「銃夢HN問題」を巡って

--作家のセルフ・プロデュース--

 木城ゆきとが自分のWeb「ゆきとぴあ」で、自作の権利保護に関するページ「ほごのま」を作成し、その中で、ハンドルネームの一部に木城ゆきとの作品の「銃夢」のタイトルと同じ文字を用いていた人間に対し、ハンドルの停止を求めた一件が先月末来ネットで話題沸騰。何せ、法律上根拠があまりないことをお世辞にも腰が低いとは言えない態度で主張しているものだから、各方面の猛反発を食らっている。しかも、木城ゆきと側でボロがあれこれ出てくるのがみっともない。一つは、木城ゆきと自身がアメコミの大御所フランク・ミラーのまんがのパクリをしているのではないかとかという疑惑が海の向こうで指摘されていること。まあ、他人の「盗作」をしている奴が偉そうなことを言えるのか? ということですな。もう一つは、「ゆきとぴあ」という名前は、別の会社が別の用途ではあるが商標登録している。木城ゆきとは「名前が重複していた場合は、道義的に先にその名前を使用していた方に優先権があり、これは法律以前の問題」と主張しているので、同じ理屈を言えば、「ゆきとぴあ」という名前については自分がアウトなわけで、法律上根拠のない主張をしたおかげで自分がその罠に引っかかっている。今日現在、これらの指摘についての木城ゆきと側のコメントはない。なお、事件の詳細は以下を参照されたい。

銃夢HN事件を記憶に止めるために
銃夢というHNについて
木城ゆきと:銃夢HN問題

 さて、法律関係は石井先生にお任せするとして(笑)、気になったのは、作家側の余りの脇の甘さだ。今回の件もちょっと想像力があれば、反発を受けるだろうことは、容易に思いつくようなことであり、一連の対応はあまりにお粗末に過ぎる。特に掲示板を即刻閉鎖しなかったのは、愚の骨頂。現状、批判派の書き込みのオンパレードになっており、今さら消すに消せなくなっている。ここまで来たら、いったんサイト丸ごとを閉鎖するしかあるまい。それから、ほとぼり覚めたころに、掲示板は作らずに全面リニューアルして再開すればよい。まぁ、たいていの人はその頃には興味を失っているからね。そのときには、「ほごのま」は「皆さんから色々ご意見・ご指摘を受けたので、再検討していきたい」と称して、削除するのを忘れずに(笑)。で、ずっと工事中のままにしておく。単純に削除すると「証拠隠し」とか言われちゃうからね。後、これが一番重要だけど、「パクリ」問題についてだけは、誰に何を言われようと、一切何もコメントしてはダメ。認めれば作家生命の危機だし、認めなければそれはそれで突っ込まれるんだから。

#ん!?、なんで私は誰にこんなアドバイスしてるんだ、あれ?(苦笑)

 もっとも、その「パクリ」問題だが、個人的な見解を言わせてもらえば、おそらく参考にしたことは間違いないと思う。でも、ぶっちゃけて言ってしまえば、程度の差はあるにせよ、これと似たようなことは多くのまんが家がやってることだ(あ〜あ、言っちゃった)。特に今回は別のまんがからの「パクリ」なのではないか、ということで目立っているけど、元ネタが写真の場合、今回の件の比較にならないくらいモロのパクリなんていっぱいある。「大手出版社はお金を出し合ってまんがの資料として利用できるフリーの写真ライブラリーを作るべきだ」と竹熊健太郎は以前から主張してるけど、それはこうした実態を反映してのことであるからね。そして、極めて日本的な慣行ではあるけれど、こうした多少の「パクリ」については「お互い様」としてそれほど目くじらをたてないのが、まんが業界だ(写真は、業界が違うから、しばしばクレームが来て問題になる)。今回は、先に「何でもかんでもオレの権利!」とか言っちゃったから、逆に突っ込まれたんで、知り合いのまんが編集者曰く「キジも鳴かずば撃たれまい」(笑)。

 まあ、今回の「銃夢HN」問題や、同時期に一部で話題になった中里融司「寄生虫」発言問題など、インターネットが普及し、作家自身がWebを持ち、既存のメディアとは別により直接的でよりインタラクティブなメディアでのコミュニケーションをする事の危険性がますます明らかになったように思う。それは、作家が「作品を書くこと」が一流であっても、それ以外の部分(特にコミュニケーションスキル)が必ずしも一流ではない(苦笑)という当たり前の事実から必然的に導かれる結果であるのだが、この問題はこれまで意外に軽んじられてきたんだな。

 出版社がまんが家を専属契約で囲っていた時代は、担当編集者がまんが家のほぼすべての情報の入出力を握っていた。しかし、専属契約自体が形骸化しつつあり、その一方で同人誌とインターネットによる様々なネットワークの発達により、専属作家でも担当編集者が情報を遮断するようなことは不可能な状況下では、まんが家は良かれ悪しかれ自分で情報をコントロールするようになっている。これは、受信・発信どちらの面においても諸刃の剣でもある。

 「受信」という面では、幅広い情報を手に入れることができるようになった一方で、雑音もたくさん入ってくる。正当な批判なら甘受することもできようが(ホントはそれすらできない人が多いということは、「寄生虫発言」を見ても一目瞭然なんだけど)、中傷に類する発言には心を乱さずにはいられない場合も多い。作品の反響を読者からの手紙とアンケートの順位とコミックスの部数でしか得ることができなかったかつての時代においては、編集者がまんが家に渡すファンレターを取捨選択することで、情報のコントロールが可能であったが、今のまんが家は、2ちゃんねるなんかで自分への悪口を目の当たりにしてしまう。そうすると、大槍葦人みたいにヘタれちゃう(ヘタれる暇があったら、がんばってまんが描け〜!)人もでてしまうわけだ。

 「発信」という面では、これまでせいぜいコミックスのあとがきや1/4広告穴埋め、あるいは雑誌でのインタービューくらいでしかそのまんが家の人間性というのは見えてこなかったのが、インターネット上での手軽な情報発信が可能になったことで、編集者・出版社のフィルタリングを経ずに作者の生の声が発信できるようになった。このこと自体は別段何の問題もない。好きな作家との密な交流はファンにとってもうれしいし、作家自身も編集者・出版社にとらわれないセルフ・プロデュースの場所としてWebを利用できる。しかし、その一方で、基本的にWebは誰からもアクセス可能で、「自分のファンではない無関係の(もしかしたら悪意のある人間にも)晒される」場所であることはつい忘れがちになっているように思う。コミックスのあとがきや広告の穴埋めページは、わざわざその本を買う人、イコールその作家のファンの人を対象にした文章だから、多少の勇み足はその作家のスタイルとして看過されてしまう(作家によってはファンの熱狂度を上げるための煽りにもなる)。しかし、Webはそんな場所ではない。例えば、渡辺多恵子がいわゆる「イタい」作家であることは、「ファミリー!」の頃からの彼女のファンであればあれば、ある程度承知済み(笑)だけど、Webでの「立ち読みは万引きと大差ない」などの不用意な発言の数々は、彼女のファンじゃない人々にも広く知れ渡ることとなっており、事ある毎に侮蔑の対象になってしまっている。おそらくは、今回の木城ゆきとも同じ枠の中で語ることが可能であろう。ただ、問題をこれほど大きくしたのは、自分とファンの間でしか通用しない幻想の王国の論理を他者に振りかざして、ハンドルネームの使用停止を迫ったからに他ならない。

 そう、だから問題の本質は法律論では全然ないのよ(と言い切っちゃうと怒られるかもしれないけどね)。インターネット時代におけるクリエーターのマネージメントとプロデュースの問題なのだ。以前から、筆者はプロ作家の同人誌の使い方の一つとして、音楽業界になぞらえて、商業誌は楽曲プロモーション、同人誌はアーティストプロモーション、という方法論があり得ると唱えてきたが、Webもアーティストプロモーションの手法として大きな力を持つ。しかし、その大きな力ゆえ、失敗したときのダメージも大きいことを、この銃夢HN問題は明らかにした。これは、作家木城ゆきとのセルフ・プロデュースの失敗であり、Webの管理人木城ツトムのマネージメント能力の欠如の結果であり、実はそれだけでしかない。そして、おそらくまた別のクリエーターが内容は異なるにせよ、同じ過ちを起こすに違いない。

 Webとはかくも左様に面白くも怖いメディアであることですよ。

 注…本問題は、5月18日にゆきとぴあが閉鎖されるとともに、木城氏サイドからの謝罪がなされ、ガイドラインも撤回された。閉鎖されていたゆきとぴあは、8月18日に再開された。)

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