客員主席研究員(笑)岩田次夫の研究室


同人即売会に立ち竦む(2002年12月)

 最近感じていることだけど、同人誌即売会において、一般参加者の相対的価値が低下してきていると感じている。参加者が増えて巨大化してくると、一般参加者が数十人欠けても、主催者もサークルも実は痛みを感じなくなる。大きな集合のごく一部が欠けたとしても、そんなことは視界にも入らないというほうが適切かもしれない。元の参加者数そのものが少ないオンリー即売会や参加者集めに苦労している地方イベントはともかく、多くのイベントは参加者が数十人程度減っても、何の問題も感じてこない、コミケットやコミックレヴォリューションのように減るのを歓迎している傾向さえある。

 また、参加者を増やすことを歓迎しているイベントでも、参加者は単なるカタログの購入者としてしか期待されていないというのも多くのイベントで明らかになっている。企業系のイベントではそれしか期待されていない。

 こうなると、一般参加者はマスとしてしか捉えられてこない、一人一人はただの頭数で欠けても何の問題にもならない。

 ところが、サークルはますますイベントの鍵になりつつある。最近の例だが、今年2002年10月6日に開催されたコミックレヴォリューション32は、数年ぶりに参加者が大幅に減り、いつもは開場前後に完売していたカタログが、最終的に余ると言う事態を招いた。別にイベントが大きく変化したわけでも、日程がとりわけ悪かったわけでも無い。ここ数回との差は、いつも参加してきていたサークルが十数サークル欠けただけなのだが、それが数千人の参加者減に直結した。同様の傾向はテニプリのような女性系オンリーを見ても発生している。

 こうした状況を見た時に、実際にサークルと一般参加者の価値のような比較をイベント主催者が考えてしまうと、恐ろしい結論を見出してしまう。それは、サークルの方が一般参加者よりも数百倍も大事だというような見方だ。

 イベントを丁寧に開催して一般参加者への対応を良くして、事前準備や問い合わせで丁寧なサポートを行っても、参加者が増える率はほんの僅かだが、人気のあるサークルが参加していれば、それだけであっという間に数百人、数千人のオーダーで参加者が増えてしまう。そうなると、参加者を増やしたいと思っているイベント主催者がどっちの方向を見がちになるかはあまりにも明らかだろう。「集客力」があるサークルに参加して貰う方が、丁寧な一般参加者への対応を行うよりも遥かに容易なのは言うまでも無い。

 既に、ここ数年のオンリーイベントで発生している「招待制」の頻発は、それを明瞭に物語っている。イベントを経済的に成功させる手っ取り早い方法は、人気サークルを呼んで一般参加者やサークルを呼び集めることなのだから。無償で招待したとしても、費用対効果は絶大だろう。

 もちろん、一般参加者の価値の低下には、手に入ればよいという参加者の増大が裏面にある。ただの消費者として登場すれば、そうした扱いを受けるのも必然だ。消費するだけの参加者が、ただの頭数として見られるのは当然の帰結なのだから。

 人は大切にされ、敬意を払われれば、モラルは上がるし、信頼感も向上する。ところが現在の同人誌即売会のように、大切にされないと言うことが、感覚でも実態でも明白になっていると、モラルは低下し、互いに不信の投げ合いとなるのだ。

 主催者は、消費者は頭数としてカタログを買うことしか期待しないし、消費者は、ただ本を買える場所を作ってくれれば良いというだけのスタンスになる。そこにどんなモラルや共同幻想が作れると言うのであろうか。

しかも、一般的な「顧客対応」は、継続している(お得意様のように)ユーザーに対して、日常的な組織(お客様相談室のように)が対応しているが、同人誌即売会は非日常的な運営であり、ローコスト対応なので、ますます放置するのがベストの対応になってしまう。企業としての対応を求めるには今の同人誌即売会はあまりに貧困なコスト状況だと言える。

 考えてみて欲しい、一般参加者は受ける感覚として、構成する一員としての参加者としては疎外されているし、顧客=消費者としては酷な扱いを受ける、そのような状況で健全な発想や、前向きな思考が生まれるだろうか。

 このことの有効な対策は無いし、正解もまた無い。結論は無いのだ。そして唯一の解決策が、諦め去ることだとしたら、そこに何が残るのだろうか。


悲劇と喜劇が二七の十四(2002年12月)

 一般参加者の相対的価値低下について、さらに考察を進めてみよう。これは、一般参加者=買い手の相対的価値低下をリスク負担と言う面から考察すると判りやすい。

 買い手はリスク負担が実は大変少ない、朝早く会場に行って並んで待つと言う時間リスクと、カタログや目当ての本を買う時に費やす金銭リスクを負っているに過ぎない、付け加えれば「場合によっては買えないかもしれない」と言う機会リスクが精々だろう。リスク評価を行えば、物理的には数時間分の時間と、数千円の費用範囲内の話になる。しかも多くのイベントでは朝早く行く必要さえ無い場合が少なくない。

 しかし、こうした換算できる時間や費用よりも、精神的な面での負荷のほうが大きいかもしれない。買い手は「買うことのみで参加が確認できる」状態なので、買えなかったという状況は「参加させてもらえなかった」というような感覚に直結しやすい。ある意味、疎外されたという感覚の方が買い手には多大なダメージとなる。ただ、こうした部分は「参加者は対等」と言う題目に隠蔽されて明瞭に主張できないので、時間や費用という判りやすい指標化がされるのであるし、さらには時には「正義」という空虚な言葉が唱えられることになる。

 実は、この10年以上に渡って、時間と費用に関しても改善が進んできているし、さらに精神的な面でのリスクは一層軽減され、さらには巧妙に隠蔽されてきている。今は大半のサークルは朝にイベント会場に行って最初にそのサークルに並べば多くのサークルの本は買える状況になっている。例外として買えないサークルはコミケットでも2〜3%に過ぎないだろう。

 書店委託を行っているサークルに至っては、各人が自分の都合で書店に行けば容易に手に入るという状況になっている。イベントに行くまでも無く、並ぶでもなく、買えないリスクも僅少な状況になっている。

 そうした状況がどうやって生み出されているかと言えば、それを維持する作業やリスク負担をサークルやイベント主催者・スタッフが負っているからに過ぎない。つまり、イベント主催者は当日の運営をスムーズに行い、サークルの搬入数を適切なものにできるよう配置し、スタッフはスムーズな入場ができるよう配慮し、混雑対応を適切に行う、そしてサークルは搬入を多くし、スムーズな頒布を心がけ、さらには冊数限定などの対応を行っている。もちろん、書店への委託作業もサークルのリスクだろう。

 この状況はイベント主催者にもイベントスタッフにも、更にサークルに過大な負荷をかけることになる。サークルを例に取れば、大量の印刷や搬入はリスクが実に高い。残ったらどうするのか、今は書店もコミケットからの搬出はやっていない(搬出作業に伴って発生するリスクにコミケットの搬入・搬出・撤収作業が耐えられなくなったというのが適切だろう)。イベントで残ったらサークルで梱包し(最近の印刷所搬入の多くは紙で梱包されているので、そのままでは送れない)、宅配便搬出に荷物を移動し、送付作業を行わなくてはならない。一度でも10箱程度の搬出をコミケットで行えば、それがどれほど労力を要するのか容易に判る。そして、私が見ている範囲では百箱以上もコミケット当日に残し、カゴ車で何度も宅配便受付との間を往復しているサークルがいくつもあった。もちろん、そうしたリスクはサークルが負うしかないし、それがオウンリスクとして当たり前のことなのだろう、これだけは誰にも負ってもらえないのだ。売れ残るのも、搬出で多大な手間をかけるのも、全部サークルの判断した結果から来ることで、誰かがやれと指示したわけでもないし、買い手に責任があるというものでもない。

 当日のサークルの運営も大変な状況になっている。一般参加者にも洩れなく行き渡るようにするということは、少しでも行列ができるサークルは、相当に長い時間本を用意し、開場してから長時間売り続けなくてはならなくなる。それは長時間の作業に直結する。平均的に行き渡らせるために行う冊数制限でも、さらにより長い時間の拘束を、売り子を含めたサークル要員にかけることになる。それだけのサークル要員をコミケット当日に確保するのは、当日に何とかなると言う話では無くなる。事前・事後の日常的なフォローを含めて売り子や整理要員をケアしないとそれだけの要員を確保することは出来ない。コミケットの時にだけ人手が足りないから手伝えと言っても、それは無理な相談だ。コミケットに参加して一日中サークルの売り子で拘束されることに耐えられる人々はそんなに多くは無い、なにしろコミケットに来て本も買えないとなるのだから。しかし、それでも要員を確保しないと、運営が立ち行かないのだ。このような日常業務でもサークルの負荷は実に高い。

 書店販売でも話は簡単では無い、注文を事前や事後に受け、営業と交渉し、冊数をまとめ、伝票を発行して本の発送依頼を行い、最後は入金確認まで行う必要がある。もちろん、委託扱いの場合は書店で残った場合には回収の手配もしなくてはならない。少し前であればサークルは当日の運営だけ心掛けていれば何とかなったのだが、今は事前・事後を含めた「サークルの日常運営」に多くの手数や作業量を要するようになってきているのだ。

 買い手はいくら並んでも本を入手できればそのまま帰れるし、事前や事後に多大な作業が関わることは僅少だろう、買い手の「後腐れ無さ」というのは当然の帰結であるし、それはどのような場でも成り立つことだ。実際にコミケット終了間際になれば、見渡す限り居残っているのはサークル関係者ばかりだ。一般参加者はお目当ての本やグッズが入手できれば(あるいは入手できないことが明らかになれば)、さっさと帰ってしまうのだから。もちろん、これも間違いでは無い。

 しかし、サークルもイベント主催者・スタッフはそうはいかない。事前に準備作業があり、多大な時間を費やし、様々な人間関係の調整や運営を行い、事後の片付けもしなくてはならない。そうした負荷やリスク負担が、買い手・読み手に説明も無ければ転嫁も去れず、言わばサービスのように提供されてしまっている現状を理解しなくてはならない。

 考えてみれば、そうしたサービスを止めても、イベント主催者・スタッフ、あるいはサークルには、それほどデメリットがあるわけでは無い。書店販売をしないことで、より多く頒布することはできなくなるが(金銭的デメリット)、それを覚悟すれば面倒な作業は大いに減るし(作業量的メリット)、書店で日常的に展示されて飽きられる危険性も減る(長期的なメリット)、その時間を他の作業に振り分けることも可能だ。さらに、多数売れるサークルにとっては、冊数制限を行わなければ、頒布は簡単になり、作業量も減るし、スタッフの確保もより容易になる。開場前から準備をし、午後2時頃まで要員を拘束するよりも、午前11時頃に完売にして、以後は自由行動にさせるほうが、遥かに要員は確保しやすいだろう、それを誰が非難できるだろうか。

 もう判ることだが、今はそうしたリスク負担をイベント主催者・スタッフとサークルが負っているのであって、それを「もうそんなリスクは負わない、どうぞ勝手にしろ(笑)」と言った瞬間、リスクは全てが買い手に回ってしまうことになる。それを非難できるのだろうか、今までリスク負担をしていなかった買い手にリスクが回っただけなのに。こうしたリスク負担の要求に今の買い手は耐えられるものではない。それはイベントが終わった後のwebの掲示板を眺めてみれば容易に判るだろう。

 あるいは徹夜組に対するリスク負荷もまた同様の問題点がある。徹夜組の大半は買い手の中から生まれているわけで、その対策をイベント主催者・スタッフとサークルに求めるのは妙な話だ。徹夜組はまず、買い手であり一般参加者の一員であるということを認識する必要がある。その責任は一般参加者の側にあると言わなければならないだろう。もちろん、サークルの本を求めるので徹夜すると言う主張も成り立つだろう、ただ、そうした過剰な反応をする人間に対しても、サークルは責任があるのだろうか。まずは過剰な反応を行う買い手を非難するべきだろうし、対応は各人がそれぞれ行えば済むことだ。

 10年以上も前だと、買い手とは言ってもサークルやスタッフに知人などが居るのが常だった、こうした状況ではサークルの運営やイベントの事務作業や運営をある程度把握することが可能だった。オンリーイベントなどの手伝いを含めれば、イベント運営やサークル運営の一定の理解は得られていたと思う。しかし、この10年で大いに状況は変わった、今は、サークルとは本を介するのみで、会話もほとんど成立しない。時にはwebサイトの日記や掲示板もあるが、掲示板は先に述べたような不満の集積点になりやすく、閉鎖してしまうサークルも少なくない。ここでも会話は成り立ちにくくなっている。イベントそのものに対しても、一般参加者は当日の混雑整理や入場時の行列作りのような対応を見るだけになってきている、そうした状況で、誰かが負っているリスク負担は、一般参加者の過半にはますます見えなくなっている。これには隠蔽していることで運営が楽になる傾向があるイベント主催者・スタッフにも責任の一部があるだろう。そうした状況では、買い手は仮にリスクを求められたら逃げるか、リスクを負わないように要求するようになる。今までそのようなリスクを考えもしなかったのだから、それは当然の帰結だろう。  そして、こうした矛盾を隠蔽することなく、明らかにすること、そして、負わなければならないリスクを逃げるのではなく真正面から受け止めることが今は必要なのだと思う。

 買い手は「後腐れ無し」に喜んではいけない、自分たちの生活や日常負荷まで考えて対応しなくてはならない。イベントに行ってその規則を守るのは当然であろうが、守らない人にはまず自分たちで対応できることをしなくてはならない。そしてサークルやイベントに積極的に関与していくことが求められる。時間が許す限りサークルを回り、会場内を歩き困難なサークルや参加者を手伝う、そうしたリスク負担を行う人が増えれば、困難な事態は大幅に解消されるだろう。いくら同人誌が書店で売られていて、商業誌と酷似していても、構造的には全く別であると言うことを理解しなくてはならない。

 サークルは金銭的なメリットに身を任せるのではなく、きちんとしたサークル運営を行うことが求められる。イベント主催者・スタッフに面倒な事態をお任せするのでは無く、負うべきリスクをシェアしなくてはならない。参加者に甘えることなく創作者として真摯な対応を心掛けなくてはならない。

 イベント主催者・スタッフはイベントを安全に運営し、必要な説明責任を果たすことが求められる。何故そうした手段をとったかを明示して説明を行うことができなくてはならない。

 絶望するのは簡単だが、それは何も生み出さない。

 こうした問題を考えると、「環境問題」が比喩的にも近いかもしれない。生産者は環境問題に配慮して生産を行い、流通業はそれを明示し説明する、しかし、環境問題の最大の鍵は、消費者が自らのライフスタイルを変えて、環境負荷が少ない生活をし、環境問題に積極的にコミットメントすることにある。

 誰かが環境問題に配慮しない生活をしていたとしても、法に反しない限り、それを誰か(役所や警察)に対応を求めることはしない、あくまでもまずは自らの生活を変えることが出発点だ。既に消費者は「王様」では無いし、貴方もそうなのだから。

 深い憂慮があるとしたら、次のことだ。

イベント主催者・スタッフの過半、サークルの多くは逃げることができない。リスクを負う以外の選択肢がほとんど無いし、今もそうしたリスクを負っている。もちろん、リスクを負わないで逃げるイベント主催者やサークルがいるし、そうした人々の存在が事態を大変悪くしているのも間違い無い。しかし、多くのイベント主催者・スタッフ、あるいは過半のサークルは自らが継続して表現し、作品を提示する、あるいはイベントを開催する以上、逃げることができないのだ。

 それに比して、読み手・買い手の大半はおそらくリスク負担を負わずに逃げることが可能だし、実際に逃げる人が大半ではないだろうか。自らの意見を責任持って公開することも無く、無責任な放談に終始し(匿名掲示板はその典型)、何ら具体的な行動を自らの責任では起こさず、「後腐れ無さ」の快楽に浸っている読み手・買い手を信頼することができるだろうか? さらには彼らに応分のリスク負担を求めることが可能なのだろうか?

 何故、一般参加者=買い手の相対的価値が低下し、尊敬を受けていないかと言えば、このリスクを負わないであろうスタンスに大きな要因があると私は考えている。


作家のモチベーション(2002年11月)

 最近、「イラスト落書本」や、「ラフスケッチ本」が急速に増えてきている。特に折本形式で8頁ぐらいの落書本はよく見かけるようになった。某印刷所の1日本はその典型だろう。で、その反面、しっかりとした作品の本が減ってきているということが言えるだろう。いや、別に某印刷所が悪いと言うわけではない(笑)。

 しかし、そんな愚痴を言ったって仕方が無いのだ。今の読み手の多くは、きっちりとした本より、「イラスト落書本」を求めているのだ、さらにはラミカや便箋を欲しているのだから。本当にきっちりとした本が求められるのだったら、そのように作家もサークルも対応するけれど、今の読み手は「萌え」を満足させてくれるのだったら「イラスト落書本」で構わない、いやその方が良いという状況になるのだ。

 そんな状況で作品をしっかりと描き続けるのは苦しいことだ。望まれないの描き続けるということなのだから。同人誌で読み手に発表する以上、手にとって貰える、読まれるのが前提。そこで望まれないままでも描き続けると言うのはよほどの高いテンションが必要だし、そこまでモチベーション維持できるのはもの凄く困難なのだ。苦労してマンガ描いて、感想が「表紙がきれいです」「イラスト萌えました」だったらどうなるだろうか。さらに「マンガよく判りません」だったらこれは辛いとしか言いようが無い。

 これが誇張と受け取られるかも知れないが、本当に今は「マンガは読まないので要りません」と言われることがあるのだ。男性系はイラスト落書き本になるし、女性系はラミカと便箋、それにペーパー。「本は要りません、ペーパーありませんか」と何人もから言われたら作り手は嫌になる。楽な道を皆が来てくれと言われていて、尚且つ困難な道を誰が歩めるのだろうか。

 男性系だと、手抜きであろうが、落書きだろうが、部数は変わらない=支持率は変化無いっていう状況が苦しいのだ。それでモチベーション維持できる人は凄いけれど、それができるのはほんの数%の人だけだろう。駄目な本を作れとは誰も言わないけれど、駄目な本でも、努力した本でも評価(=支持)が変わらないとしたら、それは駄目な本でも良いと言われるのと等価じゃないか。それに抗して断固真剣に本を、作品を作れっていう主張は判るが、それは真の創作者たるべきっていう主張と同様に実態に合っていないだろう。

 やれる人はやれば良い、しかし9割の人は駄目で、お茶濁し本を出したり、落書本であったり、ラミカ作ったりして同人誌即売会に出てくる。駄目になるのも本人の選択だし、それをあれこれ言っても仕方ない。それより数%の良い作品や描き手を支援する方が良いと思うのだ。

 誰もが駄目になる可能性はあるってことをしっかりと受け止める必要がある。

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