フィンローダのあっぱれご意見番

第54回:何のための科学

初出: C MAGAZINE 1996年10月号
Updated: 1996-10-18

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 最近は切符の自動販売機は珍しいものでもないが、同じ切符といっても一部で はなかなか自動化されない分野がある。つまり、近距離の切符は殆ど自動化され ているのだが、いざ指定券でも取ろうとすると、緑の窓口などに言って、係員と 口頭でいろいろやりとりしなければならないのだ。

 係員は、コンピュータの端末を操作するだけである。利用客が直接端末を操作 できないのは、その操作に専門的な知識がいるから…と言いたい所だが、今時、 コンピュータの操作がそれほど専門的なものかどうか考えてみて欲しい。実際に みどりの窓口で係員が端末を操作しているのを見ても、それほど難しい操作をし ているようには思えないのだ。Windowsを使いこなしたり、Webブラウザの操作で 品物を注文できるレベルの知識があれば、切符の予約をする程度の操作もできそ うである。銀行のATMから振り込みする程度の手間で、利用者が直接切符の予約を 取るような機械なら今でも実現可能のように思えるのだ。

 とは言っても、実際にそれを行うとなると、専用の販売機の設計やら何やら大 変なわけで、ホストの変更も必要になるかもしれないし、ネットワークも大規模 な改造が必要になるかもしれない。それに、駅で仕事として端末に向かっている 人は、おそらくそれなりの教育とか研修を受けて操作をしていると思われるし、 一年中その業務を行ってノウハウを蓄積しているはずである。一年に数度しか使 う機会のない利用者に直接端末を操作させる場合は、よほどうまく設計しないと、 どうやって使えばよいか分からない謎の機械になってしまうだろう。

 利用者のばらつきも問題になりそうである。複雑な手順になると、簡単に使え る人と、全然使えない人が出てくるものである。このように検討課題が山積みと いうことになると、現状で何とかなっているのだからこれでよいだろうという安 易な発想も捨て難いのかもしれない。結局、以前の方が便利だった、という結果 になってしまうと何をやっているか分からないし。


 最近、JRの切符の自動販売機にニューモデルが登場している。最近といっても、 初夏の頃には結構あちこちで見たわけだが。この自動販売機が、どうも私と相性 が悪い。いや、使い方が分からないというのではない。流石にそんなことはない。 ではどう相性が悪いかというと、私が切符を買おうとして行列に並んだ時に、直 前に並んだ人が立往生することがどうも多いような気がするのだ。つまり、左右 の行列がどんどん処理されていくにもかかわらず、私が並んでいる行列はhaltし てしまうのである。

 この自動販売機のどこが分かりにくいかというと、別にどこも分かりにくくな いのだが、問題はタッチパネルにあるらしい。今までの自動販売機にはボタンが 付いていて、切符を買う人はボタンを押せばよい仕組みになっていた。タッチパ ネル型の販売機の場合、ボタンがないのである。ま、画面を押すのだから当然な のだが。するとどうなるか。切符を買おうという人は、まず、お金を入れる。こ れは割と誰でもできる。次が問題である。何か押したいのだが、ボタンが見当た らない。ここでフリーズしてしまうのだ。

 画面デザインにも問題があると思う。銀行のATMだと、やはりタッチパネルのも のが多いのだが、あまり立往生する人はいない。慣れの問題もあるかもしれない が、経験的には、画面上に表示されるボタンのデザインが、現実のボタンに似る ように工夫されているものが多いようである。これに比べると、JRの販売機は、 ボタンというイメージが少し弱いような気がする。いや、もしかすると、やはり 利用者が今まで「ボタンを押す」という操作にあまりにも慣れてしまったため、 押すのはボタンという先入観が染み込んでいて、画面を押すということに気付か ないのかもしれない。

 で、とりあえず、このような列に並んでしまった時は、「ここを押すのですよ」 と教えると、それはそれで瞬時で理解するようである。だから、単に慣れれば済 むという話なのかもしれないが、それにしてもいまいち納得できないな自動販売 機である。


 さて、これで話が終わるかというと、そんな単純なものではない。この自動販 売機はもっと奥が深い問題がある。まず、少し前から話題になっていたが、盲人 はタッチパネルを操作できないという問題がある。ATMのタッチパネル化が始まっ た時にも、盲人が手探りで操作することができない、ということは指摘されてい た。この問題を解決するために、タッチパネルの上にわざわざガイドになるよう なテンプレートを置くタイプのATMがあるらしいが(私は見たことがないが)、だっ たら最初からボタンにしておけばよさそうなものだ。でも、JRの自動販売機には テンプレートなど付いていない。盲人のための小さなテンキーが用意されていて、 これを使うことになっている。実際に使ってみたが、反応が遅くて妙に使いにく かった。

 科学が進歩して、社会に適応する人がだんだん少なくなる、というのは変な現 象である。これじゃ何のための科学なのか分からない。そもそも科学というのは、 適応する人を増やす方向に使うべきではないかと思うのだ。

 まあそれはよいとして、もう一つ、どうも変な問題が残っているのである。実 は、私はこの自動販売機で目的の切符を買うのに失敗したことが、今までに二度 もあるのだ。なお、このタイプの自動販売機を使った経験は数回しかないので、 かなり高い確率で、思った切符が買えなかったことになる。ちなみに、私は眼鏡 があれば運転免許にパスする程度の視力はあるので、見えないためにボタンを押 し間違った、というのではない。では、一体何がどうなっているのかというと、 多分、次のようなことが起きているのである。

 この自動販売機は、fig.1のように画面上にボタンが表示されている。なお、正 確には、120円とか150円という箇所は、金額の表示ではなく該当駅の駅名がその まま表示されていたと思う。話が逸れるが、駅名が出せるのなら、全部の駅名を 五十音順に表示して、そこを押せばいいだけ、という程度までユーザーインター フェースを変化させてもよいような気もするのだが…ちょっと画面に入りきらな いような気もする。設計者もそこを気にしたのかもしれない。

---- fig.1 ----

   +-------+-------+-------+
   | 120円 | 150円 | 160円 |
   +-------+-------+-------+

 さて、ここで150円の切符を買おうとする。150円と書いた所を押せばよい。タ ッチパネルだから、押すというよりも、触るというのが正しい。単純な操作であ る。しかし、出てくるのは120円の切符なのだ。なぜか。150円と書いた所に触る といっても、そこにいきなり手や指が出現するわけではない。私は魔術士ではな いからだ。だから、手を販売機に近付けていって、最終的にそのボタンの上に指 が来るように、腕や手や指を動かすのである。その過程が、150円という表示の上 を、垂直に近付いていくような軌跡を描くのなら多分問題ないのだ。しかし、現 実問題として、そのような器械体操の規定演技のような行動を常に取れるとは限 らないのである。大抵は、少し斜めから、120円とか160円と書いたボタンのどち らかに近い箇所を押すように指を動かす、という感じになるのだ。私の場合、ど うも左から右に向かって手を動かす癖があるらしい。

 タッチパネルにもいろいろ種類があるのだが、JRのこの販売機に付いているタ イプの場合、圧力を関知するのではないようで、パネルに指が触る直前で既に触 ったという判定になっているようなのだ。すると、120円の方向から向かって150 円のボタンを押すような動作に入った場合、感度がすごく高いと、120円のボタン の上に指がある状態で、押されたという判定が出てしまう可能性がある。そして、 私の場合は、まさにそういう状態になったらしいのである。だから150円の切符が 欲しいのに、120円の切符が出てきてしまう。

 さて、出てきた切符が違うと、これはまた困った話で「切符が違う」というボ タンはどこにもないのである。駅をうろちょろして駅員を見つけて、この切符は 買いたいものではないと言ったら、その場合は、販売機の所にあるボタンで「呼 び出し」を押してくれと言われた。すると、人が出てきて応対するようなシステ ムになっているらしい。さて、販売機を見ると、既に長い行列である。都内はい つもこうだ。となると、わざわざ呼び出しを押すためにこの列に並ぶ度胸はちょ っとない。

 じゃあどうしたかというと、そのまま電車に乗ってしまうのである。150円のつ もりで買った切符が実は120円だったのである。逆だったらちょっと困るが、出る 時に30円足して清算すればよいのだ。

 このように自動販売機を入れ替えて、誰がどんな得をするのか知らないが、利 用者の手間が増えるようでは全くもって何のための科学か分からない。機械に人 間が踊らされている。全く変な時代になったものだ。


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