入院日記

岩田さんが入院生活を綴る日記です(2003年10月)。

10月20日(月):入院1日目(この記録はメモを元に10/23に記載)

 痛みで5時に目が覚める、自室から這って移動しトイレに行きシャワーを浴びる、もうこれも困難になっている。左足はほとんど力が入らず、もぞもぞと動くだけ、右足の力も弱くなっている。
 本日入院なので、罹りつけのN医院のN先生から処方された薬は昨晩から飲んでいないので、背中の痛みが強くなっている。10時に母親にN先生のところに行って貰い紹介状を頂き、紹介を受けた総合病院整形外科に母親と二人でタクシーで向かう。病院に着き車椅子に移る、車椅子とも長い付き合いになる気がする。足に力が入らないのでスリッパを履くことさえ困難、スリッパに思わずあたるが、何の意味があることやら。諦めて靴下のまま車椅子に乗る。総合受付後、整形外科受付に回るが待合室に40名以上も待っているのに仰天、実は総合受付の方にも待っている方がいるので、50名を超える待機する方、担当医の方が4名なので先は長い。やはり3時間ちょっと待って、2時に整形外科A坂先生の診察が始まる。問診後、直ちにレントゲンを撮るように指示があり、15枚ほど撮影を行い、再び整形外科の待合室に戻ると、間もなくA坂先生の再度の診察。診察の結果、検査入院と言うことになる。
 採血や採尿を行い、整形外科病棟の4人部屋にそのまま移動、ベッドに移り検温38.1℃と高め(平熱が36.5℃ほどなので)。入院準備は済ませてきたので、母親はこの時点で帰宅。病室でベッドで食事も摂るが半分も食べられず、痛みと熱の対応で座薬を入れてもらう。寝るのだが良く寝付けない、何か朦朧とした感じ。

10月21日(火):入院2日目(この記録はメモを元に10/23に記載)

 5時半に起床、何か楽になった感じ、7時検温で36.7℃、ほぼ平熱に近づいた。朝の食事も食べられた。9時に車椅子でトイレに、昨日は看護婦さんに補助して貰ったが、今日からは一人で行くことにした、トイレを含めて車椅子の移動なので自宅療養よりも遥かに楽になっている、これが入院の有難さかな。元より今までも自宅は寝るだけの生活だったので、入院でもあまり気にならない、困るのは本が無いことぐらいか。
 看護婦さんより本日の検査予定を聞く、また点滴(ステロイド剤)と服薬(ボルタレン=痛み止めと、メチコバール)が投与開始。本やCDで時間を潰す。昼の食事もおいしく食べる、量が足りない感じ。現在は2000Kcal/日なので、普段の2/3ぐらいか、動かないことを考えるとこれで良いはずなのだが、私は消化吸収効率があまり良くないようなので普段から多く食べていたので空腹感があるのかもしれない。
 午後より検査の連続、MRIとCTを撮る、CTは15分程度で終わったが、MRIは40分以上かかる。戻って直ちに午後の点滴(今日からは1日に点滴2回)、夕食も通常通りに食べる。NS君に取り急ぎ入院したことのみを伝える。夜はやはり1〜2時間おきに目が覚める、緊張と不安があるからだろう、でもここ数ヶ月は背中の痛みで同様の状況だったので仕方なしとも思う、昼間ほとんど動かないのも要因かも知れない。

10月22日(水):入院3日目(この記録はメモを元に10/23に記載)

 6時起床、検温36.5℃平熱、朝食も良く食べられる。点滴と服薬ぐらいなので暇になる。背中の痛みは急速に緩和され、ちょっとした凝りが背中にある程度までになった、実に嬉しい。昼の食事からデイルーム(食堂兼用の休憩室)で食べようと思っていたら、CT があるので、食事は検査後と言われる。午前中に点滴のみで待機、CTが混んでいて待たされる、結局始まったのが3時半、造影剤を打ちながらなので30分ほどかかる。結局この日は昼抜きで、夕食のみ、寂しい。

 病室に戻ると、A坂先生からお呼び出しがあり、今までの検査結果の概要説明と告知が行われる。この時点なのでまだ推測が多い前提つき。

1.胸部両肺に多発性肺腫瘍(俗に言う肺癌です)
2.胸椎(脊椎上部です)に転移性胸椎腫瘍(俗に言う脊髄腫瘍です)

 両方とも悪性新生物(ガン)であろうとのこと。おそらく最初に1.が発生し、それが2.に転移し、胸椎内で増殖し脊髄内の神経を圧迫して麻痺が発生したとの推測。肺の腫瘍も両肺に数箇所見られるとの状況(多発性)。今後さらに検査を継続して、生理学検査や、肺の腫瘍組織検査も行い確定したいとのこと。他の臓器・骨組織には転移した腫瘍は今の時点では見つからないが、さらに検査を行う。

 まぁ人生は50年と思っていたし、ちょうど先週に50歳になっていたので何か「そうなのかな」という感慨があったし、入院する時点で多分並でない病気だろうと言う予感はあったので素直に受け止められる。ただ説明を聞きながら少しでも楽観的に見ようとするのには困ったもの、後でA坂先生から甘さを厳しく指摘される(苦笑)。でも入院3日目でいきなり本人に告知ってどうよ、もう少しやさしく言ってくれても良いような(笑)。A坂先生は、明日10/23に家族に説明(告知)したいとのことで、呼ぶようにお願いされる。当然呼ぶことにする、併せてと勤務先の上司にも説明したいと私の希望で、私からA坂先生に上司の同席をお願いして了承される。病室に戻って点滴、夕食はデイルームでおいしく頂く。

 19時頃から関係者に連絡、家族には詳しい状況を伏せて連絡し、他は全部状況を正直に伝える。勤務先の上司、同人誌関係ではNS君、KS君、TY君、YF君、CTさん、COMITIAの中村君に連絡。コミケット準備会の必要な関係者への連絡はNS君に頼む。

 この時の連絡事項
・病気の概要(略)
・治療を最優先課題とする
・年内は入院
・岩田読書会は中止、冬コミ不参加、以後は治療状況で判断
・背骨を痛め、一ヶ月ほど入院見込みと知り合いには伝える
・最終的にはオープンにする、時期は12月

 電話掛けで疲労、22時就寝。

10月23日(木):入院4日目

 夜中の2時に目が覚めトイレ、ギリギリでセーフ、やはり心理的に影響を受けていたみたいだ。前夜は告知で「あれはどうしよう」「どこかで一時外出して片付けるものがある」とかあれこれ考え良く眠れない。ただ、恐怖とか不安感は不思議に無い。A坂先生から、排泄行為に支障が出たら手術と言われたのがよほどメンタルに響いたようでトイレに行くのが強迫観念のようになっていたのかも知れない。面白いものだ、今日明日の話では無いのに。
 考えるときに、少しでも楽観的に見ようとしている自分自身があるのに少し憂鬱になる、ポジティブに前向きでチャレンジすることと、楽観的に溺れるのとは全く違うのに。現状はシビアであり甘く考えられる余地など無いことを肝に命ずべきだ。

 5時起床、今日の手順を考える、なるべく朝にその日のスケジュールを考えるように習慣化したい、もちろん検査や治療で変更は日常茶飯事なのだから、ストレスにならないように融通できるようにしなくては。これらを試みれば周囲の人への無用な負荷も、私のメンタルな負荷も減るだろう。治療が始まるまでに自然にスケジュールや行動が身につけば良いと思う。
 朝食はデイルームで食べる、量が足りなく腹が減る、売店で買った菓子を間食する(食事制限は全く無いので)。9時に病院内の理髪店に行き、短く切って貰い髭も剃る、病院内で過ごしやすくするのが最優先、格好は身奇麗にするのは絶対だが、ヘアスタイルなんてどうでも良い。洗髪して貰って実にスッキリ。どうせ治療になればスキンヘッドになる可能性が高いんだから(笑)。10時に心電図を検査室に車椅子で自ら行く、身体を少しでも動かさないと、鈍ってしまうからね。その後点滴。ついでに売店であれこれ買い、併せてノートを買い入院日記を付け始める。いい加減にならないように、きちんとした生活習慣を 付けたり、率直な感想を残すのは大切だと思う。同人誌の感想も書きたいしね。カッコ付けやドラマティックな記載にならないように注意しよう(笑)。そんな「web日記」や「闘病日記」は嫌いだ、この日記は私と私の大事な人たちの為にあるのだから。
 昼食を食べたばかりなのに直ぐに腹が減る、1日に病院食以外に500mlペットボトル3本、クッキー1箱、チョコレート2箱食べているのはどう(笑)。まぁ、これまた治療が始まれば体重が減ることが予想されるし、元から痩せ過ぎだったので太っておくのが良いのかも知れない、いや欲望に忠実なだけなのかも。

 13時に父母来室、父に状況説明、どうしても楽観的に説明してしまうのが悲しい、顔を見ると言い辛い。14時の面談予定は担当のA坂先生の外来の多さで順調に遅れる、私は先に呼吸器内科のH先生の診断を受ける、H先生はA坂先生よりもポジティブな面を述べるので、また甘く考えてしまうのも困ったもの。病室に戻って勤務先の上司の方もお見えになったが待機のまま、間には私の点滴も始まる。結局面談は16時半開始、説明は整形外科のA坂先生から、呼吸器内科のH先生にも立ち会って頂ける。A坂先生バシバシ目一杯シビアの状況を指摘する、いや正しいのだが(笑)。私以外の顔色が良くない、父が最もショックを受けていたのが辛いな。
 告知はこれでおしまい、後は来週に肺の生理検査を行い、その結果を待って今後の治療方針を定めるとのこと。治療が始まると整形外科から呼吸器内科に転科することになる。もちろん、胸椎の腫瘍は整形外科の範囲なんだけれど、肺の腫瘍が原発のようなので、治療は肺から(尤も胸椎の腫瘍も同じなので、治療は同様に有効なのだが)。私は煙草は全く吸わない(30年間で全て足しても10本以下、1日あたり0.001本…笑)、仕事場は10年以上も禁煙環境だったので、肺ガンのリスクは少ないと思っていたが、少ないのと無いのとは別の話。なるときにはなるだけの話だ。
 面談も終わりみなさんもお帰りになったので夕食、心理的な負荷がずっと減った、後は検査と治療のみ。罹りつけだったN医院のN先生に電話で報告、今回はご迷惑をお掛けして申し訳なし、父のことを特にフォローして頂けるようお願いする。23時就寝、安心したのかこの夜は熟睡できた、入院してから初めてのことだ。

10月24日(金):入院5日目

 5時半起床、大分楽になっている、足は立てるようになったので驚き、数歩程度だったら手すりに掴まらなくても移動可能、壁や手すりに寄りかかればそのまま立ってもいられる。尤もこれはステロイド剤点滴で胸椎の腫瘍部分の腫れが引いてきただけで、本格的な治療が始まらないと、単なる対処療法に過ぎないのだが、生活の障害が緩和されたのは率直に嬉しい。8時半A坂先生巡回、足の動きが戻ってきたので点滴を1日に一回に減らすことになる。10時H先生巡回、さらに点滴は負荷もあるし、感染症のリスクもあるので、ステロイド剤は服用にする方向で考えたいと言われる。ただ、点滴管は検査終了までそのまま、それでも大いにありがたい。
 昼食、何か少ない、食べた後でも腹が減ってお菓子を食う。考えてみると、体調が悪かった時よりも病院の食事は少ないのだ、朝食がファミレスの朝食セット、昼食が勤務先の社員食堂、夕食が外食だと、量だけはボリューム十分だった。去年は1日4食だったし(笑)。整形外科から呼吸器内科に科が変わるので病室も変わる予定だったが、呼吸器内科の病棟が満室のようで今日は延期(結局引越しは11/4予定になる)。母が移動の手伝いで来るが、何も無いのでそのまま帰す。急にCT検査を行う、脳と関連部分(前回撮ってなかった部位)。脳に何かあったら困るなぁ、車椅子で移動するのは仕方ないけれど、記憶が壊れたり行動ができなくなると辛いからね。
 気管支鏡の前に痰を出すために吸入を行うが、全くでない、今まで痰が出ることがほとんど無いからこれは苦行だ、30分頑張ったが結局出ずに背中が痛くなるだけだった、申し訳なし。
 この病室は4人部屋で、他の入院患者の方は腰を痛めた方、膝の金属板撤去の方、骨折のリハビリの方が居られる、さすがに整形外科だ。何か間が空くな、と思ったら夕方の点滴が無いのだ、夕食もおいしい。20時頃にエレベーターホールの脇でA坂先生に偶然遭遇、A坂先生は「脳のCT異常無しだったよ」と軽く私に言って医局に戻る、本当に安心した。ずばりと言うA坂先生には感謝してもしきれない。22時就寝。

10月25日(土):入院6日目

 5時半起床、シャワーを使えないので、タオルで拭くのだが、何か感覚的に綺麗にならないので売店でウェットタオルと身体拭きを買う。今日は朝一番で採血検査(生理学検査とか腫瘍マーカーとか)があるので、食事は採血後と言われる、9時採血後に朝食、冷めている…。直後にH先生回診、10/28に行う気管支鏡検査について説明を行うので待機するように言われる。昼食を取ったら直ぐに眠気が来て30分ほど昼寝。
 連絡したかったB君に連絡がつく、B君「何の病気ですか?」、私「ガーン!」これが言いたいだけに今まで引っ張っていたんだが(笑)。
 15時半にH先生がお見えになり、10/28に行う気管支鏡検査の説明、確かに見るだけでなく肺の腫瘍組織を削って組織分析するので、軽い手術レベルかも知れない。吸入麻酔だけで無く点滴での麻酔も行うし。承諾の書類やら、立会いも要るので家に連絡することにする。17時A坂先生回診と言うよりも挨拶程度。17時半にKS君、HN君、TY君が見舞いに来られる。KS君からThink-Padを差し入れて頂く、もう本当に嬉しい、これでメール環境が復活維持できる。最初は3人とも顔色が悪かったが、私を見て安心して落ち着いたようで助かる。18時に3人ともお帰り。19時直前にNS君お見えに、あれこれ状況報告。NS君にJ-GARDENのお買い物を頼む(笑)。

 夜はベッドで色々と考えを巡らす。現時点の仮目標を以下のように設定した。
・とりあえずある程度の生活レベルで5年生存が最大の目標
・願望としては10年生存もあるが、それはもうあり得ないほどの希望
・最低限2〜3年は行動できるレベルで生きていきたい
・外出は車椅子、家の中は伝え歩き、近所はステッキで動けるようになりたい

 考えがまとまったらすっきりした。私の直感的な予測だと生存率は上から順に30%、10%、50%ぐらいだと思っているのだが、私の勝率だったらこの5割増は取れると確信しているのだ(笑)。23時就寝。

10月26日(日):入院7日目

 6時半起床、この日もよく眠れた、病棟内はやや暑くて汗をかく、2日に一度は交換をしないと拙い。寝汗が多い日は毎日換えるようにしよう。8時朝食、その後はお菓子(笑)。9時KS君から借りたThink-Padでメールチェック、最低限必要な返信のみ行う。昼食後にシャワーと外出が可能か看護婦さんに聞いてみるが、1時間後、両方ともまだ許可が下りませんと言われる、残念至極。17時B君がお見えに、仲間内の麻雀の合い間に寄ったとのことで、私にとってすごく嬉しい。そうしたリラックスした見舞いや生活のパターンを崩さないような見舞いが助かるのだ。17時半にYI君、TY君お見えに、状況報告と雑談。YI君の差し入れは「月姫」「痕」「Air」…50歳過ぎた入院患者にこれほど似合わないものは無いな(笑)。
 YI君に冬コミの「サークル岩田次夫」の編集と発行を頼む。いや、この日記がそうなるんですが(笑)。TY君に私の自室の未読同人誌の移動手配を頼む、COMITIAの中村君と相談して貰うことにする。そう、病室に順次読んでなかった夏コミ以後の同人誌を運び込もうと言う「人間としてどうよ計画」だ。18時半みなさんお帰りに。この日は少し疲れ21時就寝。

 色々と考えてしまうのは仕方あるまい。
 そう、告知を受けても比較的落ち着いていられたのは、何よりも毎日が幸せであったし、人の数倍のもの楽しみを受け取ってきたし(数倍の苦労もあった気が…笑)、何より多くの成し遂げたことがあったからだと思っている。生き甲斐なんてもう十分楽しんでいるので、いまさら探したり何とかしようと言うことも特に必要無い。もちろん、これからも動揺したり、恐れたり、怯えたりすることも多々あると思うけれど、それらとも仲良くできるような気がしている。夜寝るときの「このままライトが消えるように溶暗に沈むのでは」とかの恐怖は40歳の頃のほうが強かった、今は「まぁ寝てしまいますか」で終わっている。でもあまり偉そうに言うのは止そう、今後、動揺したり取り乱したりしないとも限らないのだからね(笑)。

10月27日(月):入院8日目

 5時半起床、夜中にトイレで2回ほど起きる。計ってみると3時間おきに尿意が来るようだ、老人性か(笑)。今までだったら我慢するのだが、今は車椅子移動なので間に合わないと大惨事(笑)になるので、これを習慣化しよう。トータル睡眠時間が5時間取れていれば私にとっては問題ないのだから。7時半にメールチェック、COMITIAのサイトに「岩田読書会中止」と「入院」が書かれているのに気が付く、申し訳ないことだ。以前案内をメールした方に連絡したいがアドレス一覧が今は無いので、11/10頃には送れるようにしなくては。朝食も慣れてきた、量が少ないのと薄味が悩みの種か。自宅に電話し、印鑑を持ってきて貰うことと、検査の立会いを頼む。病院で印鑑が必要になるとは予測しなかったな。8時半に整形外科の科長でもある副院長先生の回診、と言っても病室を回り患者に声をかけるのがほとんど。TVで見たことのある風景そのまま、ただもっとリラックスしているけれど。この病院は全体として施設は決して新しくないが、ゆったりとしていて暖かい雰囲気があって私にとっては実に快適だ。10時に洗濯を行う、コインランドリーと全く同じなので楽、なるべく私で出来ることはちゃんとやりたい、ただでさえ家族を含めた周囲には負荷がかかるのだから。
 メールチェックを行いKS君にThink-Padのお礼のメールを出す、本当にありがたい。昼食後、母が来たので承諾書を作成、14時半にH先生がお見えになり検査の説明と母への挨拶、検査内容は事前に文書で頂いているし、詳細な説明を10/25にして頂いているので数分で済む。
 夕食後にCOMITIAの中村君に電話、読書会中止の告知のお礼と自宅の同人誌移動について相談。10/29に打ち合わせることにする。夕食直後に勤務先の上司お二人がお見えに、申し訳ないことだ。お二人とも夏よりも遥かに私の顔色が良く元気そうなのに安心される、私はリラックスしているし、やる気もあるので、笑顔で応接しているのが良いのかもしれない。別に無理して笑ったりしていないのは見ればわかるようだし。19時にお二人はお帰り。前後して、MO君、HT君もお見えに、状況説明を行いサークル関係には入院したのみの連絡にしてもらうよう特にお願いする。19時半にお帰り、わざわざお見舞いに来て頂いて申し訳ないことだ。22時就寝。

 ベッドで寝ながらふと気が付いたことがある。実はこの病院の近くに大きな踏切があって、警報音が結構なボリュームで鳴り、病室まで聞こえる。朝は4時半頃から夜は1時過ぎまで頻繁に音がする。もちろん、病室では微かに聞こえる程度なのだが、夜だと結構良く響く。この音がなぜか入院以後、気になって仕方が無かったのだ。この夜にやっとその理由が判った。踏切と言うものが私の心理に少し響いているのだ。進んでいくと先は見えるけれど、警告されるばかりで通れなくなる、その先には行けない、何か人生を思わせる何か、今まで何の制限も無く進めていたのに突然現れる障害、そんなものが踏切にはある。それが見えたので微かな苛立ちも消え気にならなくなってきた。さすがに深夜に起きた時には少し五月蝿いけれどね(笑)。

10月28日(火):入院9日目

 5時半起床、今日は11時で飲食禁止、そりゃ気管支鏡検査の最中に吐いたりしたら大変なことになるものね。B君にメール、明後日来て欲しいとお願いする。朝食後に病室で待機、9時に今度は呼吸器科の科長でもある副院長先生の回診、全く同じ、考えてみるとこの病棟の呼吸器科の患者は私ぐらいしかいないので、わざわざ来て頂いた事に後で気がつく。診療日は8時半から9時半までは病室に居るようにしなくては。13時から頻繁に看護婦さんがお見えになる、13時45分ストレッチャ(移動式ベッド)到着、移って注射をしてから酸素チューブを付けて移動開始、何かカッコ良い。検査室に着くと、喉の麻酔や吸入麻酔を行い、その後点滴で麻酔がかけられる。部分麻酔なので意識もあるし僅かだが指先程度は動く、何かあったら指先で合図するよう言われる。マウスピースとアイマスクを着けたら直ぐにチューブが喉を通過するのが判る。別に咳き込みもせず淡々と検査が進む、先生方の会話でも必要な組織は順調に取れたみたい、いや実によく聞こえるのよ。予定通り20分ほどで終了、そのままストレッチャに乗せられて病室に戻る。麻酔の点滴が終わると抗生物質の点滴に。血圧とか酸素濃度とかを何度も測定。検査中に肺の奥でゴボゴボしたような違和感があったのだがいつのまにか消えてしまい、何の痛みも苦痛も無い、良かったな。先生方の上手さなのか。16時半に点滴も終わり、これで気管支鏡検査終了。母には帰って貰い、予定通り夕食で一安心。
 メールチェックした後で、COMITIAの中村君に本を買ってきて貰うようメールで頼む。何と言う我侭な私であることか(笑)。検査で疲れたのか早めに21時就寝。

10月29日(水):入院10日目

 5時起床、うつらうつらベッドで過ごす、パジャマや下着を全て取り替えサッパリする。朝は喉に多少の違和感があったが、水分を取るとそれも消えた。「気管支鏡検査は辛い」と何人もの方に言われたが、私は全く辛くなく、何度受けても気にならないレベルだった。血痰とか痛みも無かったし。吸入して痰を何とか吐こうとした時のほうが苦しかったな(笑)。昨晩は背中に痛みがあったが、寝返りで消える。ただ、昨日の検査で痛み止めが1回分抜けたので、その不安感があったのかも知れない。痛み止めは1日3回のペースを維持してもらおう。朝食後リラックスする、未読で読みたい本が全く無いので退屈、でも今日は見舞いで中村君が本を持って来る(それが目的かなのか…笑)。

 10時半に看護婦さんが見えて、4つの素晴らしい知らせ。
・本日で点滴チューブを外す
・シャワーOKに、今日使い方を教えてくれるとのこと
・一時外出も介添えの人間が居れば近所(銀行とかコンビニ)であればOK
・今日から2400Kcal/日の食事に変更

 点滴のチューブがあると何か引っ掛けそうで不安だったし、左腕に点滴していたので時計が右手首に嵌めることになり見辛かったのだ。シャワーがあれば頭も洗えるし、さっぱりできる。いきなり入院したので振込みとかの手続きも全くできていなかったし。さらにベッドシーツも交換して貰ってますます安楽に。昼食、「あんかけやきそば」とメニューにあったので期待したが、どう見ても麺が懐かしいソフトメン、焼きじゃないね、食後に柿を一個食べる。皮を剥くのは平気だが、取って置く場所が無いので、剥いたら1個全部食べるしか無い、果物はこうしたところが不便かな。冷蔵庫はあるんだけど共用なので何か使いにくいしね。
 14時半にシャワー、10日振りなんで本当にすっきり、家では毎日シャワー浴びていたのに、入院してからは今まではタオルで拭くだけでちょっと辛かった。17時、COMITIAの中村君お見えに。元気さが無い、まぁ寸前までティアズマガジンの校了があったから仕方が無いかな、どうして私のところに来るお見舞いの方は元気無く深刻な表情で来るのだ、私はこんなに笑顔でリラックスしているのに。理由は判るけれどね(笑)。私がお見舞いの方を元気にさせるというのも何か可笑しい。
 頼んでいた本をお見舞いに貰う、嬉しいなぁ、これで退屈が少し紛れる感じかな。自室の夏コミ以後の同人誌の移動の手配をお願いする、全てお任せする。18時に中村君お帰りに、夕食から2400Kcal/日に食事増量、この量がすごい、この夕食で2400Kcal/日に調整するみたいで、5割増量。でも全部食べてしまう。夕食後に本を読む、「ピルグリムイェーガー3巻」、「エクセルサーガ11巻」、「ナポレオン1巻」、長谷川さんのナポレオンが見事で何度も再読、併せて「蒼天航路28巻」も読めて実に幸せ。犬丸さんの初コミックスは勿体無いので明日にとっておこう。どれも楽しく今日は良い日であった。
 21時就寝。

10月30日(木):入院11日目

 5時起床、というのも明け方に失禁する夢を見たからで、思わず跳ね起きる。どうにも排泄のプレッシャーがあるのかな、ちょっと対策を考えよう。7時にシェーバーの手入れ、こういうことはきちんとやりたい。在室表を作り、1日のスケジュール予定表を作るのは追われるようなスタイルを作りたくないからなのだ。意識せずにできるようにすれば、リラックスできるし。もちろん、スケジュールは検査・治療優先で、崩れても「また明日」と言えるような力を抜いたかたちでやりたいね。
 朝食、病院食は美味しくないと言うけれど、ここの食事は私に合っているのかおいしく食べられる。少し薄味なのと、パンにバターたっぷり乗せると言う楽しみが無いことぐらいかな、あと麺類だけはちょっとね。近所にあったハシヤのスパゲッティが食べたいな。 食事後に犬丸さんの本を読む、病棟のベッドでショタ本を読むってどうよ(笑)。とても面白いから良いけれど。
 昼食後、13時に母が家から郵便物を持ってきて貰う、勤務先の申請書類が何枚も来ていたので処理を続行、診断書も必要なので揃ったら送るようにしなくては。15時に請求書が渡される、初診とか検査で多めだが、まぁこんなものかな。検査までは高くなりそうだけど、後は毎月何とかなりそう、何よりも病院内だとお金をそれほど使わない。
 夕食後、外出許可書を受け取り、B君が19時にお見えに。B君に車椅子を押してもらい移動したが、以前来たときに近所にあった銀行の支店が軒並み無くなっている。結局10分ほど先の駅前の銀行にまで行く羽目に、それでも手続き終えて一安心。それにしても歩道の点字ブロックが車椅子にとっては恐ろしい存在だと言うのにはじめて気がついた。B君に押してもらっているから移動できるのであって、そうでないと苦行になるな。帰る寸前に病院のすぐ近くにローソン発見、ローソンだったら全て処理できるのに(笑)。遅くなったけれど19時半にB君お帰り。23時就寝。

 B君は私にとっては本当に弟子なのだが、それよりも歳の離れた弟のような感覚がある、B君には迷惑至極の話だろうが。実際に嘘のように思えるかも知れないが、何か数年前からB君にこうして車椅子で押してもらって移動するような予感がずっとあったのだ、B君にとってはとんでもない話だろうけれど。車椅子を押してもらって移動している間は、感謝もあるけれど、嬉しさもあった、思わず途中で我侭や甘えを言ってしまうのも、そのせいかも知れない。こんな感じはB君以外には生まれないような気さえする。

10月31日(金):入院12日目

 5時半起床、昨日の外出で疲れたのか熟睡できた。体調は全体として実に良い、7〜8月の疲労感や、背中の痛みを抱えていた時に比べれば夢のような過ごし易さ、背中の痛みはやや肩こりに似た凝りのような圧迫感程度なので、姿勢に気をつけ無理な力をかけなければ辛さは全く無い。両足も数歩だったら歩けるレベルになっている、でも力はあまり入っていないので、無理はしないようにしよう。何しろステロイド剤で腫瘍の圧迫が軽くなって感覚やコントロールができるようになっているだけで治療は始まってもいないのだから。入院生活が辛くなくてリラックスして楽しめるというのは、入院までの生活がよほどハードだった証かもしれない(苦笑)。
 食事後ベッドでThink-Padをあれこれ触っていたら、総合病院院長先生の巡回、科長先生、部長先生を引き連れ悠々と歩く。私のところに来て「お仕事ですか、この病院は施設が古くてIT面でご不自由をおかけしてしまいますね」とまで言われて恐縮する。だって見ていたのは「月姫」なんだけれど(笑)、院長先生からは見えなかったので助かる。
 以後は読書、昼食後H先生回診、転室は11/4になるとのこと、これで病棟も科も「呼吸器内科」の身に(笑)。整形外科のA坂先生には感謝してもしきれない。自宅に11/4引越しを伝える、特に大きな荷物が無いので簡単に終わるだろう、移動してしまえば二ヶ月は居座るので、同人誌や本を少し多く持ち込んでも大丈夫か(笑)。15時半に勤務先の人事部長さんお見えに、状況報告をし、深くお詫びする。出向してきて1年も経たないのに休職じゃね(苦笑)。役に立たないことおびただしい。私にとっては1月で辞めてのんびりしようと思っていたのだけれど、そうだったら経済的に危機に瀕することもあり得たので、これは私のほうが遥かにメリットを享受している。勤務先にはただお詫びするのみ。書類の送付関係のお話をして、16時にお帰り。直後にRI君お見えに、コミケット事務所の帰りがけとのこと、差し入れが「電撃大王」と「ヤングキングアワーズ」ってどうよ(笑)、いや嬉しいのだが。書庫の整理を年明けに頼むと伝える。RI君にはちゃんと健康管理をして健康診断をきちんと受けろと話す、説得力ありまくり(笑)。17時半お帰りに。夕食後、KS君と共に親しい2つのサークルの方がお見えになる、ちょっと迷ったけれど、正直に状況説明。隠すのは私嫌いだからなぁ。驚いてはいたが、夏〜10月の時よりも私が元気で表情も顔つきも見違えるようにリラックスしているので安心してもらえる。「状況聞くより、直接来て岩田さんの顔見てもらった方が良いですよ」と言われて大いに納得。うん、そうする方向で考えよう。19時半みなさんお帰り、21時就寝。

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