I'm Waiting For The Man


Lou Reed の歌には概念的なものと日常的なものの二通りがあると思うのだけれども、これはすごく日常的な歌のひとつだろう。 といっても N.Y.の若い白人 Junkie という彼の日常的風景に限られるのだが…
Lexington って? morgue さんから早速 125 って125番街、その北はハーレムとの指摘をいただいた。 U.S.では南北に延びる道路に avenue と名前がつけられることが多いが Lexington Ave はマンハッタンを南北に走る大通り。また東西に走る道路には南から順番に番号がふられた道路が並んでいて、125番街、つまり E 125 St はマンハッタン北部を横断している。 つまり Up to Lexington, 125 とは Lexington Ave と E 125 St の交差点を意味していることになる。さてこのあたりは uptown (N.Y. ではハーレムの別名)に属する。 主人公の白人の坊やは、そんなヤバイ地域にふみこんじゃったわけだ… しかも手にはヤクを手に入れる為に 26ドルもの大金を握り締めている。 26ドルってのは上質のブツを手に入れるにはちょっと少ないかもしれないが、こわいおにいさんに囲まれたら充分に生命の代金になる額にはちがいない。
しかもこの坊や、ヤク切れで気分は最低。 といってなじみの売人が時間どおり現われるワケがない。待ち合わせ場所でウロウロしてれば、黒人のヘビー級のボクサーみたいなマッチョにオドされたって不思議じゃない。 さて通常 downtown は街の中心街/商店街などを意味している。例えると東京の新宿歌舞伎町といったヤバい ニュアンスもある。 しかしN.Y.では14丁目以南を示し、それほど治安の悪い地域ではない。 対して uptown は居住区。 しかし'60年代当時は N.Y. で一番黒人の集中している地域であり、また犯罪件数(これは今も同じ)も異常に高い地域。そこに白人が独りで入り込むってのは、かなり危険なことである。 もしトラぶって金を巻上げられちゃ元も子もない。 ここはおとなしくいう事を聞いてるしかないワケだ。
さてなじみの売人はいつもとおりに遅れてやって来た。 白人の坊やは気がきじゃないが、すまし顔の売人君はそんなこと知ったことじゃない。いや逆にあせってるのを気づかれちゃ、どんなゴミをつかまされるかわからない。ここは待たされたなんて顔はしていられない。そう少しでも上質のヤクを手に入れるまでは…ちなみに『流行りの靴』とした『PR(*) shoes』とは morgue さんの指摘によると「当時のプエリトリカンが履いていた先のとがった靴で、金網をよじ登りやすいようになっている」とのこと… なるほど! 映画でギャングが金網をよじ登って逃げるなんてシーンを見たことがあったっけ… そんな時にこんな靴なら逃げやすいわけだ。
ここで二人は取引場所に向かうのだが、この brownstone ってのは棟続きで石造りの3/4階建ての住宅を意味する。19世紀末期にハーレムにも中流階級用の住宅として多く建てられた。 ところが黒人が住み始めると白人中産階級の殆どが出て行ってしまい、スラム化している。 そんなところから目立つ格好の売人君と目の血走った白人の坊やの二人連れが出てくれば…通行人が不審な目で見るのは間違いない。 「なんだよおまえらジロジロ見やがって!文句つけるキンタマももってねえくせに」 きっと白人の坊やはこころで愚痴たにちがいない。でもいいさ、売人くんは立派にヤクを手に入れてくれたのだし…これが手に入ればもうここでグズグズしてる必要はない。 後はとっとと退散して自分のテリトリーに戻って一発キメルだけさ。
さてなんとかブツを手に入れるのに成功して、この坊やは有頂天。ヤバイこともあったけど、なんとかやりとげたぜ! ベビー今ウってやるからちょっとまってろよ、勿論オレがもう一発キメてからだけどな…てなもんだろう。またヤクが切れればいけすかない売人を探さなくてはいけないのだけれども…
(*) Lou Reed 自身 "BETWEEN THOUGHT AND?EXPRESSION" で "PR" について "Puerto Rican Fence Climbers" と注釈をつけている。 "PR" とはその頭文字かもしれない。

by seven 15,Feb'00


ところでこの曲の日本盤の題名は「僕は待ち人」となっている。 そのせいか男娼の唄として紹介される事が多い。 別にそれを否定する気もないが、それなら26ドルを手に握り締めていることをどう説明するのだろうか。(ちなみに10ドル札以上は財布に入れて持ち歩くなというのはU.S.の都会で生きていく上での常識だ。 もしチンピラにからまれたら素直に10ドル差し出せば生命は助かるが、それ以上だと逆に口封じに殺される危険がある)
勿論皮ジャンとレザーパンツ姿の Lou Reed が 「The Man 」を待っているといって、最初に思い浮かべるのはゲイに違いない。 またハーレムで黒人にからまれた時の逃げ口上もそれをほのめかしている。 でもそれだけで男娼の唄と解釈したんでは、この唄のおもしろさが半減してしまう。
例えばキミが新宿の歌舞伎町までヤクを仕入れに出かけたとしよう。 多分桜通りあたりじゃ風俗店の客引きから声をかけられるだろう。 で、キミが「僕、そっちの趣味じゃないんで」なんていえば客引きも引き下がる。 つまりホモじゃ仕方ない。 しかもやっとやってきた売人と二人で二丁目あたりにしけこめば、間違いなくソッチの趣味の人達にまぎれ込むことができる。 そして無事に取り引き成立ってワケだ。
つまりこの唄の背景にはそんなアウトローの世界の日常が現実的に語られているからこそおもしろいと思うのだが・・・

by seven 2,Oct'02