潤いの消えた平泉




潤いという言葉がある。湿り気といってもいい。朝露に濡れた蓮の葉の中心に真珠の玉のように集まる水のことだ。芭蕉が夏草やと詠んだ柳の御所には、もう二十年近く、この潤いと湿り気がない。そのために、毎年美しく咲いていた樹齢百年のしだれ桜は枯れてしまった。

この地を、バイパスを通したいというので、掘ってみたら、平泉の政庁跡と思われる遺跡が出てきた。そのために、バイパス計画は、再検討されて、コースがずれた。しかし発掘という潤いを奪う別の自然破壊が二十年続いて、環境は最悪となった。

その間に、平泉は世界遺産候補となったが、おそらくこの潤いを奪う工事も悪役を果たして、平泉は2008年の今年、世界遺産に登録されることはなかっ た。もしも今のしだれ桜近辺の環境悪化の現状を承知の上で、イコモスが平泉を世界遺産としてユネスコ委員会に推薦したならば、イコモスそのものの見識が問 われたはずだ。

平泉が世界遺産にならなくて良かったというのは言い過ぎだが、今の現状に対する正しい認識なしに、潤いの消えた平泉が世界遺産になることは、あり得な い。いやあってはならない恥ずかしいことだ。今のままでは、三年後の世界遺産再挑戦も難しのではないかと思う。
(佐藤弘弥08年10月7日 記)

荒れ果てし柳の御所の一隅に惜しまれ消ゆる桜木あはれ
伐れゐて愛のカケラもなきままにうち捨てられし桜愛ほし

資料映像 柳の御所のしだれ桜伐採スライドショー

2009/10/7 佐藤弘弥