61.美作国  岡山県津山市総社  JR津山線津山駅  2004.11.20


古代の吉備国は、大化の改新後に備前、備中、備後の三国に分割されたが、さらに奈良時代に入って和銅六年(713)に、備前国北部から英多(あいた)、勝田(かつまた)、苫田(とまた)、久米、大庭(おおむは)、真嶋(ましま)の六郡を割いて美作(みまさか)国として分国した。


美作国府跡


美作国府の研究は、明治の歴史家矢吹正則を以て嚆矢とする。矢吹は美作国庁を真言宗龍起山国府台寺近辺に比定した。このあたりの地名「幸畑」が音で「国府」に通じること、平坦でいくぶん高台になっていること、古瓦が出土していることをその証左であるとした。
いま、国府台寺の境内に「美作国府跡碑」があり、この矢吹の説を碑文にしてある。

のちに京都大学の藤岡謙二郎教授が、周辺の地割りをもとにこの国府碑を北西の隅とする六町四方の国府域を想定した。この藤岡説に基づき、昭和四五年(1970)から四七年(1972)にかけて、岡山県教育委員会が発掘調査を実施した。

その結果、奈良時代から平安初期、平安初期から同末期、鎌倉時代初期の3期の遺構が検出された。第2期の平安時代の遺構からは、多数の瓦や土器と共に、瓦葺きの格式の高い礎石建物が検出され、美作国府政庁の左右脇殿であろうと推定されている。


国府台寺
美作国府跡の碑が境内にある。
円面硯
幸畑遺跡の平安時代遺構から出土した。


美作国府趾の碑


美作国総社宮

全国の総社の中で唯一、美作総社宮本殿が、重要文化財制度の無かった大正3年に国宝の指定を受けた。永禄12年(1569)毛利元就の造営による本殿は、入母屋妻入の独特の様式の豪華な桃山建築である。

主祭神は大巳貴命(おおなむちのみこと)。美作国六十五郷のすべての社祇を合祀する。


鳥居 拝殿


本殿
大正3年に国宝の指定を受けた。現在は国の重要文化財。

美作国分寺跡

美作国は備前国から分かれた上国であるが、国分寺の寺料は四万束と大国並みに多かった。

昭和52年(1977)から54年(1979)にかけて、津山市教育委員会が実施した発掘調査により、二町四方の寺域に南門、中門、金堂、講堂を南北に置き、中門と金堂を回廊で結び、その外に塔を配した、典型的な国分寺式伽藍配置を持つ大寺院の遺構が検出された。
さらに平成12年(2000)に塔跡の再調査が行われ、基壇の規模が一辺18メートルという巨大な塔であったことが確認された。平成16年(2004)には寺域全体が国指定遺跡に指定された。

しかし、現状はほとんどが田畑で民有地であり、史跡公園化は進んでいない。


美作国分寺の復元図
美作郷土博物館に展示されている。塔は巨大な七重塔だ。


美作国分寺の伽藍配置
塔の北側一帯の建物が現在の国分寺である。現国分寺は西面して建っている。


国分寺跡を示す表示
2004年5月国指定史跡とされた。
南門、中門跡
今はこのように民有の田地になっている。


金堂跡
金堂跡の一角に地区公民館が建っていた。
東西37M、南北22Mの基壇が検出された。
塔跡
現国分寺の阿弥陀堂(写真右)を作る際に
再調査したという。今は畑だ。奥が現国分寺


礎石
山門の前や境内に巨大な礎石が置かれている。


現国分寺山門
龍寿山と号す天台宗の寺だ。
本堂
文政11年(1828)建立で県重要文化財。


中山神社(美作国一之宮)


美作国の一之宮は中山神社だ。吉備国が四っつに分国され、そのうち備前、備中、備後三カ国の一之宮が、いずれも吉備津彦を祀るのに、ここ美作国だけは、鏡作神を祀る中山神社を一之宮とする。延喜式名神大社で正一位の格式を誇る。

現社殿は永禄2年(1559)尼子晴久が、戦勝の報礼として18年の歳月をかけて再建した。


鳥居
下の貫(ぬき)が柱を貫通しない独特の
様式で、中山鳥居と呼ばれる。
本殿
入母屋造檜皮葺。大正3年には国宝指定。
現在は国の重要文化財。


四脚門
この四脚門は上品で美しい。かすかに色づいた楓がしっとりした風情をただよわせる。


台風被害
平成16年(2004)10月の台風23号の
被害は甚大で、参道の杉並木は根こそ
ぎ倒れて、惨憺たる惨状だ。宮司さんは
100年かけて育ててきたのにと残念そう
猿神社
今昔物語で有名な猿神社。本殿のさらに
奥に鎮座する。ここも台風のせいで細い
参道を塞がれて、お詣り出来なかった。


美作国地図


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