武士エートス

 

ギリシャに、エートスethos】という言葉 がある。

広辞苑によれば、エートスと は「人間の持続的な性格の面を意味する語」。また「ある民族や社会集団にゆきわたっている道徳的な慣習・雰囲気」のことを意味する、とある。簡単に言え ば、道徳心と言っても良いであろう。

政治思想史の故丸山真男東京 大学名誉教授が、1965年「武士のエートスとその展開」という講義をしたことがある。それがこのほど活字となった。(「丸山真男講義録」【5冊】東京大 学出版会1999年)このエートスは、精神とか魂という訳し方もできるので、丸山が自分の講義のタイトルに「武士の精神」とか「武士の魂」という講義では なく、「武士のエートス」というギリシャ語のタイトルを附した意味は、日本人の中で深く精神性として存在し続けているであろう文字通り「武士の精神性」に ついて論じようとしたためであることは明白である。

丸山が「武士のエートス」と 言う場合、「エートス」とは、武士が武士らしくあるための慣習であったり、心のあり方そのものを指す文化としての精神のことである。ギリシャ語には、エー トスと対比される言葉にパトスというものがある。 パトスとは、持続的な精 神のあり方を意味するエートスに対して、ある出来事に対して即時的に対処する感情や情感のことである。しかもそれは一瞬のうちに何ものかを生み出す契機と もなりうる激情を内包している心のあり方である。

思うに、昨今の日本の若者が 「切れる」というのは、このエートスの価値観を失いつつあり、むやみにパトス的な感情ばかりが先走る結果ではないかと思うようになった。つまり日本人の若 者の中で「エートスとパトスのバランス」が崩れかけているのである。

その症状の処方箋とは何か? それは歴史を真摯に学ぶこと以外にない。いきなり「武士のエートス」を復帰させればいいかと言った所で、もちろん現代において武士などいない。誰かが「あ の男は武士だね」とか「サムライだね」という言葉を用いる時もあるが、それはおそらく「恩義に厚く」「自己犠牲の精神を持ち」「いさぎが良く」「良く恥を 知り」「弱き者を助け」「一族を大切にし」といった 心の持ち主を褒め称え ようとして使っている時である。

日本という国は、この狭い島 国の中で、永い時を越えて「武士のエートス」というものを一種の「誇り」として使ってきた。「武士のエートス」とは西洋における「騎士のエートス」と同じ ように封建領主に仕える者の精神の拠り所であった。

人というものは、自分の中に 何かしらの「誇り」がなければ生きていけない生き物である。人間と動物の大きな精神の違いと言えば、誇りのために死をも厭わないという一点にさえあると思 う。したがって「武士のエートス」は、日本人の精神の奥にある道徳的規範という解釈もできるはずだ。

最近の日本はともすれば、この「武士のエートス」が稀薄になりすぎて、日本人の心の根本にあった「恥」や「誇り」に対する感覚がどうも麻痺している ように感じる。もしかすると現代の日本人の心の中では「サラリーマンのエートス」のようなものが形成されつつあるのかもしれないが、はっきり言って私は” まっぴらごめん”である。「日本人のエートス」とは何か?もう少し、歴史を思い起こしてみる必要があると思うのだが・・・。


1999.12.