憂鬱の雑記録

憂鬱なことを考えていると気が滅入る
それを文章に書き綴っていると一層ふさぎこむ
それでウィスキーを流しこみながらキーボードを叩く
憂鬱は終わらないが、わたしの生きている事も終わらない
なので憂鬱の種もつきることがない・・・
6,Aug.14 (水) 21:19
歴史では古代の権力者が死んだ時は
死後も不自由しないようという口実で
多くの道連れを従えたらしい

または大きな建造物を作った時は
その足場に人柱として
生きながらに埋められた人達が居たらしい

まったく不可解な行為だが
しかし今この国に住む私達は
これを本当に笑えるのだろうか?

昔から日本では死ねばホトケと
死者への悪口はひかえるのが美徳と
されている

それに私も異存はない

しかしだからと言ってその死を
いっぱひとからげに美談に仕上げて
今あるのは彼らのおかげと祀りあげるのは

それはどこぞのカルトと同じで
洗脳の必要があるんじゃないだろうか

と、、、

たとえば
「責任を取ってハラを切ります」などという
武士道とかいう近世の精神性を
それこそ日本男児と褒める人達がいる

しかし武士道とは日本古来かといえば
実はそうではなく
江戸時代以降の概念で

要は平和な時代に
武装集団としての武士の存在意義などなく
であればそれをなんとかと
中国古来の陽明学とか朱子学で
取り繕っただけの思想だ

証拠に主君の為に命を捧げた
戦国大名がいたか?
大抵は主の寝首を取った連中だ

しかし明治以降
権力を手にしたのはそんなカルトな連中で
なので戦陣訓などという
メチャなマニュアルを作り上げ

「死んで捕囚の辱めをうけるな」
それで一体どれだけの兵隊が死んだ?
「死んで靖国の戦神となれ」
それで花実のなるものか?

今日は広島に原爆が投下されて
もう69年目になる

今朝思ったんだ

もしあの万歳突撃とかカミカゼ特攻隊とか
そんな気違いじみた自殺行為が

【もし行われなければ】

米軍は原爆を落としたんだろうか?

または
あの非人道的な兵器を選択する名目は
あったんだろうか?

歴史に「もし」はない
あるのは教訓だけだ

とすれば

あの「無駄死」を
無駄にしない知恵を
俺たちがするしかないだろうと
8,Dec.13 (日) 14:50

戦争は銃の出現の前後で様変わりしたが
それ以上に社会を変化させた


その出現以前の戦争は
重装備ができ
それを乗せて走れる馬を持つ者
つまり西洋でいうところの騎士の数が
勝敗を左右した

もし現代の渋谷交差点で
そんなのが一人でも暴れだしたら
どんな惨事が起きるか想像してみるがいい
銃の使用がなければ機動隊でも無理だろう

つまり騎士と庶民では
戦闘能力に格段の差があった

そして当然その様な武器は
財力がなければ揃える事ができず
しかも日々鍛えなければ
タダのお飾りである
慎ましく生きる普通の農民では無理
つまり

銃出現前まではプロの戦士の時代だったのだ

彼らは騎士階級を構成し
農民や一般市民を支配する
しかし外部からの敵が攻めてきた時は
彼らが先頭になって戦い
そのコミュニティを守る責務を負う

対して庶民は戦場からなるべく離れ
たとえ運悪く兵士として駆り出されても
負けそうになればすぐに逃げ出す
そもそも最初から戦力とは期待されていない
勇ましく戦うなど無駄死でしかない

ましてや庶民の側からすれば
騎士階級の支配を受けいれているのは
彼らが優秀な武装能力の保持者であり
自分達のコミュニティを守ってくれる信じるからで
それがダメなら他の領主
できれば武勇の誉れが高い領地に夜逃げするだけだ

こう書くとたとえば農民がそんなに簡単に
自分の耕した農地を放棄するだろうかと思うだろう
しかしそれは現代日本の様に平和で
しかも農地の殆どが私有地の時代の視点である

騎士階級の支配する社会では農地は領主の所有物だ
しかもそこで耕せるのを保障できるのは領主でしかない

日本においては
江戸時代は領主(藩主)が徹底的に農民を土地に縛りつけ
そして幸運にも平和が長く続いたからこそ
農民が自分の耕した農地を放棄せずにいた

だが戦国時代はそうではない
弱い領主の国の農地は敵国に焼き払われ
農民は否応なく逃げ出すしかない

中世の西欧に目を向ければやはり
諸民族が入り乱れ領主や王族が自分の領地を武力で占有し
常にどこかで争いが起こり
戦国時代の日本と同様に庶民の移動が繰り返されている

そして結局は離合集散の内に
強力な領主の下に統合されていくのだが
とはいえ騎士階級を束ねるには
それなりの財力が必要であり
例えばハプスブルグ家の様な王家の統治する
封建国家が成立する

注意すべきはこれらの封建国家の国王は
国民を代表しているのではない
領地を統治していたのだ
そして国民は未だ登場せず領民が居ただけだ


しかし銃の出現によりそんな社会状況は一変する

何故なら銃は騎士階級の必要性を無くしてしまう
重装備で馬に乗った騎士はもはや恰好の標的だ
下手な鉄砲も数撃ちゃ当るの言葉通り
人数さえ集めればそれなりの戦闘集団が出来る
女性ですら例外ではない
イギリス軍に立ち向かったジャンヌダルクの手には
銃が握られていた

つまり騎士の戦闘能力の優越は完全に崩壊したのだ
そして庶民は
自分達で自分達を守る武器を手に入れる

日本では
信長の長篠の戦いでその優越性は認知されたが
だからこそ秀吉による刀狩りが行われ
家康による武家統治が可能となったが
しかしその徳川幕府を倒したのも結局は
薩長の一般兵による鉄砲隊だ

西欧ではより早くその影響が現れる
騎士は早々に没落し、領主または王家はなんとか
キリスト教会の精神的権威を背景に支配を確立するが
それは同時に国家という枠を強める事になる

いまや軍隊は質では無く量である
少数精鋭のプロの戦士ではなく
多少劣っても人数(銃の数)の多い方
視点を変えればより多くの人間を
軍隊として組織できる側が圧倒的に有利となる

そこで今まで戦力外だった庶民を
軍隊として組織する国家が出現するが
その結束力の強さが勝負を分けるのは必然で
とすれば統治者は彼らに
自分達を守る責務を要求しなければいけない

つまり自分達の「国」を守る為に
武装する「民」の出現である
ここに初めて現代でいうところの
「国民」という概念が誕生したといえる


こうなると「国民」がそれ以前の様に
領主の下に絶対服従であるワケがない
国家と国民の権利の衝突が始まる

また国家からすれば国民こそは国の財産であるから
その囲い込みを強める必要が生まれる
たとえば国家・国民としてのアイデンティティの啓蒙

この国民の囲い込みに最初に成功したのはイギリスだろう
もとから大陸のラテン文化とは距離のある島国であり
ローマ教会からの精神的離脱も
ヘンリー八世が結婚離婚を繰り返す為とはいえ
16世紀には成し遂げ

またその強権体質から多くの貴族を断頭台に送ったが
これが騎士階級の没落を早め
国民の目を直接国王に向ける要因ともなっている

つまりヘンリー八世は滅茶苦茶だったが為に
逆に国民による国王の監視
また続く国民主権への道を開いたともいえる

因みにヘンリー八世はフランスと何度も戦争しているが
最初は馬に乗って騎士軍団の先頭を駆けていたらしいが
後期は敵の城砦を砲撃で破壊するのを
後ろで眺めているだけだったそうだ

つまり彼の時代に確実に戦争が質が変化した
多くの貴族を排除できたのも彼らが要らなくなったからだ
そして続くエリザベス一世の時代以降のイギリスの繁栄が
フランス革命やプロイセンのドイツでの覇権
そしてヨーロッパ諸国の近代国家体制を生みだす

プロの戦士の時代の終焉
そして国民の軍隊の時代の始まりだ


実に「国籍」とはフランス革命前後の18世紀に
西欧で生まれた概念だが
国家は国籍を持つ国民の権利を国家の法で保障する事となり
それこそが国民が国家の安全に貢献する保障となる

つまり視点を変えれば
それ以前は誰もが「無国籍」だった
そして国民はその為に
「戦争」などという無駄をしなくてはいけなくなった



因みに歴史を読むと昔の戦争も悲惨だが
それでも現代の戦争ほどじゃない



プロの戦士が行う戦争は結果が見えればそれでおしまい
すぐに逃げるか敵に降参するだけで
間違っても旧日本軍の様に玉砕などしない
なぜなら統治者は戦士を維持する為に大金をはたいている
それを無闇に浪費するのは愚の骨頂だ

また確かに自殺する大将もいただろうが
それは逃げ帰れば責任を問われて処刑
敵に捕まれば殺されるのが確実だからで
一般兵士は捕まらずに逃げ帰っても誰も責めないし
たとえ敵に捕まっても最悪で奴隷に売られるくらいだ


しかし銃の時代の戦争はそうはいかない
自分ひとりで退却しようものなら
味方から敵と見間違われて撃たれかねない
また弾は前から飛んでくるばかりではない
下手な味方の鉄砲の弾が自分に当る確率もおおいにある

なので兵士は後ろから急き立てられながら
闇雲に敵に向って前進するしかなく
そして多くの無駄な戦死者が生まれる
そして統治者は兵士に質を求めていない
量さえ確保できればいいのだから
兵士の死の浪費に無頓着になりやすい



さてここからが私の本題だが
<現代の「国家」とは
まさに必要悪ではないのだろうか

勿論中世の封建国家に戻れとは言わないが
しかし現代の国民国家という概念は
それこそここ数世紀の産物であり
永遠に至高のものなどであるハズがなく

なのに何故それを有難がって
その為に生命を捨てるとか
それに殉じた人の魂を祭るだなどと
馬鹿な信念を押し付けようとするのだろうか

国家とは国民があって存在しえるのだ
その国民を国家の下に置きたいのなら
いっそ国家など捨てて
国民などやめてしまえばいいのではないか

8,Dec.13 (日) 04:28
備忘録として去年の9月以降のライブをリストすると
2012年
09/07 penguin house らりはsolo
09/15 難波ベアーズ los doroncos
09/16 ズートホーンロロ浜松 los doroncos
09/20 幡ヶ谷 forest limit los doroncos
10/04 earthdom los doroncos
10/22 penguin house らりはsolo
12/07 showboat los doroncos
12/16 ソウルキッチン los doroncos AC

2013年
01/11 国立地球屋 los doroncos
02/01 阿佐ヶ谷harnes らりはsolo
02/11 penguin house sevenZ
03/08 阿佐ヶ谷harnes らりはsolo
03/23 penguin house らりはunit
03/31 yellow vision sevenZ
04/04 四谷outbreak los doroncos
04/26 阿佐ヶ谷harnes los doroncos AC
05/01 penguin house らりはproject
05/17 国立地球屋(サミー追悼ライブ)らりはproject
06/01 penguin house らりはproject
06/16 yellow vision らりはproject
07/07 六本木新世界 らりはproject
08/13 showboat los doroncos
09/21 penguin house los doroncos
09/28 earthdom らりはproject
10/12 落合soup ドロンコ+らりは
10/20 yellow vision らりはproject
10/23 yellow vision らりはproject
11/01 新宿URGA los doroncos
11/04 penguin house らりはproject
11/30 国立地球屋 los doroncos
12/15 阿佐ヶ谷harnes らりはproject AC
5,Mar.13 (火) 12:55
Dance me To the end of love, by Leonard Cohen...

Dance me to your beauty with a burning violin
踊らせてくれ、きみの美しさに、燃え上がるバイオリンと共に
Dance me through the panic 'til I'm gathered safely in
踊らせてくれ、この熱情のあいだ、俺が無事に収まるまで
Lift me like an olive branch and be my homeward dove
俺をオリーブの枝の様に持ち上げて、そして家路への鳩となるまで
Dance me to the end of love
踊らせてくれ、愛の終わりまで
Dance me to the end of love
踊らせてくれ、愛の終わりまで
Oh let me see your beauty when the witnesses are gone
きみの美しさを観賞させてくれ、その証人達が過ぎ去った今
Let me feel you moving like they do in Babylon
きみの心の動きを感じさせて、奴らがバビロンでしたみたいに
Show me slowly what I only know the limits of
ゆっくり見せてくれ、俺だけがその限界を知っている事を
Dance me to the end of love
踊らせてくれ、愛の終わりまで
Dance me to the end of love
踊らせてくれ、愛の終わりまで


Dance me to the wedding now, dance me on and on
踊らせてくれ、婚礼の今、踊らせてくれ何度も何度も
Dance me very tenderly and dance me very long
踊らせてくれよ優しく、そしてとても長く
We're both of us beneath our love, we're both of us above
俺達はお互いに俺達の愛の下、お互いにその上に
Dance me to the end of love
踊らせてくれ、愛の終わりまで
Dance me to the end of love
踊らせてくれ、愛の終わりまで

Dance me to the children who are asking to be born
踊らせてくれ、何故生まれたのと訊く子供たちへと
Dance me through the curtains that our kisses have outworn
踊らせてくれよ、カーテンの向こう、俺達のキスが着古されて
Raise a tent of shelter now, though every thread is torn
避難所のテントを上げるんだ、全ての糸が千切れたとしても
Dance me to the end of love
踊らせてくれ、愛の終わりまで

Dance me to your beauty with a burning violin
踊らせてくれ、きみの美しさに、燃え上がるバイオリンと共に
Dance me through the panic till I'm gathered safely in
踊らせてくれ、この熱情のあいだ、俺が無事に収まるまで
Touch me with your naked hand or touch me with your glove
お前の素手に触れさせてくれよ、それともお前の手袋に
Dance me to the end of love
踊らせてくれ、愛の終わりまで
Dance me to the end of love
踊らせてくれ、愛の終わりまで
Dance me to the end of love
踊らせてくれ、愛の終わりまで
5,Feb.13 (火) 20:50
愛情ってどんな色なんだろう
「そりゃ幻想だもの、どんな色にだってなる」

数日前に友達が逝った
昔バイトを紹介した時に
雇い主がどんな関係と訊くので
「知り合いです」と応えたら
私の腕を引いて「友達だろ」と彼はいい

裏表が無いんじゃなく
そんなことは自尊心が許さない
そんな男

二人でレコードを聴いている時
私が拍子をとっていると
またドラムを叩いてると目をギロリ
聴く時は聴くだけに集中しなきゃ

よく私の事を「また回ってる」と
理屈を捏ね回している間に
また最初に戻ってしまってるとね

ほんの暫くの間
少しそばで時間を共にしただけなのに
あまりにも大きな
・・・
6,Dec.12 (木) 22:47
ユツベにあった
throbbing gristle と antony hegarty のこの曲をたまたま見て
ヤケにあっさりしすぎだとも思い
でも思い返せば私も
NICO の歌詞の意味は未だよく理解できていないんだよね
そこでネットで歌詞を調べて

久々にヘタ訳を

/Janitor of lunacy/狂気の管理人が/
/Paralyze my infancy/私の幼児期をくもらせる/
/Petrify the empty cradle/空っぽな揺り籠をすくませて/
/Bring hope to them and me/ヤツらと私に希望を持ってきては/

/Janitor of tyranny/暴政の管理者が/
/Testify my vanity/私の虚栄を暴き出し/
/Mortalize my memory/私の記憶を死へと導く/
/Deceive the devil's deed/悪魔との証文を欺いて/

/Tolerate my jealousy recognize the desperate need/
/私には捨て鉢な嫉妬が必要なのだと認めてくれないか/

/Janitor of lunacy/狂気の管理人が/
/Identify my destiny/私の運面を決定づける/
/Revive the living dream/生きる夢を再現しながら/
/Forgive their begging scream/そんな乞い叫ぶ声を許してやると/

/Seal the giving of their seed/それらの種の恵みに封をして/
/Disease the breathing grief/悲痛な息づかいに冒されながら/

実は Janitor ってナゼか Junitor と思ってて
そんなの意味わかんない、とずっとおもっていたんだけど
なるほど Janitor 管理人なら、なんとなく・・・

なんとなく親父さんがナチに殺されたと
ナゼか言い張ってた彼女なら
それもそんな意味なのか?

いやそれとも例えば Frozen Warning の様に
かなりイメージ先行で実は意味など求める事自体が無意味なのか

いやでも私にはこれは歌えないな
マダマダ・・・
31,Aug.12 (金) 20:32
自宅に帰って音源調べたらもう少しあった
備忘録・・・2012年やったライブ前半
01/21 七針 los doroncos AC
01/25 outbreak los doroncos
02/05 大久保水族館 sevenZ
02/11 Yellow Vision los doroncos AC
02/16 earthdom los doroncos
03/18 penguin los doroncos
03/30 penguin house los doroncos
04/20 outbreak los doroncos
04/29 七針 los doroncos
05/18 penguin house los doroncos AC
05/19 penguin house らりはunit
05/25 地球屋 los doroncos
06/02 earthdom los doroncos
06/16 club water sevenZ
06/18 earthdom sevenZ
07/04 penguin house らりはsolo
07/05 yellow vision los doroncos AC
07/18 three los doroncos
07/28 soul kichen los doroncos AC
08/02 penguin house らりはsolo
08/14 showboat los doroncos
08/28 last waltz los doroncos
08/30 penguin house らりはsolo
でも確か los doroncos で録音失敗のライブが未だあったような・・・???
31,Aug.12 (金) 17:37
備忘録・・・2012年やったライブ前半・・・しかし未だナニか抜けてるな?
01/21 七針 los doroncos AC
01/25 outbreak los doroncos
02/05 大久保水族館 sevenZ
02/11 Yellow Vision los doroncos AC
02/16 earthdom los doroncos
03/30 penguin house los doroncos
04/20 outbreak los doroncos
04/29 七針 los doroncos
05/18 penguin house los doroncos AC
05/19 penguin house らりはunit
05/25 地球屋 los doroncos
06/16 club water sevenZ
06/18 earthdom sevenZ
07/04 penguin house らりはsolo
07/05 yellow vision los doroncos AC
07/28 soul kichen los doroncos AC
08/02 penguin house らりはsolo
08/14 showboat los doroncos
08/28 last waltz los doroncos
08/30 penguin house らりはsolo
1,Feb.12 (水) 14:05
そもそもバグとは何か?


狭義では
ソフトウェアを作る時に
その目的とする動作とは違ってしまう間違い
を指す

しかし現代の複雑化したシステムでは
そもそもの目的とする動作、すなわち
仕様は正しいのか?
その判定自体が難しくなっている

例えば
ある技術者が携帯に
革新的な新機能を追加する技術を開発した
確かにそれにより格段に便利になるのだが
CPUの消費電力が大幅に増えて
外出中にすぐに電池切れになってしまう

もしこれを無視/気づかずにリリースすれば
非難殺到する事は間違いないのだが
(siri 騒動)

すなわちこれが仕様バグだ

そこで現代の広義では
ユーザが害を被る事象の全てを
バグと呼ぶようになってきた


最近の身近な例では
docomo のパケット交換機の切替え時に起こった
通信障害がまた違うバグの例である

docomo は
スマートフォンの利用者が増えた事は
認識していたが
そのユーザが
制御信号を多用するアプリを使っている事までは
考慮していなかった
その為に(より高機能なハズの)
パケット交換機に切換えた瞬間に
制御信号が殺到してオーバーロードが起きた
という事だ

つまり制御信号の急激な増加への対応を考慮せずに
新型の交換機に切換えた事自体がバグなのだ


さてここで問題になるのは
そもそも全ての起きうるかもしれない障害を
事前に想定する事は可能か?
という点だ

少し狭義のバグに戻り
ここにそれを修正しようとするプログラマがいる
彼はその原因を突き止め
その修正版のアプリをリリースした

ところがあるユーザからクレームを受け取る
このユーザのコンテンツは
バグの副作用で偶々生まれた効果を
利用していたのだ

つまりはバグの修正であろうとも
そのユーザにとっては
自分の作成したコンテンツの無効化
すなわち非互換性というバグになってしまったのだ

技術者であれば一度はこんな事に遭遇のだが
これこそが本当の意味での「想定外」である

人間とはたとえ不都合な事であろうとも
その不都合さを利用する知恵がある
しかしそれは全ての人に於いてではなく
なのでバグを利用した側を優先すれば
他の大多数は不都合を被るままになってしまう


さて「想定外」と言えば
福島の原発事故を語らないワケにはいかない

当初東電は
その原因を想定外の巨大津波であると弁明した
確かに津波があれ程でなければ
これほど深刻化しなかったのかもしれない

しかしそうであるならば今後
原発について起きるかもしれない
全ての事態を想定する事は
またその事態に対応した予防策を取ることは
可能なのだろうか?

いやそれ以前に
たとえ想定外であっても
原発は事故を起こしてはいけない存在
ではなかったのか?

「原発は安全」という信頼が神話化していた
この事自体が社会のバグだったのではないのか

原発安全神話が
その利益を得る都市生活者の免罪符として
また危険と背中合わせに住む原発周辺住民の
危機感への麻酔として作用していた

それがバグだったのではないのか


なのでこう言おう

原発が今後事故を起こさない為には
想定外の事態には絶対に遭遇してはいけないのだが
それは不可能だ

とすれば原発は今後もまた事故を起こすかもしれず
その可能性は決してゼロではない

なので原発を存続させるとは
その危険性を容認するという事だが

それでも存続させようとする人間がいる

冗談じゃない

ヤツらこそ

バグだ


2,Nov.11 (水) 11:45
先月末にはまたひとつ終末が来たらしい

だが一向に世の中が終わったと思えないのは
そんなマヤ暦の終わりくらいで終われる程
世の中はヤワじゃない
という事か

思い出すのは前世紀末のノストラダムス
散々聞かされた
拡声器からの「神の国」というアジテーション
さすがに少しはうろたえたが

今世紀になって 9.11 からのテロ戦争の10年間
確かに「神」をめぐっての争いの日々

そして今年は 3.11 ってワケだ

人間は都合が悪くなると
例えば「巨人の星」のオヤジの様に
後はどうでもいいからちゃぶ台をひっくり返して
一度チャラにしてしまいたくなるようで

キリスト教も例外じゃなく
イエスが唱えた「神の国が来る」という福音を
広く述べ伝えるのが
最初期のイエス運動だったと思われるが

この「神の国」は
日本人が考える「天国」などではなく
或る日、神様がやってきて
それまで生きていた全ての人間に審判を下す
その最後の審判の事を指している

The Judgement Day

つまりは
それまでの人間の世界がチャラになって
生死を問わず全ての人間が
神の前に悪であれば投げ捨てられ
善であれば神の国に入れてもらえる

だからキリスト教徒になりなさいと

なのでキリスト教徒は死体を土葬にする
最後の審判の日に灰じゃ困るから

しかし
イエスが磔刑になっても
神の国は来なかった
その後10〜20年経っても

そこでパウロは考えたのだろう
「主の前に生贄となったイエス」
という新たなドグマを

しかしパウロも
神の国信仰を捨てたわけではなく
その遅延の間のドグマを提供しただけだ

そして2000年が過ぎ

多分今年も年末には拡声器で
「神の国が来るから悔い改めよ」
とお叱りの怒声が鳴り響くのだろう

キリスト教原理主義者は
人為的に世の中をチャラにすれば
神の国が来ると信じてるかもしれず
またその実力もあり

じゃなくても僕らは
毎日、何ミリシーベルトだと脅されて
そろそろなんとかしてくれと
ちゃぶ台をひっくり返したくなっちまう

でもね
早まっちゃいけないよ
ひっくり返されたちゃぶ台の上にあったモノは
結局おねいちゃんがゴミ箱に
投げ捨てるだけなんだから