1 防災の日と関東大震災
今日9月1日は、防災の日である。この日は、あの関東大震災が発生した日を忘れぬようにとの配慮から制定された記念日だ。「天災は忘れた頃にやってくる」という言葉があるように、普段から、災害に対する備えを持つことが何よりも大切だ。
関東大震災は、大正12年(1923)9月1日、午前11時58分に発生した大地震だ。今から85年前のできごとである。震源地は相模湾沖でマグニチュー
ドは7.9。震度は南関東で6程度だったとされるが、死者・行方不明者合計で14万人にも達する被害が出た。関東大震災で特筆されるべきは、地震の揺れよ
りも、その後に発生した火災による被害の拡大だ。時の政府は、あまりの被害の大きさに遷都も考えたほどだったというから、その災害の規模は、今考えても想
像を絶するものだったことがわかる。
2 岩手・宮城内陸地震と日本の防災システム
今年の6月14日午前8時43分、岩手・宮城内陸地震が(以後内陸地震と表記)発生したことは記憶に新しい。この時、NHKテレビでは、週刊ニュースで、
拉致問題を放映中だったが、同時刻、突然「緊急地震速報」が、チャイムと共に流れた。「緊急地震速報です。強い揺れに警戒してください」と二度繰り返し、
それに素早く対応した現場のNHKアナウンサーが、「今、緊急地震速報が出ました。次の地域では強い揺れに警戒してください。岩手、宮城、秋田、山形、青
森、福島、新潟」と続けた。
緊急地震速報は、被災の中心地域では、間に合わなかったが、被災地から70キロから80キロ離れた仙台地域では、速報と揺れまでの間に、時間にして15秒ほどの間隔があり、高いところで作業をしていた人が降りるなど、効果があったことなどが報告されている。
一方、政府は、地震発生後、わずか7分後には、官邸対策室を設置し、迅速に対応した。日本の緊急防災システムが、マニュアル通りに起動した形だ。
3 岩手・宮城内陸地震からの教訓
内陸地震は、マグニチュード7.2、震度6強の直下型地震だった割には、人家への被害が少なかった。その理由は、さまざまに指摘されている。
- 第1に、被災地が、人口の密集した都市部ではなく、山間地域だったこと。
- 第2に、今回の揺れにおいて、地震の規模が大きかったにも関わらず、揺れの周期が長く、「キラーパルス」(揺れの周期が1〜2秒の短さのもの)が少ないため、家屋への被害が少なかったこと。
- 第3に、栗駒の耕英地区や花山地区などが豪雪地帯で、屋根にはトタンが多く、瓦屋根が少ないなどの住宅構造。
- 第
4に、この地域は、地震常襲地帯である。宮城沖地震(1978)や宮城県北部地震(1962・1996・2003、同名の地震が以上3回ある)などの地震
など、ほぼ定期的に起こる地震が、この地の住民の防災意識を高めていたことも上げられる。特に地元では、宮城沖地震に匹敵する地震が、この20年以内に起
こるという「発生確率」(注1)は90%、30年以内には99%という「政府地震調査研究推進本部」の発表が、浸透している。
- 第5に、行政の対応も、政府も含めて、素早かったことが上がられる。東京消防庁のハイパーレスキュー隊(消防救助機動部隊)の現場到着や自衛隊の活動も素早かった。
その後、災害地では流れ出した土砂による堰止めダムの氾濫が危惧されたが、花山地区においても、岩手の市野の野地区でも、懸命の水抜き作業が功を奏し、堰き止めダムの決壊による被害が出なかったのは不幸中の幸いだった。
一方、その後防災上の問題点や反省材料も多く散見される。
- 第1に今回の災害が栗駒山南麓の山間地だったこともあり、道路やライフラインの復旧が遅れていること。
- 第
2に避難所の避難所生活の質を、向上させるための工夫がいると思われる。それは一つはパテ−ションによる間仕切りでプライバシーの確保。安眠特別室。周囲
のノイズを低減するヘッドフォンシステムの採用、心理療法士などによるPTSD(心的外傷後ストレス障害)の防止の対策などだ。
- 第3に、災害の日(6月14日)から、仮設住宅入居(7月11日)までの時間の問題だ。「避難所生活→仮設住宅建設→入居」までの時間が掛かり過ぎで、これをもっとスムーズに出来るシステムの確立が必要だ。
- 第4に行政による、復旧情報の一元化と生活支援制度の即応体制の確立が必要に思われる。
- 第5に、耕英地区では、携帯電話の電波が弱いという緊急時の情報通信上大きな弱点がある。栗駒山は、国立公園で、春夏秋と登山者も多い。そんな中で、携帯電話による通信の確保は、人の命に関わる重大な問題だけに、災害救助のためにも、アンテナ網の拡充が必要だろう。
地震当日、駒ノ湯温泉で救助された経営者の次男菅原昭夫氏(53)が、携帯メールや電話で安否を知らせたエピソードが、6月15日の読売新聞に掲載されて
いる。しかしこの情報を精査してみると、駒ノ湯温泉の位置は、沢の低い位置にあり、携帯が時に繋がったり、繋がらなかったりする電波の弱い地域だけに、携
帯電話がスムーズに繋がず、仕方なくメールを打った可能性も否定できない。もしスムーズに繋がっていれば、駒ノ湯の救助も、もっと迅速にできたかもしれな
い。
このことは日本全国の山間地や登山者の多い山岳地帯全体に言える問題だと思う。政府は速やかに、携帯電波網の弱い地域を特定し、直ちにアンテナ網の整備をすることが急務だろう。
4 備えあれば憂いなし 井戸水の確保
防災の日、日本国中の人が、教訓にすべきは、地震を含む災害というものは、いつ何時自分の身に降りかかるか分からないということだ。
栗駒地区耕英の住民も、宮城は地震の多発地帯だから注意しなければ、とは思っていても、自分の住む地域を活断層が走っているとは考えていなかった。
要するに、これほど、地震予知と活断層の研究が進んでいる日本で、栗駒山の南麓を活断層が走っているという研究はなかった。これは昨年7月中越地震が起
こって、はじめて活断層の上に原発(柏崎刈羽原発)を造ってしまっていたことを知らされた例でも分かる。残念だが、人間の科学は、未だ限定的で不完全なも
のということだ。つまり私たちは、自分の居住地を、いつ何時、岩手・宮城内陸地震(2007)や阪神・淡路大震災(1995)のような大地震が襲ってくる
か分からないと考えるべきかもしれない。
昔から、”備えあれば憂いなし”という言葉がある。特に、大地震が来ると予測されている地域に住む人は、一度震災が発生すれば、ライフラインは簡単に復旧しないということを考えて置くべきだと思う。そこで、最後に、ふたつのことを提案した。ひとつは政府に対してである。
憲法上自衛隊には、さまざまな問題があり、制約事項も多いのは承知しているが、自衛隊のあるセクションに災害救助に特化した部隊を編成したらどうだろう。
東京消防庁のハイパーレスキュー隊(消防救助機動部隊)を、すべての面で、グレードアップした部隊にする。もちろんそうなると、装備も当然別のものにな
る。新しく開発することも必要だろう。超高層ビルへの対応も、今後必要になる。
部隊は名称も、軍隊とは別のものにし、この部隊をもって、国際貢献も容易になる。つまり日本国内の災害に対する備えだけではなく、各国の災害救助支援活動に積極的に参加することにより、日本への信頼感は、間違いなく高まるはずである。
もうひとつは、一般庶民に対しての提案である。それは井戸を掘るということだ。特に昔、井戸水を使っていた家では、是非復活して欲しい。今回の内陸地震で
感じたことだが、現在の日本人の生活は、電気、水道、ガス、の恩恵で生活しているところがある。その中でも、水道は大きい。便所の処理も下水道でなされる
ようになった。要は水道が流れなくなると、市民生活が出来なくなるのである。
昔は、どこの家にも、井戸というものがあった。田舎だけではなく、東京の家にも、必ず井戸があった。しかし今は田舎も都会も同じように、井戸が忘れ去られ
ている。これを復活し、手で汲み上げるポンプを付けて置くと、イザという時には、地域全体のオアシスになるであろう。保健所に毎年検査してもらうことも慣
れれば大したことではない。是非井戸の復活を推奨したい。