in Factory |
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ところで Velvets にとって NICO はちょっとやっかいな存在だったに違いない。 | |
例えば Sterling Morrison にいわせれば「問題は彼女が唄っている時じゃない、彼女が唄っていない時なんだ」 つまり Velvet Underground は NICO が参加する以前からすでに一つの完成したバンドであり、本来彼女のいる場所はなかったハズなのだ...しかしファクトリーのスタッフの評価はちょっとちがっていた。彼らにとっては Lou Reed はステージでは恥ずかしがりやで、しかも性格的に問題が多いと目されていた。つまりもっとバンドを印象づけるボーカリストが必要だったのだ。そこで Warhol はすでに Lou Reed のレパートリーだった All Tommorow's Party を NICO に唄わせ、かつ数曲を彼女の為に書くことを要求した。しかしそれでも全てを NICO が唄えるわけじゃない...そしてステージの上でほんの数曲を唄った後、延々と続く演奏の間タンバリンを持ったまま立ち尽くす Velvets の ICON が誕生した訳だ...John Cale は言う 「バンドは金髪の美しい彫像を得たんだ...それは本人達はきづかなかったけど、本当はすごく重要なファクターだった」...勿論それは彼女の望む状況ではない... |
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とにかく彼女は Velvets のデビュー・シングル All Tommorow's Party とアルバム Velvet Underground And NICO を残して、登場した時と同様にいつのまにかバンドから姿を消す...さてここまでの彼女のリリースした音源について少しまとめてみよう... |
'65 |
I'll Keep It With Mine |
demo take |
written by Bob Dylan, also play piano |
Aug '65 |
I'm Not Sayin' |
single A side |
written by Gordon Lightfoot produced by Andrew Oldham Jimmi Page played 12 string guitar |
The Last Mile |
B side |
produced & played by Jimmi Page | |
'66 |
All Tomorrow's Parties |
single A side |
with Velvet Underground |
I'll Be Your Mirror |
B side |
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'67 |
Femme Fatale |
single B side |
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All Tomorrow's Parties |
VU 1'st Album |
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I'll Be Your Mirror | |||
Femme Fatale |
残念ながら'65年のデモ・テイクは入手困難だが、 I'm Not Sayin'/The Last Mile は Classic Year / NICO に収録されている。また All Tomorrow's Parties の single version は Box Set/PEEL SLOWLY AND SEE で聞く事が出来る。実は未だ Classic Year を入手していないのだが、I'm Not Sayin' は上記で Moe もふれている NICO ICON という映画(ヴィデオでも入手可能)でそのヴィデオ・クリップを見る事ができる。ほんの短いカットだが、当時の未だどちらかといえば活発な感じの彼女の動きと Jimmi Page の弾く12弦ギターの音がとても心地よい。 |
ところでこの頃の Warhol と NICO または Velvet Underground の関係について考えてみたい。一般に Warhol の作品として最初に思い浮かべられるのはシルク・スクリーンで描かれたマリリン・モンローやプレスリー、またはトマトの缶詰等のポスターだろうか。よく見慣れた人物または映像、そしてそれが画面の中で執拗に繰り返される事のミニマム的効果、そしてなによりもそれが芸術作品として提示される事自体の不可解さ...よくしられているように彼の作品は自身が筆をとったものではない。すなわち Factory のスタッフが手がけ Andy Warhol というブランドとして発表されたものである。その事自体前時代の技巧に基づいた芸術を否定している...つまり工場(Factory) から芸術を出荷したのだ... |
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同様にニューシネマとして発表されている彼の数々の映画もその様な Factory の中で毎日一本づつといった、殆ど日常作業といった趣きで制作されていたようだ。つまり常に廻されるフィルム、そしてカメラ・テストとなずけられた被写体へのあけすけな視線の強姦によって...Velvet の演奏もこの Factory の中で延々とセッションが繰り返され、その模様は容赦なくフィルムの被写体として収められたらしい。つまり 彼らとて N.Y. の隅っこから拾われて Warhol 工場の中で加工/濾過されて世の中に Warhol ブランドの製品として発表されたプロジェクトの一つととらえられていたのである。このあたりの事情はまったくの駄作ではあるが映画 I Shoot Andy Warhol を見るとなんとなくうかがう事ができる。つまり Warhol は当時の N.Y. に点在していたすぐれて先鋭的、しかしあまりに粗野なオブジェを Factory にもってきて、それを実に巧妙に芸術産業にプロモートしたといっていいだろう。そしてその最高傑作のひとつが Velvet Undergound であり NICO であったといえる... |
当時の swinging London を象徴する番組 Ready Steady Go の事。それまでモデルや女優という分野で活躍していた彼女が最初にシンガーとして進路を変えた分岐点としていいだろう。ちなみにこのU.Kでのデビューのきっかけは Cobby Broccoli (映画007シリーズ の Terence Young の共同プロデューサー) が催したパーティーでショービジネスの企業家 Jo Lustig に「わたしシンガーになりたいんだけど...」って頼んだ事が始まりで、その数週間後には Ready Steady Go に出演しちゃたというエピソードがある。それから考えるにシングル・デビューはその後の事かもしれない。 | |
ところで N | i | c | o . W | e | b . S | i | t | e で左のような写真を見つけた。 そう、Brian Jones と仲良く(多分)コンサートに出かけた時のツーショット。 Brian の元気そうな様子からも‘60年代当時の写真に間違いないだろう。 でも目だってますよね。 |
NICO を Warhol に直接紹介したのは Richard Williamsによれば Gerard Malanga だという。Gerard Malanga は詩人、また Warhol のプロデュースした初期の Velvet Underground のステージ "Andy Warhol, Up-tight" 等で Edie Sedgwick と一緒に奇妙なダンスを披露していた事でも有名。当時 Bob Dylan も Factory にはよく立ち寄っていたようで...そんな関係から NICO と知り合ったとも推測出来る。もっともこれには色々な証言があって、すでに London で Brian Jones を介して会っているという説もある。 |