2004年新春五十嵐敬喜教授インタビュー

平泉の景観を守ることの意味

民主主義は美の都を再興できるか

衣川河口付近の護岸工事による景観変化

衣川河口付近の護岸工事
(2003年12月30日佐藤撮影)




 
2003年夏、五十嵐教授は、ヨーロッパの各都市を周遊されて、ヨーロッパの現代都市がどのような状況にあるかをつぶさに観て来られた。今、ヨーロッパ は、超国家EUへと統合されようとしている。驚くべき事に、統合の最高規範であるEU憲法(注)には、「神の概念」がその前文に盛り込まれようとしている。賛否は交錯している。しかしEU加盟各国は、それ ぞれの国でこの問題を堂々と論議をし、国民投票にかけようとしている国すらある。このオープンなEU憲法議論に、教授は、「ヨーロッパの民主主義の 深まりを観た」とはっきりと言われた。 

翻って、現代の日本を観る。政教分離の幻想がある種のタブーとなり、憲法論議すらままならない情況にある。そして平泉の景観破壊の 現状を見る。最近、教授の都市論の研究テーマは、「民主主義は美を作り出せる か?!」、この一点に絞られてきた。このヨーロッパ諸国の都市とのあまりの景観のギャップは、何故生まれたのか。10年前、日本初の美の景観条例として成 立した 神奈川県真鶴町の「景観条例」の発案者でもある五十嵐教授に、気になっている平泉の現在と未来を聞いた。 

「平泉の景観をどうすれば良いのか。」 
「国の市町村合併政策によって、平泉という地名が消えようとしているが、これで良いのか。」等々。 

すると五十嵐教授は、「平泉という地域の景観は、日本人の心の故郷そのもの。これを消すようでは駄目。」と言われた。 日本全体が何となく合併やむなしの流れとなって進んでいる。教授は、合併の意味が議論されないままで、「何となく」ムードで進む合併に警鐘を鳴らされてい るのだ。

この五十嵐教授の最新インタビューの中に、日本の都市再生のヒントがある。教授は、はっきりと、「美とは創り上げるも の。民主主義で美の都市は創れる。今こそ日本人のアイデンティティが試されている」と明言された。 

また最後に、平泉の市民に向け、「美しい都市とは、ヨーロッパでも、一万以下の小都市です。その理由は、市民による自治の精神が都 市の隅々まで行き届いているからです。平泉は世界に冠たる平和都市です。もっと自信を持ってください」とエールを送くられた。教授が投げたボールを平泉の 市民はどう受け止めるか。そこに平泉の未来がかかっている。 

2004年1月14日 

佐藤弘弥

五十嵐敬喜教授プロフィール


 平泉の景観は満身創痍

Q1 先生、昨秋、ヨーロッパの都市を視察されてきたというこ とでしたが、どちらの方を回られたのですか。

A ベルギーで「EU」憲法を学ぶというのが主ですが、そのほ かにストックフォルム、スイス、ドイツのハンブルグとベルリンなどを回ってきました。

<参考> 2003.9.1-9.11/五十嵐敬喜教授主宰の「市民の憲法研究会」EU視察団のあらまし http://www.kenpou.com/EU1.htm


Q2 先生、日本人の考える美というものと西洋人の考える美というも のについて、かなり違うと思うのですが、その点、お聞かせください。

  日本では、たとえば「ワビ」「サビ」とかを美の極地と考えます。しかし、それは、能とか茶道などの一部で生きているだけであり、都市全体に広がらない。 もっといえば市民の生き方の中核となっていない。しかしヨーロッパを見ていて感じるのは、美は明確に市民が創るものと合意されている、ということです。し かも長い年月をかけて営々と創っていく。それはものすごい蓄積があります。例えば教会だって、宮殿だって、市庁舎だって、素晴らしい。言葉が要らない。 もっとすごいのは、市民はこれら過去の遺産にプライドを持ち、自分の生活をこれにあわしていく、ということです。日本はまさにその反対になってしまった。 自分の今の生活、欲望にあわせて、過去からの遺産を取り壊していく。これは決定的な違いだね。残念だけど。
 
 

Q3 先生、昨秋、ヨーロッパで感じたことを踏まえて、 2003年暮れの平泉の景観を見た感想を、 お聞かせください。

A これ衣川の河口の辺りですか。これテトラポッドだよね。何か満身創痍、という感じだな。テトラポッドっ て、ヨーロッパでは見たこともないな。何か日本独特な、とても奇妙な代物ですね。テトラポッド(tetrapod)は、正確に言うと、「波消しコンクリー ト」の商標名ですが、何故、日本だけそれが必要かというと、波によって海岸・砂丘あるいは堤防などが侵食されると困る、というわけです。しかしなぜ困るか というと、実は川の上流に「ダム」があり、川は砂を運ばない。そうすると大井川の河口のように砂浜・台地がなくなってしまう。そこで波が来ないようにとい うわけですが、その結果、魚の卵を産む場所、藻場を失ってしまう、というような結果になってしまう。国土交通省はこのテトラポッドの張本人でした。さすが に最近は、これではいかにもまずいと思ったのか、「これは醜悪な景観の最大元凶だ」というようなことをはっきり言うようになった。しかし本当に反省してい るのかどうか、この川を見るとわかる。なんとこの川ではいまだにテトラポッドを使って工事に驀進中だ。実に情けない。というよりそれを通り越して漫画チッ クだ。

こういうのを見ると、日本人と西洋人の人生の楽しみ方というものが根本的に異なっている、ということがわか る。日本では、景観よりも、土地。土地と家。家も金も自動車もという具合にどんどん膨らんでいく。際限がない。ヨーロッパではそこに住んでいることが価値 なんだ。それは金には換えられない、かけえがいのない価値なんだ。これがなければ生きていけない。その根本的なところが違っている。最も、元から違ってい るという訳ではなく、日本でもかつてはそのようなものがあったが、ここ何十年かのうちに、このようになってしまった。今の日本は虚偽の世界を漂っている。
 
 

弁財天池の中島に浮かぶ中尊寺弁財天堂
(2003年12月30日 佐藤撮影)

注【EU憲法(草案)】。元フランス大統領ジスカール・デスタン委員長率いる約100名 のスタッフからなるコンベンションが16ヶ月かけて作成したもの。2003年6月、ギリシャのテッサロニキで欧州連合(EU)首脳会議が開催され、加入諸 国のアイデンティティを確立するために神の規定を盛り込んだ同草案が承認された。EUは、2003年5月をメドに調印を目指すとしている。尚、現在、EU 現在15か国であるが、2004年度には、東欧諸国など10カ国が加わり、加入国25カ国体制になる見込み。そうなるとEUは、共通通貨ユーロを持ち、人 口四億五千万人で世界第三位、総生産は米国と肩を並べる規模となる。

 

美しい景観に鈍感になった戦後の日本人

Q4 衣川は周知のように古来から歌枕でも盛んに詠まれた景勝 地です。 西行法師も、まず平泉に来て行ったのは、冬の衣川の岸辺にあったという松ヶ根を探しに行った位の場所でした。往時は、金色堂は、現在のような覆い堂(鞘 堂)もなく、きらきらと眩しく輝いていたと思います。しかし西行法師は、平泉の新しい空間を詠まずに、束稲山の桜と衣川の松ヶ根を詠んだんですね。
 

A これは、中尊寺境内ですか。(北坂といって衣川の岸辺の付 近から中尊寺に向かう古道です。)まったく違う景観ですね。やはり僧侶によって営々と守られている場所は、違いますね。それなりに美が守ら れている。でも「点」だけでは真実ではない。平泉の歴史的景観は、このような点を起点にして衣川の岸辺を含むあらゆる所に行き届いていた。ここはおよそ人 口20万人にも達せんとする一大宗教都市、しかも平和を希求する美しい都市であった。その全体が復元され守られなければならない。

今回ブリュッセルにある、世界遺産に指定された「王様の広場」に行ってきたが、そこだけを見れば範囲としては 小さいけれども、ここが基点となってブリュッセル(注)の都市全体を 規定している。それは濃密で実に文化的な都市空間を造っている。ほらこの写真見て見なさい。美しい。何か夢のようでしょう。
 

ここで少し、悲観的な状況を付け加えておきたい。それは日本の将来を担う学生のことについてです。学生は、こ の日本の景観のなかで、ずっと小さい頃から、生活し見慣れてきた。だから空中の電線も、テトラポッドも、水の流れない川も、やせた杉林も、なんら不思議と 思わない。

僕らの子供の頃は、確かに敗戦によって、経済的にはものすごく貧しかった。しかし田舎では爆撃も受けなかった し、農薬などというのもなかったから、自然はうんと豊かだった。生き生きとしていた。川に行けば鯉やどじょうなどいくらでも魚が取れた。春にはいっせいに 草花が芽吹くものだったし、夏はほんとに暑かった。秋は山鳥や山菜が取れ、冬にはほんとにたくさん雪が降った。四季というものがはっきりしていた。ところ が昭和30年頃からこれが一変してしまう。田舎にも道路が走り、ダムが作られ、耕地整理が進み、自動車が増えてきた。その代わり、川や山、あるいは鎮守の 森というようなものが消え、食べ物も地元のものでなくなった。そしてどこの町にも同じような建物が建ち、個性や文化が消えた。

今の学生だと、1980年代生まれだ。彼らにとってはかっての自然や四季、あるいは文化、行事といったものは 見たことはもちろん、だんだん聞くことすらなくなってきた。今日常で見ている風景が原風景だ。この間、授業で、学生に、「国土交通省が『美しい国づくり政 策大綱』で、醜悪なものとして、電線ね。ヨーロッパには、見あたらないでしょう。ふたつ目は、テトラポッド。それからみっつ目は看板をあげている。新幹線 に乗っていても、田んぼの真ん中にある。あるいは神田なんかに行くと、ありとあらゆるところに山のように看板があふれている。これをどう思うか」と、学生 に聞いてみた。

そしたら、醜いと思うものとそうでないと思う人がちょうど半分半分だった。「電線もカラスなんかが留まってい ていいんじゃないの」なんていうわけですよ。テトラポッドは、「釣りをやる時には、良い釣り場になるし良いんじゃないですか」という。彼らの目には、醜い ものと映っていない。私から言うと、高度経済成長以後、長い悪夢を見ているような気がするんだけれども、今の子供たちにとっては、戦後の日本の風景の変化 そのものが、真実だ。つまり彼らにとって、テトラポッドも電線もみんな当たり前の風景になっている。あることが当然になっている。だから何も問題を感じな い。これはほとんど絶望的な状況ですよ。実際のところこれでは、市民側だけでなく国土交通省ですらお手上げだろう。

それでゼミの合宿などで、できるだけ美しい所に連れて行くんだけれど、結局過去に造られた遺産としか見ていな い。自分のものにならない。僕らだと歴史として、平泉を見る。清衡さんが居て、基衡さんが居て、秀衡さんが居て、義経が居て、弁慶が居て、西行さんが居 て、それが滅ぼされて、ずっとあって芭蕉さんが来て、奥州という素晴らしく美しいものに滅びの美のようなものを見たことを知る。そんな一連の文化の連鎖が あって、それが世界遺産になると考える。したがって金色堂だけでなく、平泉の安置全体がこの歴史を語りうる、たたずまいや品格を持たなければならず、その 一端を現代の私たち市民が担い、さらに子孫に引き継ぐという形で、主役とならなければならない。ところが学生たちと話していると、何かね、受験じゃないん だけれども、歴史を○×で考えていて、そこには物語というか想像力が欠けている。従って歴史を引き継ぎ、美を守るあるいは作る自分というのも登場しない。 美しい景観を感じとる目がない日本人がどんどんと出てきている。これは問題ですよ。

政治のレベルで見ると実は自民党や民主党に大きな変化が生まれようとしている。大人たちはこれまで経済成長一 点張りで走ってきた日本についてこれでよいのか、と疑い始めた。確かに経済成長によって日本は豊かになったが何か大事なものを失った。バブルがはじけ、こ れだけ不況が続くと、なおさらこの失ったものの大切が思い出されてくる。私はやがて「景観論争」が、憲法論として浮上してくる、と思っています。国交省が 「景観」に配慮するということを言い始めたのはその魁と見てよいでしょう。今まさに歴史がどっちに振れるかのターニングポイントに日本が差し掛かっている のです。

考えて見れば、僕らの世代は、戦後に生まれて、平和憲法やら民主主義とか平和とか人権の思想やら学んできたは ずなのに、何でこんなになってしまったのか。僕らの世代の責任なんですよ。それを感じます。平泉に関しては、昨年書いた論文「平泉に平和の思想を視る」の 中の「平和都市」や「水の都」(苑池都市)の概 念などで、平泉の都市論の議論を深めたいと思っています。

注【ブリュッセル】ベルギー王国の首都。人口は95万4400人(1999)。センヌ川沿 いにある交通の要地。王宮、ゴシックの市庁舎、大学(1834年創立)、サン・ミシュエル大聖堂がある。町の中心にある大広場(グラン・プラース)が 1998年世界文化遺産に登録される。美しい町並みと毛織物製造で知られる古都。EU 本部、NATO事務局がある。

参考サイト
http://www.ne.jp/asahi/yume/dreams/main/Photo_brussels_days.htm(『「夢・ dreamsギャラリー」へようこそ』より)
http://www.belgium-travel.jp/destination/sites/brussels/brussels_1.htm(「ブ リュッセル〜主な見どころ」より)


 

平泉バイパス工事による高館の景観の破壊
(2003年12月30日佐藤撮影)


美しい景観を問い直す

Q5 そこで先生、クリスト ファー・アレグザンダー(注)の「美」の価値観で、 持って、平泉を観た場合どんなことになるのか。お伺いしたいと思います。
 

A 彼を連れて行けば一番いいでしょうね。おそらく彼は頭を抱えてうずくまってしまうんじゃないですか。崩れ 落ちると思いますよ。彼は「市民がいるじゃないか。何とかしなくちゃ」というかもしれません。しかし実際は、平泉には肝心の市民がいない。いても多分もの すごく少数で影響力を持たない。だから希望がない。

アメリカ人から言えば、これは信じがたいことでしょう。アメリカやヨーロッパでは、市民はもっと元気だし、行 動的だ。アメリカ人は時に戦争もするけれども、一方では政府の方針に反対して、何十万人もの人がデモをして大抗議を展開したりする。選挙でも、アフガン・ イラク戦争であれだけの支持を集めながら、今度大統領選挙になるとブッシュが危ないというような事態も起こるわけですよ。それが健全な民主主義社会なんで す。

日本の場合は戦後60年、ひとつの政党によって政権が担われてきた。本質的には一度も変わらないという不思議 な国ですよ。安易が問題なのでしょうか。日本は法治国家です。自民党は選挙で勝ってきた。つまり市民が支持してきたということです。ですから私は一番の問 題は「市民論」ではないかと思うんですよ。何故市民は自民党を支持するか。これには幾つかの問題があると思いますがね。まずいくらやっても変わらない。変 えきれない、というようなこともあるでしょうし、市民がまだ封建的な意識を抱えているかもしれません。それから景観などの諸々の文化的な価値よりも即物的 にお金というものに価値を見出しているところもありますかね。拝金主義ということになりますか。しかし、私は今の日本で一番心配なのは安心して死ねないと いうことだと思うんですね。日本ではお金がないと老後が心配です。スウェーデンにエーランド(注)という島があり、自然が手が付けられずに素晴らしい景観を保っ ている。「何で、こんなにゆったりと時が流れるのだろう」としみじみ思いました。しかも市民は、そこを単なる文化遺産として大事にしているというのではな く、キャンプなどに来て、大自然の中の生活を楽しんでいるんだよね。あくせくしない。それは最終的には、国や家族や地域が、自分の老後を見てくれるからで す。日本という国は、そこが何となく不安だから、何でも自分で蓄積しておかないと気が済まない、それがあわただしい生活を強いる。
 

注【クリストファー・アレグザンダー】
1936年、ウィーンに生まれる。英国のケンブリッジ大学で、数学(1956)と建築学(1958)を学んだ後、1963年、ハーバード大学Ph.D(博 士課程)修了。「都市はツリーではない」「形の合成に関するノート」などの著作を次々よ発表し、建築理論家として名を馳せる。一方、1967年に環境構造 センターを設立、数々の建築プロジェクトを手がけ、一躍「ポストモダン建築の旗手」として脚光を浴びる。1977年には、それまでの研究成果をまとめた著 書「パタン・ランゲージ」を著し、全く新たな建築理論を提出、建築パラダイムの再構築を図る。主な参加プロジェクトには、「オレゴン大学のマスター・プラ ン」、「モデスト・クリニック」、「メキシカリ実験住宅」「リンツ。カフェ」などがある。また1984年には、埼玉県の東 野高校を建設、彼の主張する「名づけえぬ質」(The Quality)の実現された建築物として高い評価を受ける。現在、カリ フォルニア大学バークレー校環境デザイン学部建築学科教授。
(スティーブン。グラボー著「クリストファー・アレグザンダー」 工作舎1989年刊より)


◎クリストファー・アレグザンダーの著作として、日本語訳されたものとしては、先の「パタン・ランゲージ」(平田翰那訳  鹿島出版社1984年)の他、「まちづくりの新しい理論」(難波和彦訳 鹿島出版会 1989刊)、「パタンランゲージによる住宅の建設」(中埜博監訳  鹿島出版会 1991刊)、「時を越えた建設の道」(平田翰那訳 鹿島出版社1993年)などがある。

【クリストファー・アレグサンダーの略歴】(佐藤が「パターン・ランゲージ・コム」の記事より編集)
●クリストファー・アレグサンダーは、1936年ウィーン(オーストリア)で生まれた。その後、英国のケンブリッジ大学で学び、数学、建築学を学び、学士 号、修士号を得る。1958年にアメリカに渡り、ハーバード大学で、建築学で博士号を受ける。1963年から、カリフォルニア大学バークレー校の建築科で 教鞭を取り、現在同大大学院の名誉教授の要職にある。

アレグサンダーは、世界5大陸で、200以上の建物を設計建設した。これらの建物の多くは、建築の新形式の基礎を築いたといわれている。彼 は1967年、「環境構造センター」の創立者となり、現在でもその会社の社長の地位にある。2000年には、非営利の教育財団「パターン・ランゲージ・コ ム」(PatternLanguage.com)を立ち 上げ、会長職に就く。彼は世界中の都市で、コンサルタントを行い、企業、政府系機関、建築家、計画者たちに彼独特の建築理論に基づいき、適切な助言を行っ てきた。そして彼は、1996年、アメリカ芸術科学アカデミー(スウェーデンの英国学士院と友好関係にある)の会員に選出されている。1970年に、アメ リカ建築家協会金賞など、数々の建築賞を受賞し、現在に至る。

参考「パターン・ランゲージ・コム」-http://www.patternlanguage.com/

注【エーランド】スウェーデンのエーランド島。エーランド島は、「太陽と風の土地」と称される農業と観光 の美しい島である。島には石器時代からの農業の跡など15の遺跡が点在する。まるで時が止まったかのような錯覚さえするほどに、のどかな田園風景が海伝い に拡がっている。一方では、風力発電(風車)、有機農法などエ コロジーアイランドとしても有名である。2000年、南部ののどかな農業景観が評価され文化遺産としてユネスコ世界遺産に登録された。
 
 

エーランド島ののどかな景観

スウェーデン・エーランド島ののどかな景観
(2003年夏 五十嵐敬喜撮影)


ヨーロッパでは、美しい町は、小さい町のこと

Q6 先生、平泉が合併問題で揺れているのですが、そのことを どのように思 われますか。

A 町長が、一関市のグループとの合併を指向し、議会の連中が衣川村とまず一緒になるべきだというアレです ね。

Q そうです。僕は、財政難の国が期限を合併させようとしてい る流れに翻弄 されている気がして、さっきの市民の自立や自治体としての収支の合わせを、経営と考えて自分たちで、工夫してやるという気構えが、まず大切だと思うんです ね。ヨーロッパでは、人口が7、8千という平泉より小さな町で、美しい町というものがあると思うんですが、どうなんでしょう。

A まず、そこの認識が違うんだな。ヨーロッパでは、美しい町というのは、小さい町ですよ。「小さい町で美し い町」ではなく、「美しい町というのは、小さい町のこと」なんですよ。

もちろんローマやベルリンのような所もありますよ。大きいのに美しい町ね。でもね、ヨーロッパで、美しい町と いうのは、人口一万にも満たないような町が圧倒的に多いんです。何故かというと、市民の目が行き届くということなんですよ。

大学都市のハイデルベルク(注)なんかも美しいでしょう。美しいというのは、自治をしているからですよ。自分たち達で自分たちの町の有り様をみんなで決めているか らですよ。ドイツでロマンチック街道(注)と言われている所がありま す。あれは第二次大戦で、爆撃されて破壊されたのですが、全部、瓦一枚さえ変えずに中世ドイツの景観を復元したでしょう。ここでは、美というもの、美しい 景観というのは、命と同じ意味を持つものなんですよ。

日本ではね、「美しい」ということは、どれほど形容詞を付けても理解してもらえない。ヨーロッパでは、美とい うものは、論ずるまでもない「命」そのものなんですよ。だからどんなことがあっても、復元するわけですね。

ベルリンに「カイザー・ウィルヘルム教会(注)がある。ベルリンは、ナチスドイツの根拠地ですから、爆撃され て徹底的に破壊された。これをドイツ人は今でもそのまま一切手をつけずに残している。そこには戦争というものに対するものすごい執念を感じる。美しいとい うのは何も完璧である、ということではない。この教会は破壊されたその姿をそのままさらすことによって、逆に平和のシンボルとなっている。それが人の心を 打つ。

建築論ですがベルリンは東西ドイツが一緒になって首都になった。そのためいろんな建築が行われている。国会議 事堂。放火事件が起きたと称してヒトラーが台頭してくるいわくつきの建物ですが、このクラシカルな建物は、ちょっと改造しただけでそのまま残された。その 脇に超モダンな議員宿舎と首相官邸が建築されている。ポーツマス広場には、日本の磯崎新を含めて世界中から超モダンの建築家を集めて建物が建てられた。し かし街の肝心の所には、ナチスによって建てられたかつての航空省が今は財務省として使われている。

これらについてベルリンではそのたびごとに壊すか壊さないか、論議になると聞きました。これは忌まわしいナチ スドイツの建築物だから壊すべきという意見とこれは美しい構築物だから遺すべきだという意見があって、ちゃんと議論の結果、遺すことにした。これはある意 味で民主主義のレベルの高さを物語っているんじゃないかと思います。僕は本当は、ベルリンという街はあまりに混沌としていて好きではないけれども、この議 論ひとつとっても、都市に脈絡をもたせる、ということに苦労し、努力している、ということがわかります。
 
 

注【ハイデルベルク】ドイツ南西部、ライン川支流のネッカー川に臨む美しい古都。ドイツ最 古の大学や中世の教会・城址などがある。(「大辞林」より)

参考写真
 写真で紹介するドイツ各地より http://www.ptron.de/euro/germany/heidbg/index.html

注【ロマンチック街道】ドイツ中部の都市ビュルツブルクからオーストリア国境付近のフュッセンに至る約 300キロメートルにわたる道。ローテンブルク・アウクスブルクなど、中世のたたずまいを残す小都市を通る観光ルート。(「大辞林」より)

注【カイザー・ウイルヘルム教会】 ドイツを統一した皇帝カイザル・ウイルヘルム一世を記念して建てられたロマネスク様式の教会。第二次大戦で徹底的に破壊されるが、ベルリン市民は、戦争の 悲劇を忘れないために記念碑として、塔をそのままの姿で遺した。傍らには、旧教会抱くように超モダンな新ウイルヘルム記念教会が建てられている。高さ 50mを越える総ステンドグラスの巨大な建築物で、教会の中には、ホールがあり、歴史や戦争の悲劇を伝える展示場などもある。ドイツ人の歴史に対する姿勢 が伺える。この新旧ふたつの教会が立ち並ぶ様には強烈な違和感を持つ者も多い。

<参考写真> 
五十嵐太郎  IGARASHI Taro Photo Archives より http://tenplusone.inax.co.jp/archive/berlin2/berlin2.html
株式会社 UCA・都市・建築設計事務所HPより   http://www.uca.co.jp/TABI5-2.htm
 
 

世界遺産のコアゾーンを見下ろす聖地に堂々と造営された温泉付き分譲地

世界遺産のコアゾーンを見下ろす聖地に堂々と造営された温泉付き分譲地
(2003年12月30日佐藤撮影)



美の景観条例が真鶴町で成立した理由

Q7 先生、先生が日本初の画期的な美の「景観条例」制定に係 わった真鶴町 があると思うんですが、この町と平泉を比較してどうでしょうか。まだ平泉の場合は、世界遺産の運動をしているにも拘わらず、景観条例もないため、さっき見 て頂いたように、金鶏山の向かいで毛越寺の裏に当たる地域に温泉付き分譲住宅地が売り出されて景観が台無しになってしまっているのですが、比較してみてい ただけますか。
 

A 両町とも、歴史も古く人口も一万人ほどで、ほとんど同じような規模の町だと思いますよ。真鶴もね。平泉よ り早く、開発ラッシュの時期があってね。そこで、町民は開発ということはどんなことかということで、見に行ったわけですね。新潟の越後湯沢です。丁度この 湯沢が開発のピークでした。それで「あれは、いやだ」となった。

真鶴も頼朝も訪れた800年以上の歴史のある町です。しかし町民がいくらいやといっても法律上はそれを合法と して認めなければならない。そこで町長が市民と法律の板ばさみとなり、悩んで辞任してしまう。それで改めて町長選挙があってね。「たとえ、違法でも私は開 発を止める」、具体的には「水道を止める」という公約で立候補した町議会議員が、町長選で圧倒的に勝った。ここは平泉と違うところかなあ。そこで彼は、ま ず当選して一ヶ月以内に「上水道禁止条例 」というものを作った。一定規模以上の建物に対しては水道を出さない。

当然業者の方からは訴訟が起こされてきた。それで町長が困って、学会に相談にいかせた。それで都市計画学会の 事務局から都市計画も解り法律も分かるということで私に声が掛かった。いろんな議論のすえ、結論として、「いい開発をしよう」ということになったんです。 そして「今の計画は、ほとんど全部駄目だ」。そして40幾つのプロジェクトを全部中止させ。そのまま立ち消えになったのもあれば、倒産して競売になったも のもある。

では「いい開発とは何か」ということでね。これを研究して「美の基準」というのを作り、さらにこれを条例化し ようということで、真鶴町の町づくり条例(通称美 の条例)を制定したわけです。それからかれこれ10年経った。しかし最近ここにも決定的な問題が出てきた。それが合併です。真鶴は近くの湯河原町 と合併することになった。湯河原は、どちらかというと開発理論の町、一方真鶴は、開発抑止理論の町。そこでこの美の条例は将来どうなるのか?ということで す。さまざまな議論があって、現在では、香港が中国に返還されることになった時に、採られた「一国二制度」ということをここでも採用できないかという話に なっています。湯河原市真鶴地区の条例ということですが、これが本当に認められ、遺るかどうか。国の方の結論はまだ出ていないようです。
 
 

平泉という歴史的な地名が消えていいのか?

Q8 真鶴という名は、消えるわけですか。

A そうなんです。しかし名前というのはその地域のアイデンティティそのものです。平泉とか衣川、消えてはな らない大切な地名だ。奈良の明日香村がある。あそこも一時合併によって名前がなくなりかけた。しかし、このような歴史的な地名を消してはならない、として 合併をやめた。それと同じように平泉と衣川が合併したとして、そこにどんな意味があるのと言いたい。このようなアイデンティティの高い地名は残した方がい い。

長野田中知事は「長野県を信州に」と言い出した。だって「南アルプス市」なんてハイカラな名前をつけるところ もあるが、長野県では市民は圧倒的に「信州」という地名を望んでいると聞きました。金沢などでも、職人の名前の付いた町名を復元するというようなことも始 まった。どこもかしこも中央一丁目一番地では、いかにも芸がないものね。鍛冶町や馬喰町、旅篭町なんて、そのままで昔の景色が浮かんで来るような気がす る。古い地名を残すというのは大切です。
 
 

柳の御所付近の景観から美は完全に消された
(2003年12月30日佐藤撮影)



平泉の存在意義は平和都市の概念

この地名を残す運動。各地域で、議論を深めて、小さくても十分に美しい町、アイデンティティのある町として やっていけるような制度を創造できればと思っているんです。平泉の場合で言えば、失礼ですけど、何か、中尊寺・僧侶と町役場そして町民の意識が遊離してい るように感じるんですよ。やはりどうでしょう。平泉という地名が消えるようでは、世界遺産といってもピンと来ないものになってしまうのではないですか。

平泉は、世界でも有数の平和の聖都です。清衡さんの恒久平和への願いは、イラク戦争のある現在、世界中から求 められている思想・考え方でしょう。平泉の「平」は平和の「平」であり、平泉の「泉」は、水の集まる場所という意味でしょう。だから、水辺の景観は、人一 倍気を付けなければいけないと思いますよ。さっきの衣川の河口付近の、テトラポッドの群れは、おぞまし過ぎますよ。あれでは平泉という地名が泣きます。平 泉とか衣川とか明日香、真鶴、このような名前を聞いただけで、その懐かしい風景がふっと浮かぶようにしなければならない。地名を消しては駄目です。
 
 

EU諸国のような開かれた議論を日本でも

昨年、何で私がヨーロッパに行ったかというと本当の目的はEUの憲法にありました。超国家のEUが、一五カ国 で、話し合って、EUの憲法を作ろうとしている。その憲法前文に、「神」の規定を入れるかどうか、という点をめぐってイタリア・バチカン・スペインとフラ ンスなどとの間で猛烈な論争があった。

バチカンはEUのアイデンテイとして、その「国家」、ベートーベンの「歓喜の歌」と同様に、カソリックを入れ よと主張し、これに対しフランスが「政教分離」の観点から反撃したというものですが、とにもかくにも最も近代的な憲法を作るに当たって、「神」を考えてみ るという、その姿勢に感激したというわけです。もしこれが日本だったら、どうでしょうか。神など当になくなっていますからほとんど議論にすらならないで しょう。日本にはある種のタブーが厳然と存在する。見方によっては、健全といえば健全かもしれませんが、薄っぺらといえば実に薄っぺら、という感じです。 「神は必要である」「神は尊敬しなければいけない」。「歓喜の歌」は周知のように恒久平和を賛美する歌です。

何でこんなことを大真面目で議論しているかと思って聞いたら、大いに根拠がある。それはアメリカのアフガニス タンとイラクに対する戦争に対して、ヨーロッパ・EUはあまりに無力であった。バチカンの法王は、中世における十字軍のやり方に行きすぎがあったと遺憾の 意を表明したでしょう。その上で、やはりアメリカの戦争にも反対しなければならない。ヨーロッパのアイデンティティの源泉はまさにキリスト教にあるという ことなんです。現在の一五カ国は、この憲法を批准するかどうか国会で議論し、場合によっては国民投票にかける。さらに今後加盟を予定している10カ国に とってはこの憲法を認めるかどうかが、踏み絵になる。こういうようにしてここでは議論が開かれている。このスケールの大きさねえ。これが民主主義の成熟と いうことだ。
 
 

かつて平泉は美と祈りの美しい聖都だった

この平泉の写真を見てもね。どうみてもこれは満身創痍だ。弁慶の立ち往生みたいなものだ。そう言えば、弁慶の 立ち往生は、この辺りであったわけですね。伝説かもしれないけどね。この聖地がこんなに侵されているにもかかわらず議論にもならないというのはいかにも妙 だ。市民は押し黙って、おかしいとも言わない。どう見ても変でしょう。

昔、平泉では三千とも五千人とも言われる僧侶が勉強していた大都市だ。ここは大学の町といってもよい。本当に 豊かな社会だった。それは拝金主義的ということではなく、恒久平和を志向した創業者が存在して、その思想的な求心力で、平泉は燦然と輝くような威光を持っ た堂々たる都市だった。その思想を打ち壊すような開発は止めなければならない。

日本という国を見てください。四季折々の変化があって、富士山があってね。春には桜が咲き、夏には蛍が飛び交 い、秋には紅葉が赤く染まり、冬には雪が降る。山の緑を見てみなさい。豊かでしょう。その豊かな国土を壊したら元も子もないでしょう。世界でも日本はもっ とも美しい国のひとつです。ヨーロッパは、美しいけれども、冬に行ったらその厳しさは、日本の比ではない。冬は長い。食べ物だって、日本のように考え抜か れたものはない。日本は居ながらにして、様々な情景を味わえる、世界屈指のドリームランドだったのです。何でその美しいものを守ろうとせず、壊してしまう のでしょうか。
 
 

中尊寺大長寿院脇の竹林
(2003年12月30日佐藤撮影)





祈りがあるから平泉は美しい

Q9 先生最後の質問です。私はね。ギリシャのパルテノン神殿 に足を踏み入れた時、美も祈りも感じなかったんですが、先生が今述べられたことで、その意味がよく分かりました。つまり、パルテノンそのものから、祈りと いうものが消えていて、単なる観光資源になってしまっていたから、きっと感動がわき上がって来なかったのでしょうね。ギリシャ人は、世界に冠たるギリシャ 神話を持ち、日本の八百万の神のような凄い力のある神の概念と祈りを捨ててしまって、キリスト教に走ったことがその根本にあったのでしょうね。

A その通りですよ。哲学者の梅原猛も、まったく同じ事を、ギリシャに行った時の感想として語っています。極 端なことをいえば、祈りがなければパルテノンもディズニーランドも変わりません。日本人は、ギリシャから反面教師として学ぶことは多いですよ。平泉がギリ シャのようになってはいけません。絶対にね。
 
 

(聞き手 佐藤弘弥)
五十嵐敬喜(いがらしたかよし)

法政大学法学部教授・弁護士

1944年山形県生まれ。 1966年早稲田大学法学部卒業。1968年弁護士登録。早稲田大学社会科学部非常勤講師などを経て、1995年現職。専門は、都市政策、立法学、公共事 業論。

市民の視点で、都市計画のあるべき姿を追求し、全国の自治体のまちづくりや不当な建築に対する住民運動への協力及び啓蒙活動を続け る。神奈川県真鶴町の「美の条例」の制定、東京都国立市のマンション建設に絡む日照権問題などの難問解決に尽力。「美しい都市」をつくるための方法論を追 求。国のみならず、地方自治体のあり方について数多くの具体的提言を行う。近年は、公共事業見直しのオピニオンリーダーとして活動する一方、「市民の憲 法」(早川書房・2002年)を刊行するなど、とかく戦後日本のタブーであった「憲法論」や「宗教論」にも、市民の立場から、積極的に発言。日本国憲法と EU憲法の草案との比較研究などを通し、鋭い論考を続々と発表。内外からその言動が注目される。

主な著書に、
「都市法」(ぎょうせい・1987年)
「議員立法」(三省堂・1994年)
「都市はどこへ行くのか?」(建設資料研究者・2000年)
「美しい都市をつくる権利」(学芸出版社・2002年)
「市民の憲法」(早川書房・2002年)など。

共著書に、
「都市計画ー利権の構図を越えて」(岩波書店・1993年)
「議員ー官僚支配を越えて」(岩波書店・1995年)
「美の条例ーいきづく町をつくる」(学芸出版・1996年)
「公共事業をどうするか」(岩波書店・1997年)
「市民版 行政改革ー日本型システムを変える」(岩波書店・1999年)
「破壊と再生ー自治体財政をどうするか」(日本評論社・1999年)
「創造学の誕生ー□と聖を活かすゆたかさを求めて」(ビオシティ・2000年)
「公共事業は止まるか」(岩波書店・2001年)
「図解 公共事業のウラもオモテもわかる」(東洋経済新報社・2002年)
「都市は戦争できない」(公人の友社・2003年)
「市民事業ーポスト公共事業社会への挑戦」(中公新書・2003年)
「『「都市再生」を問うー建設無制限時代の到来』(岩波書店・2003年)
「分権の光、集権の影ー続・地方分権の本流へ」(日本評論社・2003年)など多数。


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2004.1.18
2004.1.27 Hsato