• 故 山内 富雄先生

    範士のお顔

    「うん、段々よくなっているぞ。頑張れ」っと。。
    (写真:著書「剣談」から)

    2005年7月21日にお亡くなりになりました。92歳でした。心からお悔やみを申し上げたいと思います。

    「枯れ草のように消えてゆきたい云々」と仰っていたそうですが、「先生らしいなぁ。」と感じる反面、もっとたくさん教えていただきたかったと残念です。 今改めて先生の稽古を思い出すと、もうああいう稽古をしてくださる先生が居ないことに気が付きます。先生の剣道を絶対に忘れずに少しでも近づくように精進したいと思います。

    ご冥福をお祈り申し上げます。

      稽古日記から数少ない稽古を振り返ってみました。

    1996年2月20日

     自分の稽古は常にチェックして曲がってないかを確認しておくこと。毎日の稽古だからちょっとでも曲がっているのを気がつかないと、後になって、だいぶ元から離れてしまうことになる。曲がるというのは、姿勢もそうだけれど、本物を見失ってしまうということ。いつも近くに良いお手本を持っていたいと思う。そして、悪いところは直すこと。良いお手本と言えば、最近山内先生をお見かけしていない。あの充実した柔らかいそして品のある姿はしっかり覚えているつもりだが、お見かけしていないと記憶が薄れていくようで怖い。 


    1996年5月8日

     ひさしぶりに山内先生にお願いできた。感激だ。ご高齢(すみません)にして、なお技がするどくなっているようだ。こわいほど。 すりあげ面で、抜けていかれたこと。私の面を100出させて 0の力で胴を切られたこと。自分の体で体験できたことは幸運としかいえない。


    1996年9月11日

     久しぶりに、先生にお願いできた。確か前回のときは、気持ちが浮いてしまって、すりあげ面、返し胴。今日は、久しぶりにお願いできたことに感激しながら稽古。立ち会ってすぐ「和」を考えていた。先生となら何かを感じ取れるかと思った。しかし、いつの間にか懸かる気持ちに変わっていた。そこで終わり。


    1996年11月8日

     今日は、山内先生にお願いできた。最後の掛かり稽古がためになる。こちらの掛かりを絶妙な間をもってさばいたり、すりあげたり、返したりしてくださる。その時の打たれる感覚が大切なのだ。いつかは自分もこの感覚で遣えるようになりたい。打たれなくては判らない感覚を学べるのだ。


    1997年4月25日

     山内先生にお願いできた。うれしかった。後ろで待っているときから、心臓がどきどきして押さえられなかった。先生にお願いして大切なことは、すべてを感触として覚えて置くことだ。


    1997年7月11日

     山内先生にお願いすることができ感激している。前の先生に出した裏からの片手突きは、絶妙だった。


    1998年11月10日

      今日は、山内先生がおみえになった。稽古はされませんでしたが、お元気そうでした。ご挨拶を申し上げたところ「相変わらず熱心に稽古しているなぁ」とにっこり。椅子に腰掛けられて稽古をご覧になっていたところに、私が座礼したものだから先生に答礼のための座礼をさせてしまったのが申し訳ない同時にそこが先生の人柄のように思う。


    1999年7月8日

      本当に、久しぶりに先生にお願いできた。うれしかった。気負うことなく出来るように、心がけた。でも、途中で剣先のやわらかさに、またまたうれしさがこみ上げてきて、本物ってすごいと思った。


    2004年2月4日

      「間を詰められると苦しい」と永田先生にお話しをすると、先生は「わたしは、山内先生のやってたことをやろうとしているのだよ。つまり、活殺の呼吸ということだ」と仰った。


                            ---------------合掌--------------



    島野 Mail: shimano@st.rim.or.jp