Galaxie 500


1981年、New York の High School 時代からの友人であった Dean と Damon が共にケンブリッジ大学に進んだころから、G500の物語は始まる。 プロのJazz シンガーを母親に持つ Damon Krukowski は幼い頃からピアノやギター等に接する機会は多かったようだが、ドラムを最初に演奏したのは High School を卒業するほんの少し前のことで、大学に入学当初は自分のドラムセットは持っていなかった。そこで友人からドラム・セットを借りると、やはり New York の High School 時代からの友人をベースに加えて3人でバンドを始めた。当時の彼らはごたぶんにもれず、その頃学生の間ではやっていたパンク(Pistols,Clash,Joy Division...etc)のカバーを演奏していたようだ。
 
 
翌年やはりケンブリッジに入学してきた Naomi は当初バンドのポスター等のグラフィック関係を手伝うようになるが、この頃はまったく楽器をさわる事はなかった。元々建築家を志していた Naomi にとってこの時期の彼らは、彼女のデザイン・センスを活かす媒体としての興味しかなかったのかもしれない。 やがて大学を卒業した彼らは、Damon は英語の Naomi は建築学の大学院生としてケンブリッジに残り、 Dean は New York に戻り大学の図書館に勤めたりと、しばらくの間は別々の日々が続くことになる。
その後も Damon、Dean ともに音楽活動は続けていたが、しばらくするとお互いに一緒に演奏しているバンドにあきたらなくなって、再度一緒にバンドを結成する事を思い立つ。そこで Dean と Damon は Village Voiceにベーシストの募集を行ったりしてみるのだが、どうもぴったりのベーシストがみつからない。 ある日 Dean が ケンブリッジに Damon を訪ねて相談しているとき、Naomi が突然「誰もベーシストがいないのなら私がやるよ!」 って言い出した。 それまで楽器なんて触った事もなかった彼女にすれば本当にちょっとしたきまぐれだったのかもしれないが、それが G500 の伝説の始まりとなる。
 
 
Invitation th the 1'st show '87 
11,Aug'87 6/8 Studio, New Yourk 
Engineered by Perkin Barnes. 
  • Walking Song 
  • The Other Side 
  • On the Floor 
demo casset '87 
1987年の夏 New York に集まった3人は Dean の両親の家でリハーサルを繰り返しながらその夏をすごしたり、スタジオでのデモ・テープ(これはかれらの BOXセットで聴くことができる)を録音したりしているが、 それは彼らにとってとても新鮮な驚きを与えたようで、その夏 Dean は再度ケンブリッジに戻って Damon & Naomi とバンド活動を始める事を決心する。 記念すべき彼らの最初のライブは Front St にある Dean のアパートで友人達を集めたさよならパーティであった。
その年の秋にケンブリッジに戻ってきた彼らは FORD の60年代モデルの車の名前からバンド名を Galaxie 500 と名付けて活動を始める。Damon & Naomi は共に大学に戻ったが、3人の練習はコンスタントに続けられ、何度かのギグを行う内にWHRBといったラジオ局で紹介されたり等彼らの名前も徐々に知れ渡るようになり、自信をもった彼らは87年の終わり頃には自分たちのレコードを作る事を決意する。彼らがKramer と出会ったのはちょうどこの頃だった。 1988年2月、ファンジンで Kramer の事を知った彼らは早速電話でコンタクトをとると、彼のスタジオ Noise New York へと向かった。彼らのレコーディングに立ち会った Kramer は彼の色々なアイディアをこのバンドの音にほどこす事に興味を覚えたようで、それが Galaxie 500 のサウンドを決定する事となる。 
Kramer`89
レコーディングの出来が気に入った3人は早速そのテープを10程のインデペンデント・レーベルにデモとして送るが、やがて当時 Taang Record にいたMarc Albini から自分のレーベル Aurora の最初のアーティストとして彼らのシングルをリリースしたいとの申し出を受ける事になる。1988年5月最初のシングル Tugboat はこうして Aurora からリリースされた。
 
Feb'88 Noise New York. 
Engineered by Kramer. 
  • Tugboat 
  • King of Spain 
  • Oblivious 
  • I Can't Believe It's Me 
Tugboat blue 7"'88 
July'88 Noise New York 
Engineered by Kramer 
  • Flowers 
  • Picture 
  • Parking Lot 
  • Don't Let Our Youth Go To Waste 
  • Temperature's Rising 
  • Oblivious 
  • It's Getting Late 
  • Instrumental 
  • Crazy 
  • Jerome 
  • Son in 3 
それからほどなく Marc Albini から再度 EP の制作を受けた彼らは 7月に再度 Noise New York に集まった。この時のセッションは初日に全ての曲のベーシック・トラックを録音し終わると、翌日にはボーカルとリード・ギターを録り終えるというかなりスピーディーなもので、殆どのテイクが 1'st Take のみで済んでしまったようだが、その後一人スタジオに残った Kramer は彼の色々なアイディアをそのテイクに施して後日メンバーを驚かしている。 
Today`88
 
結局フル・アルバムに充分な曲がそろったこのセッションは1988年10月に Aurora から彼らの最初のアルバム Today としてリリースされる。
 
さてこの頃の彼らのステージの日程を少し記録しておこう。
Today release party`88 
1988年11月 with Half Japanese at Green St. Station
  with B.A.L.L. at Hampshire College
  with Pussy Galore at Maxwell's
1988年12月 at Axis
徐々にではあるが、彼ら自身の活動範囲がひろがっていくのがわかる。 
 
 
1989年になると2月には Slash Records へのデモとしてまた Noise New York に集まったバンドは 8曲ほどをやはり3日で録音し終わると4月には B.A.L.L. や Flaming Lips 等と Boston や New York でライブを行うようになるが、この頃には New York での知名度もかなりあったようだ。 
Dave with Dean`89
 
4月から Dave Rick をマネージャとして雇うと短いU.S.ツアーを行っている。が、このツアーは各地でショーのキャンセルをくらったり、たった10人程の前で演奏したり等散々のツアーだったようだ。この頃には Rough Trade(UK)から Today がリリースされており、Melody Maker 誌に絶賛されたりと、U.S.以上にヨーロッパでの彼らの人気は高まっていたようだ。
 
Feb'89 Nose New York 
Engineered by Kramer 
  • Strange 
  • When Will You Come Home 
  • Leave the Planet 
  • Plastic Bird 
  • Cold Night 
 
Aug'89 Nose New York. 
Produced and engineered by Kramer. 
  • Blue Thunder 
  • Tell Me 
  • Snow storm 
  • Decomposing Trees 
  • Another Day 
  • Isn't It a Pity 
  • Blue Thunder w/sax 
  • Victory Garden 
  • Ceremony 
  • Maracas Song 
On Fire(`89)
1989年7月 Shimmy Disc night でのライブを終えた彼らは2枚目のアルバムの録音の為に Noise New York に入るが、この時には U.S.でのアルバムのリリースも Rough Trade と契約する事に決心していたようである。 このレコーディング・セッションは Naomi にとって非常に印象深いものだったようで、その完成テイクを自宅のカセット・プレイヤで聞いた時の感激が彼女のG500での一番最良の想い出だともいっている。On Fire は Melody Maker ばかりか Rolling Stone 誌にも取り上げられ絶賛されている。
 
また Blue Thunder(EP) を UKでのみリリースしたり、このころからヨーロッパ中心の活動が目立ち始める。またその頃には大学院を続ける事をあきらめた Damon & Naomi もバンド活動に全力を集中させ始めている。その後10月からのヨーロッパ・ツアーはU.S.ツアー同様に結構大変なツアーだったようだが、反応は格段によかったようで、最後のロンドンでのショーを終えた頃にはその評判が Sunday New York Times 紙にも報道された程だった。
Blue Shunder EP`90
 
 
 
This Is Our Music `90
 
なおこの頃のヨーロッパ・ツアーには、ペイできる時に限られたようだが、Kramer もサウンド・エンジニアとして同行する事が多かったようだ。1990年2月に再度イギリス・ツアーを行った後、春に New York に戻りついた彼らは最後のアルバムとなる This is Our Music のレコーディング・セッションを行っている。この時のセッションもそれまでと同様に極短い日数(8〜9日間) で済ますと、ヨーロッパでの幾つかのフェスティバルに出演するが、Glastonbury でのフェスティバルでは 40,000 人もの観客の前で演奏したり、外見はバンドは順風のようであったが、Dean と Damon & Naomi の間にはすでに本人達はそれと気づかない何らかのわずかなズレが生まれていたのではないだろうか...?
そのせいとは思わないが、Damon & Naomi の最初の2りだけのプロジェクト Pierre Etoile もこの頃のバンドの休みの間を利用して録音されている。 This Is Our Music が秋にリリースされた後短いU.S.ツアーと1ヶ月間のヨーロッパ・ツアーの後1991年3月の Cocteau Twins とのツアーを行うが、ボストン大学でのツアー最後のステージが結局 Galaxie 500 の最後のステージとなってしまった。Damon は G500 Box Set のライナノーツでこの突然の解散劇を、徐々に成功に向かっていたバンドの状態の捉え方に Dean と Damon & Naomi の間で違いが生じてきたための結果ではなかったのかと回顧している。それは彼の優しさを表すひとつの感想であるような気もする。とにかく一つの物語がある日突然終わりを迎えた。それは数多くの魅惑的なステージを共にした友人との友情の突然の変質として Naomi の心に今なお深く傷として残っているかもしれないが、私は彼らのファンの次ぎの様な言葉を Galaxie 500 にささげてこの文章を終わりたい。
 
Jun'90 Nose New York. 
Produced and engineered by Kramer 
  • Fourth of July 
  • Hearing Voices 
  • Spook 
  • Summertime 
  • Way Up High 
  • Listen, the Snow is Falling 
  • Sorry 
  • melt Away 
  • King of Spain(part two) 
  • Here She Comes Now 
  • Cheese and Onions 
  • Them 
  • Final Day 
あと20年もすれば Velvet Underground みたいに Galaxie 500 reunion としてステージをやってくれるにちがいないさ...