16.美濃国岐阜県不破郡垂井町府中 JR東海道本線垂井駅 '98.03.28 2002.07.05 2002.10.19


美濃国             「美濃国府」(タルイピアセンター)より

美濃国府趾

美濃国の国府は、現在の岐阜県不破郡垂井町の府中におかれた。府中にある安立寺(あんりゅうじ)が、かって府中寺と呼ばれていたこと、また境内から古瓦が出土することから、安立寺付近に国府があったとされてきた。
美濃国府廰趾と
記された安立寺の碑。
安立寺本堂
美濃の国府が、発掘された。
平成3年から9次にわたる発掘調査の結果、安立寺から100メートルほど南の
南宮
御旅神社
の境内から正殿跡が確認され、さらに、その南側から東西の脇殿跡と見られ
る遺構が見つかった。
(2002.07.05  10.19取材)
正殿跡とされる御旅神社の境内 出土した須恵器 駿河麿の墨書が見える。


南から御旅神社を望む。
道路の左から東脇殿が発見された。
東脇殿が検出された場所。


ここから正殿が発見された 御旅神社境内


御旅神社の南に広がる美濃国庁の発掘現場
第1次(1991)〜第9次(1999) 第3次調査で正殿を検出した。


美濃国府之宮(南宮御旅神社)

美濃国府が発掘された南宮御旅神社は、昔、国府之宮とも呼ばれていた。ここに国府
がねむっていることを、神社名によって後世に伝えようとしたのだろうか。


国府之宮と呼ばれたこの神社は、いわゆる美濃の総社に当たるのだろう。総社には祭りの日に、その国の有力な神社の神輿が、御幸する。

美濃一之宮南宮神社の神輿は、相川を禊ぎ川渡りしてこの宮に到るので、後年、南宮神社の神輿のお旅所のような形になったものだろう。総社の変遷の一例として興味深い。境内は東西に長く、奥に本殿がある。

祭神は南宮大神の姉神の
金山姫命。併せて豊玉姫命、埴山姫命を祀る。


御旅神社拝殿 掲額


美濃国分寺跡


南宮神社から北へ向かい、中山道を横切り県道216号線を東へ少し行くと
左手に美濃国分寺という大きな道標が見える。

美濃国分寺跡
東西231m、南北203m。
全国の国分寺の中でも最大級だ。
築地塀から金堂、塔などの礎石が、
ほぼ完全に近い形で保存されている。
七重の塔の礎石。
向こうに見えるのは金堂趾の基壇。


美濃国分寺復元模型

七重の塔をもつ堂々たる大伽藍である。

類聚符宣抄という古文書によると、寛弘元年(1004)閏9月、美濃国分寺の
破損状態を実験のため、官吏、木工、算師などを派遣したとの記事がある。
当時の中央政界は藤原道長の時代であり、美濃国司は渡辺綱や坂田金時
などの四天王を擁した源頼光であった。台風でかなりの被害を出したのだろ
うか。道長や頼光がなんとなく身近に感じられる。

美濃国分寺復元模型
東に塔、西に金堂を配し、中門と講堂を回廊で結ぶ
逆法隆寺式(法起寺式)で、国分寺としては珍しい。
配置図は「飛鳥の寺と国分寺」
         坪井清足著より


現国分寺
国分寺趾の北にある。
高野山準別格本山。真言宗のお寺である。
地蔵像
たくさんの地蔵像が奉納されていた。


南宮神社(美濃一之宮)

美濃一之宮南宮神社、御旅神社を出て御幸通を南に向かい
相川を渡り、東へしばらく行くと、これは立派なたたずまい。
美濃国一之宮 豪壮な楼門

主祭神は金山彦命

古くは仲山金山彦神社と呼ばれたが、美濃国府の南に位置するところから南宮神社と称するようになった。

この宮の宮司の
宮勝木実(みやすぐりのこのみ)が壬申の乱で天武天皇に味方し、不破関を守ったので破格の待遇を得たという。

延喜式で国幣大社に列している。
高舞殿と拝殿



美濃国地図





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