映画「ラストサムライ」論


1 「ラストサムライ」勝元盛次は西南戦争の西郷のイメージ?!

映画「ラストサムライ」を見た。印象は、「悪くない」の一言だった。もちろん様々な不満はある。しかしエドワード・ズウィック監督は、日本文化をかなり研究している人物と思えた。でもその捉え方はいささか観念的である。例えば「サムライ」という概念を、この監督は、天皇を守護する戦士というという錯誤した認識を持っていると感じた。

富士の山と渡辺謙演じるサムライと小雪演じる「大和撫子」が出て、まるで西洋人のステレオタイプの日本人論(芸者・冨士山・侍)の範疇に止まっている。そもそもサムライとはなにか。それは恥の精神をもち、大義に篤く、天皇や仕える大名を守護するなどという存在では断じてない。それは西洋の騎士とは違うが、己の腕力と知力で、世の中を渡り歩いてゆくという自助の精神が根底にある。義経記で義経と弁慶の関係をみれば、弁慶は、義経と主従の契約を結んだことになっている。無批判に主君に従っているのが、サムライというサムライ論があるが、これは徳川時代に、儒教的に作り替えられたサムライ論(徳川武士道とも云うべき幕藩体制擁護のイデオロギー)である。

徳川以前、戦国という時代があったが、この時の群雄割拠する時代こそサムライがもっとも侍らしく生きた時代である。その時代には、己の軍事力と知力を結集し、誰が天下を狙っても差し支えないムードが日本中に充満していた。それが徳川の代になると一転して日本版カースト制度のような「士農工商」などという馬鹿げた身分制度が導入されて、本来のサムライ精神が徹底的に否定されてしまったのである。

中国には、天子の思想があるが、この思想は日本の天皇制とは違って、一番力のあるものが、天子(皇帝)の座に就く。日本のように万世一系の血の流れを汲むという発想とは決定的に違う点だ。藤原氏が設計した万世一系の天皇観が、武士の世となった社会にも大きな影をもたらし、暗黙の内に日本独特の擬制的な二重権力構造存在しているのである。これが日本社会の構造的特徴である。

さてこの認識をもって、「ラストサムライ」という映画の構造をみてみる。この映画は、明治維新の西南の役に題材を取ったことは明白である。何故、勝元というサムライが、坊主頭なのかを考えた時、これは西郷隆盛を指していると直観した。西郷は、明治政府の参議にまで登り詰めながら、征韓論を持ち出して、大久保利通らと対立し、故郷の薩摩に帰って、はからずも反乱軍のトップに祭り上げられてしまった。とすると原田真人演じる大村は、大久保で、真田広之演じる氏尾というサムライは、桐野利明(1838ー1877)ということになる。前評判では、渡辺謙の演技の素晴らしさに集中していたが、私は真田の評価が少し低すぎると思う。特にトムクルーズ演じるアメリカのオルグレン元アメリカ騎兵隊大尉を木刀で鍛える雨中でのシーンは、黒沢の演出を彷彿とさせるもので圧巻であった。この映画の劇的緊張を支えるのに真田の張りつめた演技と殺陣は大きな役割を果たしていた。
 

2 「刀」と「天皇」

時代設定は明治初期。渡辺謙演じる「勝元盛次」という人物は、吉野の里の族長で、かつては天皇のためにサムライの魂である刀を献上したことで知られる著名なサムライである。それが急激な欧化策を推進する明治政府の中で浮いた存在となり、富士山麓にある「吉野の里」に根拠地のような村を形成して、ライバル大村が推進する欧化を食い止めるために鉄道の敷設作業をゲリラ的に襲い破壊工作をする。大村は、鉄道路線敷設後には、払い下げによって自分のものとする企みをもっている。

また大村は、また明治政府の軍隊を近代化するために、米国に渡る。そこで装備の近代化のために銃器を輸入するために高性能ライフルで有名なウインチェスター社に話を持ちかけ、またアメリカ軍のバグリー大佐とも接触する。大佐は、かつて騎兵隊時代に上官であったオルグレン元大尉を日本軍近代化の軍事顧問として明治政権の大村に推挙する。大村の魂胆は、おそらく彼らに近代化政策の敵対者となっているライバル勝元を殺害させることにある。バグリー大佐には、そのことをズバリと話している可能性がある。

さて、トム・クルーズ演じるオルグレン元騎兵隊大尉であるが、彼はアメリカ先住民族との間の戦争体験からか、アルコール依存症に陥っている屈折した心情をもった人物だ。彼の心の奥底には、カスター将軍率いる騎兵隊に参加し、先住民族のシャイアン族の殺戮に荷担したという深い罪の意識があるように見える。オルグレンは、シャイアン族の言語について精通していたほどの知的な人物でもあった。ということは、シャイアン族の友人も多くいたに違いない。もしかしたら彼の恋人は、先住民の女性だった可能性もある。アルコール依存は、一種の現実逃避であるのだろう。

そこに大村から軍事顧問の話が来る。ウインチェスター社で週25ドルで働いていた男に、週500ドルのオファーが来たのだ。アメリカを離れるということは、彼にとっては、やはりある種の逃避であったろう。彼は再び己の中にある獣のような心をむき出しにして、大村の戦略、つまりライバル勝元を葬るというを実行に移すべく、横浜港に下り立つ。勝元は、オルグレンにすれば、シャイアン族の酋長の如き存在に他ならない。

宮中に行き若き明治天皇に謁見する。天皇は、そこでアメリカの先住民族について「彼らは戦う前に顔に色を塗り、ワシの羽を付けて戦うと聞く。怖くはなかったか」と質問をする。オルグレンは、かしこまって「彼らは勇敢な民でした」とのみ答える。オルグレンの心情は、アメリカの先住民に対する尊敬の念が満ちていた。再びオルグレンは、アメリカで行ったことを仕事として引き受けてしまったことを知る。人間の運命というものは、逃れられない煉獄(れんごく)のようなところがある。

さて明治新政権における日本の近代化は、日本中に多くの軋轢を生み出した。古いものが一方的に否定され、西洋化が肯定された。着物は洋服に代わり、チョンマゲは、有無を云わせずに切られた。それが良いか悪いかが問題ではなかった。かつての古き日本の美風と思われたものまで、徹底的に否定された。日本中で、神仏混交の文化が否定され、神と仏は分けられ、日本の至るところに存在した神社は、合祀されて、十把一絡げにされた。

この映画の中で「刀」の持つ象徴性は特別なものだ。「刀」は欧化に波によって否定され「銃」に変わってゆく。刀は、天皇の王権を象徴する三種の神器のひとつだ。勝元が、天皇に「刀」を献上したという意味は深い。それは「今更三種の神器を銃にするのですか。刀こそ日本建国以来の宝ではないですか」という勝元一流の諌言(かんげん(であった。

しかし若い天皇の権威は弱く、勝元は政権内部で力を失って、野に下る。それを良いことに、明治政府は、どしどしと欧化策をとってゆく。明治政府にとって、古い権威を象徴する「刀」を振り回す最後のサムライ勝元は、野蛮な反逆者以外の何物でもない。
 

3 ネイサン・オルグレン考

トム・クルーズが演じたネイサン・オルグレンという人物について、もう一度考えてみる。画面に現れる彼の日記の綴り方から、その知性と教養の一端がわかる。彼は民俗学者のような深い観察眼を持ち、異文化というものを素直に受け入れることのできる広い心を持つ人間だ。ところが運命の神は、彼に民俗学者のような適職に就かせず、軍人になることを強いた。このようなことは巷でもよくあることだ。

人間は表に出ている心とは裏腹に様々な側面を持つ生き物である。オルグレン自身、顕在意識では、先住民(ネイティブ・アメリカン)の異文化を研究するような職業につきたいという意志を持っていたと思われる。しかし運命は皮肉だ。オルグレンがどんな経緯で軍人になったのかは知るよしもないが、ともかく、自分でも信じられないような激しく残忍な心が内部から顕れ出てきたのである。それはカスター将軍のような強烈な個性を持つ人物と戦場で共に戦ったことで触発された可能性もある。精神のバランスが崩れるのも当然といえば当然だ。何しろ生死を賭けた極限の状況を毎日送り、ついさっきまで元気だった戦友が次々と亡くなる。更には敵と見なした罪もなきネイティブ・アメリカンを子供や女性まで無差別に殺害しなければならない。それが騎兵隊大尉の職務だ。

オルグレンとって、後日に考えれば、嘔吐(おうと)しかねないような状況が来る日も来る日も続いたのだ。すると終いには、死という感覚や道徳心というものも次第にマヒしてくる。いやマヒしなければ、精神病理学的に云えば、「ネイサン・オルグレン」という人物の心はバランスを保ち得なかったのである。こうして、アメリカ史に残る悲惨極まりないシャイアン族掃討の戦争が終結した時、この人物は、自己の心を正常に保つことが出来なくなっていた。

誰しも、戦争などの強烈な体験によって狂わされた人生を、元の方向に転換することは難しい。オルグレンがシャイアン族の民俗学的研究や言語を記した日記を大切に保持している理由はそこにある。彼は若い頃の夢を捨てきれない。異文化の本質に触れ、それを研究したくて仕方がないのである。しかし、生活のためにそんなことを考えていられない。彼は銃器メーカーにヒモのように寄生して食い扶持を稼がなければならない。つづく

ここまで書くと、この映画を作ったズウィック監督の製作意図が朧気に見えてくる。彼は、日本の明治維新期という舞台設定にしながらも、実は現代アメリカの若者の心情の一端を描きたかったのではないだろうか。

第二次大戦の大勝利の後、アメリカは名実ともに、世界の覇者となった。しかしながら、大戦後もアメリカは、朝鮮戦争、ベトナム戦争、湾岸戦争、イラク戦争というようにほとんど10年に一度の割で、大きな戦争を繰り返している。そこでは、多くのオルグレン症候群とでも形容すべき若者が発生している。戦争のために、心のバランスを保てなくなってしまった人々のことだ。それでも大国アメリカは、アメリカという国家の大義のために星条旗をかざして前進している。

「パックス・アメリカーナ」(アメリカによる平和)という言葉ある。これは「パックス・ロマーナ」(ローマによる平和)をもじって云われる言葉だ。しかしよくよく考えて見れば、アメリカが世界の覇者として登場して、世界が平和であった試しがない。世界戦争はなくなったものの、どこかで悲惨極まりない戦争が発生し、その度にアメリカの若者たちは、アメリカの大義のために、現代の「カスター」や「オルグレン」となって戦ってきたのだ。「パックス・アメリカーナ」は幻想なのだ。

そして今、アメリカの若者たちは、自分が何のために戦っているのかも意味不明なままに、イラクという古代バビロニアが存在した文明発祥の地でアラブの大義というけっして黙視できない巨大な相手と戦っている。イラクのベトナム化という言葉が最近まで言われている。しかし今後アメリカが、イラクで経験することは、ベトナムの比ではあるまい。アメリカという国家の存立を揺るがす状況だって考えられる。ひとつ間違えば、中東全体が戦火に巻き込まれて、第三次世界大戦の口火が切られる怖れすらある。

そして今、懸念されるのは、アメリカの若者が、頻発するテロと戦争の狭間にあって、自らのアイデンティティを見失ってしまうことである。私は、昨今発覚したイラクのアルグレーブ刑務所で起こった捕虜虐待事件に、アメリカの若者の絶望とそして微かな希望の光をみる。あの刑務所で起こったことは、オルグレン症候群が、予想以上にアメリカの軍人の中で進んでいることの証左であると思う。しかし同時に、あんなことが二度とあってはいけないとして、刑務所で起こった事実を秘かに写真にして、人づてに、マスメディアに流した良心ある現代のオルグレン大尉がいたことに光をみる。映画の中で、オルグレンは、自己の軍事顧問という立場を忘れて、反乱軍の頭目である勝元盛次に会い、その精神性の高さに惹かれて、日本文化という異文化とけ込んでいった。その結果、オルグレンは、自己のアイデンティティ(存在理由)を取り戻したのであった。

主人公「オルグレン」に象徴されているものは、戦争によって自己を失った現代アメリカの若者の苦悩するイメージである。映画のなかで、あの悲惨な戦闘の中でひとり生き残ったオルグレンは、いささか不自然である。だがしかし私は映画を見終わった後、画面に向かって拍手をしたい気持ちでいっぱいになった。それは単にオルグレンの激しい生き様に対する共感の拍手というよりは、国家のなかでひとりの個人が、死の恐怖を乗り越えつつ、サムライ文化(異文化)に触れるという厳しい体験を踏まえて、最後の最後に己のアイデンティティを取り戻したことへの称賛の気持ちではなかったかと思うのである。
 

4 日米関係論としての「ラストサムライ」

昨年(2003)の暮れ、映画「ラストサムライ」のプレミア上映で来日したトム・クルーズは、小泉首相を表敬訪問した。その席で、得意の「感動した!!」という言葉を首相が発したかどうかは分からない。ただ、別の日にポロリと「米国人が日本の侍の精神を理解して、好意的に描いてくれてるね」(毎日新聞2003年12月28日朝刊)と記者団に漏らしたそうだ。

さて、映画「ラストサムライ」のラストシーンをもう一度思い出してみよう。

奇跡的に生き残ったオルグレンは、宮中に参内する。その場には、日本への武器輸出の条約のようなものをを締結しようとする米国大使並びに天皇のお側には勝元のライバル大村が控えている。もちろんフィクションであるが、日米軍事同盟は、まさに映画の中で締結されようとしている。

そこにオルグレンは、かつての騎兵隊大尉の軍服を纏い、負傷した足を引きづりながらも恭しく登場する。彼の手には、勝元愛用の「刀」が握られていた。すると奥に着座されていた明治天皇は、頭を低くかしこまっているオルグレンの前に進み出て来られる。オルグレンは、菊の御紋の袋から、その刀を取り出すと、「日本の最後のサムライの死を無駄にしてはなりません」と、天皇にその刀を渡す。

天皇は、その刀を握りながら、「確かに私たちは、大砲や鉄道や西洋式の洋服を手に入れた。しかし日本人が日本人であることを忘れてしまっている」と言われる。その上で、米国との間での武器輸入の条約の調印を止めようとの意向を示された。一瞬沈黙が起こる。米国大使は、怒って退席、大村は、「確かに勝元の死を悼む気持ちは同じです。でも問題が違います。私は命を賭けて、この日本のために働いて参りました」と天皇に、速やかな日米条約の締結を促す。しかし天皇は、大村に対し、「それほどに国を思うならば、お前の家財を没収し、民百姓に与えよう」と語り、日本人の心としての「刀」を大村に渡そうとする。大村は、天皇の「気」に押されて、恐れ入って退いてしまう。そして最後に、天皇は、ラストサムライの勝元が「どのように死んだのかを教えてくれ」と、オルグレンに言う。するとオルグレンは、少し微笑みながら、「死に様ではなく、彼の生き様をお教えしましょう」と語るのであった。

この映画は、日米関係論の見地から見れば、日米というまったく歴史も文化も異なる国家同士が、互いの固有の歴史と文化を尊重尊敬しながら、相手の「誇り」(プライド)なり存在理由(アイデンティティ)なりを十二分に理解した上で付き合うべきとのメッセージを発しているように思う。

しかしながら、現在の日米関係は、果たしてこの映画の精神に合致しているだろうか。残念だが、答えはノーと言わざるを得ない。日本らしい所作を持った日本らしい外交。そしてアメリカらしい所作をもったアメリカらしい外交が、今の「ブッシュー小泉ライン」で形成されているとはとても思われない。

第二次大戦の勝者と敗者の観念が、戦後60年を越へんとする今でも、日米には暗黙の壁となって存在し、そこにはある種の無原則な従属関係を生み出されているようにも感じる。この映画は、日米が、もっと真の友あるいはパートナーとして理解し合える次元に達し得るとの政治的メッセージでもある。その兆しは十分にある。何故なら、この映画を見た多くのアメリカ人が、映画に感動し、渡辺謙の背後にあるこれまでは異質とばかり解釈されていたサムライ精神に、共感の涙を流し、万雷の拍手を送ったということなのだから。
 

5 「ラストサムライ」と「天皇制」

さて、「ラストサムライ」についての考察もそろそろまとめとしよう。ズバリと言えば、この映画は、アメリカの知識人の日本理解の限界点を示すものである思う。つまりアメリカ人が、自国において、一生懸命、日本の歴史と文化、それから日本人の感性などを、知識として良心的に吸収するならば、これが限界だろうということだ。

残念だが、ズウィック監督の日本に対する認識のレベルは、旧来の偏見に満ちた異文化としての日本論と一見するところ、大きく変化しているように見えるが、実は何も変っていない。相変わらず、彼の中では、日本という国家は、「冨士山、芸者、ハラキリ」の三つキーワードで構成される神秘の国である。理解度が進んでいるように見えるのは、自国の先住民族への心情的共感を踏まえ、日本理解をこの学習効果の上に展開しているから見かけ上そう見えるだけなのである。

例えば、映画の冒頭、プロローグのシーンで、日本の神話が、海のイメージ映像を背景にして静に語られる。
 

「日本は刀でつくられたという。いにしえの神が剣を海に浸け、それを引き上げると、四つの雫が滴り落ち、それが日本列島になったそうな・・・私は思う。日本をつくったのは一握りの勇敢な男たち。彼らは今や忘れられたこの言葉に命を捧げた。名誉に。」

そこで原野において、渡辺謙演じる勝元の後ろ姿が現れる。次にカメラはドラマチックに前に回って、勝元が瞑想をしている姿を大写しにする。手には数珠を持ち、手は合わされている。そして突然、目がカッと見開かれ、虎を象った旗の映像に被って、生きた虎が浮かんでくる。霧の中の森の中。甲冑を纏った武者たちが逆光の中で蠢いている。荒れ狂う虎。武者はこの虎を退治しようとしている。


さて、このプロローグであるが、虎退治の加藤清正のイメージのように思われる。ともかく、サムライの強さと神秘性が強調される。このシーンは、勝元の瞑想中の幻想なのかもしれない。またこのシーンは、映画全体のトーンを決める上で重要な導入部である。

記紀の神話的イメージと強いサムライのイメージの融合による幻想のシーンであるが、言う場までもなく、ズウィック監督の日本論はこのイメージの上に存在する。現実の歴史認識も新たな歴史学の成果によってかなり進んでいる昨今において、このような旧態依然とした認識では大いに問題があると感じる。いささか時代がかっていて、少し大げさな気もする。

「刀」(草薙の剣)に象徴される王権が、日本に限らず、多くの国家の統一にとっての源泉だったことは認める。その王権が、日本の場合には、万世一系の天皇によって、「やたの鏡」と「まが玉」玉と合わせて三種の神器として代々受け継がれてきた。刀というイメージの奥にあるものは、サムライの精神であり、又天皇への「忠誠心」とか「名誉」ということになるであろう。

この映画では、天皇に対する認識は、敬意あるいは尊敬という形で表現されているが、それ以上突っ込んだアプローチは見られない。その為に逆に言えば、大方の日本人にとっては受け入れやすい物語となっている。ところが芸術と考えればそこが物足りない。現実の歴史をみた時、明治天皇が自ら主体的に政治に関わろうとしたことはあった。だがしかし明治政府は天皇親政を許さなかった。それ以降の大正、昭和、平成と続く代々の天皇が政治に関わったことは皆無であった。所詮、明治維新を推進した薩長も、天皇の権威を利用したことに他ならず、アメリカも又、太平洋戦争後には、その天皇制という堅固な政治システムをアメリカの民主主義に接ぎ木して新たな象徴天皇という概念を持ち込んだのである。

天皇」という言葉は、「サムライ精神」(あるいは武士道)同様、アメリカ人にとって、ミステリアスな概念である。スバリ言えば、理解が難しい。日本人でも、アメリカ人から「天皇とはどんな制度ですか?」と聞かれて、正確に答えることの出来る人は少ない。日本人も実は「天皇」について知っているつもりになっているだけで実は深い理解はないのである。

かつて日本でも、中国同様、天子の思想で、徳の高い者が王権を握るというものであった。例えば、出雲国の国譲りの記述は、まさに強いものが、弱き王朝を退けて権力の座に着くという事件そのものであった。ここに神話が生まれる素地があった。つまりふたつの王朝の交代を神話によってひとつにするのである。そこで日向の王朝の祖のアマテラスと出雲の祖のスサノオとが姉弟であると創作される。古事記や日本書紀は、こうして神話によって、万世一系の天皇制を補完したのである。このようなことは、日本が島国で、情報を一元管理することが可能だったからできたことである。この「万世一系の天皇制」という制度は、おそらく天武天皇やその外戚となりフィクサーとなった藤原鎌足、不比等親子によって創造されたものであろう。この政治システムが日本の国家の大きなグランドデザインとなって、それ以降、今日まで1300年の長きに渡って、連綿と継続されてきたのは世界史上でも驚嘆すべきことである。

何故、これほどの長い間、日本の天皇制は、継続したのであろうか。それはやはり日本が島国ということで、地勢的特異性があったからに他ならない。問題が生じたらならば、周囲の国家と往来を断って、情報を遮断することができる。所謂、鎖国策だが、徳川の時代には260年も外国への門戸を閉ざしたことは時代錯誤を通り越して驚きの極地である。その長き眠りを叩き起こしたのは、黒船に乗ったアメリカ人ペリー提督であった。彼は当時のフィルモア大統領の国書をもって、開国を強くせまったのであった。すでにそれから150年もの歳月が流れている。

その後、開国をした日本とアメリカには不幸な事件があった。太平洋を挟んで、日米戦争が勃発し、双方多くの犠牲者を出したのだ。勝者となったアメリカは、日本の天皇制について王権としての権力(統率権)は剥奪したものの、日本国民の統一の象徴としての存続は認めた。明治憲法下においては、天皇の戦争責任は免れないのだが、結局天皇の戦争責任は問われなかった。この天皇制の存続については、多くの日本通のアメリカ人と日本の政治家や外交官たが、凄まじいロビー活動をして叶ったものとされる。アメリカ政府は、日本の一日も早い政情安定のためには、天皇を存続させた方が、得策と考えたのである。

やがてアメリカは、第二次大戦後の長い社会主義ソ連との冬の時代を経て、唯一の超大国となった。日本は、アメリカの核の下で、いつしかアメリカに次ぐ世界第2位の経済大国となり、一時はアメリカが脅威と感じるまでになった。その中で、アメリカ人の日本理解は、一見格段に進んだようにも見える。しかし実はこの映画「ラストサムライ」に見られるように、アメリカの日本理解に深まりは見られないということになる。実は、この映画がアメリカで公開されるやいなや、日本の歴史と文化に詳しい人々の間から、この映画の歴史認識に対する辛辣な批判が起きたと聞いている。私はむしろ、そこに光を見る。この映画が、二一世紀における日本理解の幕開けとなってくれることを期待したい。その時こそ、この映画の勝元とオルグレンのように、太平洋を跨ぐ日米が、イコールパートナーとして真の友情を手にする日が来るかも知れないと思うのだ。了



2004.5.26 -6.4  Hsato

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