封内風土記

五串邑

戸口は凡そ三百四十九。山谷、本寺と号す地有り。
○神社凡そ九。
稲荷社。伝に曰く、後奈良帝の天文六年に勧請。
三嶽権現社。何時勧請か詳びやかならず。
八幡宮。同上。
若子宮。同上。祭る所は吾勝大明神。本寺と号す地に在り。或いは曰く、吾勝尊、小碓尊の二皇子を祭るをもって、二子の宮と称す。また若宮と称す。
宇南権現社。同上。
神明社。伝に曰く、霊元帝の天和中に勧請。
熊野神社。同上。
牛頭天王社。何時勧請か詳びやかならず。
山王窟。伝に曰く、仁明帝の嘉祥三年に慈覚大師の勧請。土人これを称して、厳宮(いつくし)大明神山王山と云う。あるいは麗美宮(いつくしのみや)と云う。
○仏宇一。
観音堂。伝に曰く、後西帝の明暦中に創建。
○石不動。不動の梵字を大石に彫る。不動石と号す。何時これを立つるか詳びやかならず。

○大日石大小二個。大石、高さ十丈ばかり。囲い二十丈ばかり。小石高さ、三丈ばかり。広さ八丈ばかり。厚さ三丈と五尺ばかり。

○寺一。

珍澤山長慶寺。曹洞宗。江刺郡黒石寺邑の正法寺の末寺。後柏原帝の永正中に正法寺第七世良椿和尚開山。伝に曰く、平氏の人これを造立す。何人か詳びやかならず。
倉りん(米穀を蓄える倉のこと)一。雑穀。
○旧跡凡そ十七。
須川嶽。駒形嶽。北方本邑に属し、須川嶽と号す。あるいは清輪(すかわ)を作る。
須川温泉。嶽の中に在り。上弁、頭痛、目眩、眼疾、金創(刀傷のこと)、疝気(せんき)婦人血症を治す。且つ子の無い女の懐妊に使うなり。清和帝の貞観十五年六月に温泉の神従五位の下を授かる。
二個石(ふたついし)仙北域に在り。その一。高さ五尺ばかり。広さ七尺ばかり。厚さ五尺ばかり。その二。高さ五尺ばかり。広さ一丈ばかり。厚さ七尺。
一個石。仙北城に在り。高さ二丈ばかり。四方各二尺ばかり。上の浄土の北嶺に在り。土俗五百羅漢石と号す。高さ三尺ばかり乃至一丈五尺ばかりの石。数百相並ぶ。
胎内くぐり石。高さ二丈ばかり。その中に穴有り。人皆これをくぐる。
八万地獄。澤中にて四方大小の石が相連なる。
鬼石。高さ一丈五尺ばかり。囲み一丈六尺ばかり。
釜石。雄雌二個有り。石の高さ一丈六尺ばかり。囲み一六丈ばかり。雌石は石の高さ一丈六尺ばかり。囲み一四丈ばかり。
剣山。尖り石相連なる。仙北の剣嶽と号す。死出の山。小峯なり。
白州峠。硫黄を産す。柏の森。仙北の松原峠と号す。
薊禿(あざみはげ)。仙北の木賊山と号す。
本寺。伝えて曰く。慈覚大師の白骨の首を葬りもっての故にその処を骨寺と称す。古き昔、文字を骨寺と書く。
坂芝山。磐井皮辺に在り。古塚有り。高さ八尺。方二間余り。これ自覚大師の首を葬る地なり。土人曰く、口中疾ある者これを祈れば、すなわち癒す。
平泉野。方五町ばかり。中に方一町ばかり卑地有り。伝に曰く、これすなわち古き昔の平泉出る所の地なり。今の平泉の本元にて、この地より、今の地に移る。
また白山社の遺址在り。伝に曰く、慈覚大師この地より白山社を中尊寺に移す。
○古寺跡凡そ三。その一、骨寺。その二、栗駒山法遍寺と号す。その三、大日山中尊寺と号す。今の中尊寺この地よりこれを移す。
川凡そ四。磐井川。北岸が本邑に属す。
穢多川。源は須川嶽、剣山の澤より出て磐井川に会う。
三津川。源は、須川の大日嶽の澤より出て磐井川に会う。
滑川(なめりかわ)照井堰の支流にして磐井川に会う。
○水凡そ二。
磐井渤化(ぼっか)。磐井川の源なり。
判官水。大石高さ四丈ばかり。囲い一丈三尺ばかり。その上の平らな所に穴が有り。周は一尺ばかりにして水有り。伝に曰く、古き昔、源義経これを飲むと。
○沼凡そ二。土俗これを夫婦沼と号す。夫沼は長さ八間ばかり。横は五間ばかり。妻沼同上。

○瀑布凡そ四。

京田瀑布。高さ一丈。濶(かつ:広さ)三間余り。
惜(あたら)瀑布。高さ二丈余り。濶三間余り。名跡志に曰く。旧説に伝えて云う。
碎(たまく)瀑布。直下二丈余り。広さ六尺ばかり。翠濤(すいど:みどりの波が立つ様)の巉岩(ざんがん:険しい岩)を分かち。白練は青山に界す。壮観たるに到る。今、これを郷人問えば、その地詳びやかならず。旧説の伝える所には、この瀑布を指すにや。
大瀑布。高さ一丈。濶二間余り。
玉瀑布。あるいは小松瀑布と号す。高さ八尺。濶二間余り。
○古塁凡そ四。
その一。伝に云う、葛西家臣、増澤八郎右衛門(諱伝わらず)。居す所。本氏は佐藤称す。
その二。何人居す所か、詳びやかならず。
その三。本寺と号す地に在り。本寺十郎左衛門(諱伝わらず)居す所。本氏は佐藤と称す。
その四。所在は同上(に在り)。何人居す所か、詳びやかならず。

 
 

底本 仙台叢書 田辺希文撰。封内風土記 第三巻より (原典は漢文。読み下し佐藤弘弥)


HOME

2003.3.30 Hsato