ABARTH 日記


1996/01/15
現在の愛車である Eunos Roadster も新車で購入から6年以上たち、前年の夏頃から 車欲しい病がうずきだしていた。かといってお気楽オープンの Roadster も手放し難く、 2台目としてなにか買おうか、それとも MG-F, FIAT barchetta, ちょっと背伸び して Alfa nuova spider まで ターゲットに入れて open two seater の新車に いくかなどと漠然と考える日々を過ごしていた。

そんな梅雨のある日、Autobianchi A112 Jr. のサードカー車庫保管ビカもの38万の 出物があったのだが、話を進めるうちにエンジンが逝ってしまってその話は流れた。 こうなると勢いがついてしまってどうにも止まらない。

夏頃、甲府の近くの中古屋で FIAT ritmo cabriolet というレア車の目撃情報が入り、 心を揺り動かされるが、諏訪情報部員によるとかなりの期間放置されている らしく、乗り出しまでには結構な整備がいる模様。これではちょっと 気軽に手を出すわけにもいかない。

初めてクルマを買ったのがなぜかイタ車好きでもなかったのに FIAT Panda だった こともあってか、どうしても小さい車に目がいってしまう。 Roadster ですら大きいと漠然と(←ここんとこ重要)感じている人間にとって、 イタリアの小さい車、といえば abarth しかないのであった。(Tipoの読み過ぎ) できることなら、FIAT に吸収される前の。

とはいえ、abarth の出物など滅多に見つかるものではない。 なんたって公道を走ってるのは見たことないし、実物だってコッパデ小海と アバルト美術館でしかみたことないのだ。それでも欲しくなっちゃう (そして買っちゃう)のが素人の怖いとこである。

そんなさなかのある日、長野は小諸の Stradale に Car Magazine の広告に 出ていた Abarth OT1000 Berlina をみにいく。 しかしガレージに置いてあった 750 double bubble に一目惚れ。まさにビカ物。 前オーナーが400以上かけて直したとのこと。 この車、実は販売委託品であったため、その場では売ってもいいとの返事は もらえなかった。 だが、どうせ買うなら OT1000 よりは double bubble しかないだろう。

「もしまた来ることがあったら、つきあってくりっす。」と言い残して別れる。 目撃者証言によるとこの日のおれは眼が違ってたとのこと。(-_-;;

1996/01/16
いてもたってもいられなくなって店に電話をかける。 持ち主のOKが出たとのこと。つい、買います、と言ってしまう。 予備検こみで375万プラス消費税。金策に走らねば。 積立をおろしてローンを組んで…

しかし、こんな車を買って本当にやっていけるのだろうか。

1996/02/11
ぶらぶら歩いていてたまたま入った不動産屋で屋根付ガレージをゲット。 信じられないことに借り手がつかなかったらしく、1万円を8千円に ディスカウントしたのだという。

2 台入るガレージで隣はまだあいている。 すぐに井桁さんに電話して蓮超七が隣に入ることになるのだが…
井桁さんが奈良に行ってしまった今も超七はまだ隣にいる。(^^;;

1996/02/末
代金を振り込み、いよいよ仮ナンをとってとりにいく。どきどきわくわく。 だがしかし、4速に入らないというトラブルが発覚。 4速に入れようとするとひどいギヤ鳴りがして入らない。 上信越道を70kmほど走って店までUターン、そのまま預けて帰る。 それ以外はまったく問題無くかなり調子がいいようであったので一安心と いったところか。

abarth の中で食べた峠の釜飯は果たしてうまかったのか。(^^;;

1996/03/24
ミッションのトラブルも解決し、無事に長野から伊勢原まで自走で納車。 ちゃんと自走で帰れるようなコンディションにしておいてくらさいとゆーのも 購入時の条件の一つではあったのだが。


とりあえず 130km/h ぐらいまで出るのを確認した。快調快調。 ただガソリンタンクのゲージはかなりいい加減であった。 0近くになったので給油しても10Lしかはいらない。 ローへ入らない場合がままあり、ちゃんとエンゲージしないとはじかれてしまう。 首都高で渋滞にはまった時はどうしようかと思った。 クラッチも重い(とはいえそれほどでもないが)から踏みっぱなしだとつらいし。 しまいにゃ泣くぞ、ちゅうか。
風間さんをはじめ皆さんつきあってくれてありがとう。

1996/03/26
車庫証明期限切れ寸前にめでたく登録。
陸運局に行くのは初めてだったので、勝手がわからず苦労した。 はじめてなのでやさしくしてほしかったのだが。(-_-;;
車の法律の本とか買って勉強していったのだけどどこの窓口がなんなのだか。

いざ封印する段になってシャシナンバのありかがわからず店に電話する。 レギュレータの下とのこと、良く見るとあった。(^^;;

il Numero di Telaio FIAT100617264
il Numero di Motore 472295
相模 79 す 4524

1996/04/12-14
Coppa di Koumi 遠征。 雑誌 Brutus に WheelBase2M Club 加賀美さん 共々取材される。
しかし高いところは小排気量のキャブ車はきびしーっす。海抜1000m前後から まともに走らなくなってくる。加賀美さんも相当苦しんでいたようだ。

1996/04/??
秘密基地 で 御披露目あんどマフラーの穴を塞ぐ修理イベント。(^^;;

マフラーは錆び錆びでタイコには穴があいている。 とりあえず外してパテやらなにやら で塞ぐもまったく効果無し。Bayless Inc. からいろいろ消耗品を取るついでに マフラーを取ろうとしたが品切れでしくしくっす。 しょうがないから Demon Tweeks から OMP の N1 マフラーを通販でとるが、荷物がなかなか届かない。 UPS をつつくと、 web で トラッキングサービス してるので見ろと言われてびっくり。 見ると、UK から成田を通りすぎて USA までいってしまっているでわないですかー!! E-Mail で UPS 担当者に怒鳴り込むと、この荷物はまだ成田にあるとのこと。 一体どうなっとるんじゃ。

そうしてやっと届いたマフラーはマニホールドとマフラーの おにぎりどうしが合わない。 さすがイタリア仕事。DT に文句を付けてもう一つ送らせるがこれも まったく同様。返品しようとすると DT は態度を硬化させる。 『今までこのマフラーでクレームが出たことはありません。』ほんまかー!! 聞いても忘れとるだけなんちゃうかおまえー!! と思いつつもとりあえず その後の展開を何か考えようと思いつつもオムツ弱いので しょうがないのでそのままにしておく。これが 7 月頃。

その後たまたま遊びに行った QED Japan でこの話をすると、鈴木さんがとりあえず 持ってきてください、やってみましょうよということになる。 おにぎりどうしを特殊工具(笑)でねじって難無く合わせてよしよし楽勝じゃと 思ったのも束の間、 ヘッドとマニホールドも合わず、マニホールドのネジ穴をがしがし加工する羽目になる。 こうして 4-5 時間の奮闘の末なんとか 新しいマフラー がついたのであった。 鈴木さんありがとうございました。

スカスカだった低速トルクも増えとても乗りやすくなる。音もぐうっすー。 上のほうはちょっと回りたがらなくなった様な気がするがこれはトレードオフで しょうがないのかも。

そんなこんなでやっとマフラーがついたのは9月末だった。

1996/05/03
さっそく助手席側のドアが内側から開かなくなりぢょしこうせい閉じ込め仕様 などといわれる。内張りをはがしてチェックしたところ、ロッドが途中で 折れていた。これも要溶接。ついでにドアハンドルなど磨く。結構傷が 多くなかなか磨き甲斐があるが適当なところでやめておく。

1996/06/xx
第1回 WB2M Club ツーリング。加賀美、白川、大塚夫妻、川崎、津山。 この頃フィルター、ワイヤー類、デスビ関係などの消耗品を US の Bayless Inc. から取る。

1996/06/29?
成田デビュー。目標は60秒以内。なかなか切れずにいたものの、最後の アタックでフィニッシュラインで2速6000まで回したら 58 秒台まで乗った。 まあでもおっかなびっくりで走ってるからなあ。

1996/07/xx
6月頃からエンジンのかかりが悪くなり、ついにはかからなくなる。 ロードスターのバッテリーをジャンプすると一発でかかった。 単なるバッテリー上がりのようだ。電流計をつなぐと2uA程度のリークがある。 これ以降、乗った後にはバッテリー端子は外している。

某 YASS Motors 不良在庫のキルスイッチを購入するものの、端子に合わず うちでも不良在庫となるが、現在は高嶋スパにて余生を送っている。

1996/07/xx
宮が瀬を走っていると突然4000回転以上で激しい息つきが発生。 エンジン冷間時には問題なし。温間負荷時のみの症状。 キャブか?電気系統か?

ローター、ポイント、キャップ、コンデンサを変えるも症状に変化なし。 プラグキャップあたりにガタのきている純正のプラグコードに変えて 永井 ウルトラ でワンオフで作ってもらうと、それ以来息つきはでなくなった。 プラグコードのリークだったようだ。

ちなみに新品のポイントは表面をあたっておくとぐうかも。 それからプラグコードの順番は間違えないようにしくしく。 なんか2気筒死んでるみたいなんですけど。ををコードまちがってるすつーか。 治癒まで約3ヵ月。

1996/10/xx
ドアオープナーのロッドをQEDにて溶接。助手席ドアが内側から開くようになる。 余ったもう一つのマフラーも QED にておにぎりをあわせる。FIAT 三姉妹(謎)の ムルティプラ乗りに鈴木さんから売却の話をしてもらうため QED で預かってもらう。 しかし、500, ムルティプラ、 850 に乗る三姉妹ってどんなんじゃー。 一度お会いしたいのだがっす。

結局マフラーは鈴木さん経由で沼津の FIAT600 乗りの人に売れたようだ。 12月の末だった。

1996/10/26
第二回 WB2M Club ツーリング。 大塚、大沢、深沢、立本、芦田、白尾、纐纈、加賀美、白川。 ルートは東名沼津IC-西伊豆-伊豆スカイライン-箱根新道-小田原厚木。
しかし、真面目に何時間も走ると疲れる疲れる。 なんたってシートベルトがないからシートに体が固定されないでしょ、 しょうがないからステアリングにしがみついて走るのだけど、そうすると 背筋が死ぬほど疲れるっすー。ベルトつけたいなあ。穴開けてもいいから。(-_-;; でもほんとはシートから変えないと意味がないんだけど。

1996/11/??
蛙の朝練を冷やかすべく宮が瀬にでかけるも、途中でガス欠でストップ。どっしぇー。 こんな時のために買った携帯はよりによって圏外。(-_-;;

しかたなく安全なところまで車を押して行き、近くにいた R33 のおにいさんに 清川村の公衆電話まで乗せて行ってもらい JAF を呼ぶ。 1時間ほど待たされたものの、ガソリンを入れると無事復活。 ガス欠でよかった。(^^;;

1996/11/xx
ダイナモのステーには購入当初からクラック(というよりはす、か)が入っていたのだが、割れる気配は見えなかったので当分大丈夫だろうと思って そのままにしておいた。そんな秋のある日 クラック が3mmほどに 成長しているのを発見、そのまま冬眠に入る。がちょーん。

ダイナモを外してよく見たらクラックだけかと思ったら完全に 折れてる じゃないですかー。(;_;) Bayless Inc. など数社パーツソースにあたるもパーツはとりあえずみつからず、 外してQEDの鈴木さん経由で腕の良いおやじさんにアルゴン溶接を依頼する。 しかしおやじ曰く、保証はできないよ、とのことだそうだ。

1996/12/8
溶接から上がったステーを取り付ける。なんとか取り付けてエンジンをかける。 よしよしちゃんとまわっとるようだのー、ほほほほ、と思ってエンジンを とめてよくみるとがちょーん、溶接した部分の脇の所からまたクラックがああ。 こりわやっぱり部品を探すしかないのか、それともワンオフで削り出しかああああ。 削り出しにしたらいくらかかるんだ?

1996/12/21
FIAT PLUS という US のパーツ屋に あたったところ、なんとパーツはあるとのこと。 ただし、ボルト穴の間隔が 103mm, 101mm の両方あって、101mm は欠品 とのこと。めんどくさがって外さずに測ったら 105mm あるぞ。(-_-;; しかしダメモト、不良在庫覚悟で 103mm の方をオーダーする。

あっちゅー間にパーツは届き(偉いぞ FIAT PLUS)、 いざ取り付けてみるとベルトのテンションが違う。(-_-;; なにおー、と思って外して着いてたステーと比べるとサイズが微妙に違う。 ホームセンターに走ってゴム買ってスペーサ変わりにするが、微妙に テンションが違いうまくいかない、てなところで日没コールド。

1996/12/22
昼過ぎから出かける用事があるので午前中にかたずけるべく朝からがんばって やったところ、なんとかそれらしく取り付けることはできた。 エンジンをかけて回してみても一応大丈夫のようである。

てなわけで何か知らない間に1996 年は終わったのでした。
御迷惑をおかけした皆様、どうもありがとうございました。
以下 1997 年に続く。(^^;;

special thanks to やぎいさん for photos of 96/03/24
text and photo: nigel@st.rim.or.jp