(後醍醐天皇の曾孫:南朝方の親王)を守る津島武士が、北朝方の武士を船遊びに誘い討ち取ったことにちなむ。あるいは、「津島神社の神葭流しの神事をもとにしたもの等諸説ある」出し物は、やはり祇園祭とよく似ている。佐藤

 


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2000.01.10