縄文前期の代表遺跡 千葉県幸田貝塚
2008.09.15
千葉県松戸市にある幸田こうで貝塚は、縄文前期を代表する遺跡である。昭和46年(1971)から始まった発掘調査により、約6千年前の竪穴住居が161軒発見された。全国でも指折りの大規模集落の跡である。東西180M、南北250Mの台地状に点々と貝塚が広がり、土器や石器など貴重な遺物が数多く出土した。

幸田貝塚公園
上野から常磐線で40分、北小金駅が最寄り駅だ。バスで10分ほどの住宅街の中にある。がらーんとした普通の広場である。地元の人もここが貴重な縄文史跡だとは知らないようだ。


幸田貝塚の説明板 竪穴住居の発掘現場


松戸市立博物館
JR武蔵野線新八柱駅、新京成八柱駅からバスで10分。立派な博物館だ。

幸田こうで貝塚から出土した土器を所蔵しているが、常設展示にはほとんど展示されない。
どうしてだろう。企画展が開かれると展示されるが、その時はなぜか写真撮影が禁止になる。せっかく素晴らしい縄文土器を多数所蔵しているのに、市民はその素晴らしさを十分に味わえない。不思議な展示方針だ。


関山T式土器               (松戸市立博物館編「縄文時代の東西」より)

写真撮影が出来ないので、企画展「縄文時代の東西」の資料から転載させていただいた。
いずれも幸田貝塚出土の土器である。

深鉢型土器                    (松戸市立博物館所蔵)
繊維が混入された土器の代表で、羽状縄文系土器群関山式土器に分類される。
複雑で美しい縄文が器面全体に施される。
前代の撚り糸文系の気分を引き継ぐが、左撚りと右撚りの縄文原体を密着させ、同一方向に回転させながら押捺すると得られる、綾杉状の美しい縄文を複雑に絡み合わせる。まさに縄文の極地と言えよう。


深鉢型土器                    (松戸市立博物館所蔵)
口縁部の鋲のような球状の突起が印象的。胴部の縄文も複雑な幾何学模様を描き、見ていて飽きない。底は尖底から平底に変化している。


関山U式土器                  (松戸市立博物館編「縄文時代の東西」より)

関山T式で見られた口縁部の文様が退化し、代わって口縁部には注口状の片口が付く。
片口注口を持つ土器は、この時期だけの特殊な器形で、不思議なことに後代にはほとんど受け継がれなかった。


深鉢型土器                  (松戸市立博物館所蔵)
注口の両端部に突起を持つものもある。胴部の縄文はさらに複雑化する。


深鉢型土器                     (松戸市立博物館所蔵)


鉢形土器                       (松戸市立博物館所蔵)
片口土器の他、上図のような鉢形や、椀形、台付き土器など多様な器形が出土した。
主なものは国の重要文化財である。


竪穴集落の想像模型                   (松戸市立博物館)


放射性炭素C14による年代測定        (松戸市立博物館)
放射性炭素C14は5,730年で半減する。その性質を利用して、遺跡出土の有機物の炭素量から、過去の年代を測定することが出来る。この測定法によると日本の縄文時代の開始は、長崎県福井洞穴遺跡12,700年前にまで遡る。

この測定法で表す年代を放射性炭素年代と呼び、BP(Before Present)と表記する。核実験の影響を受けていない1950年を基準としている。

最近では、この年代測定を樹木の年輪年代や、サンゴのウラン含有量などによって誤差を較正した、較正年代が使用されるようになった。calBPと表記し歴年代と呼ばれることもある。


幸田こうで貝塚周辺地図


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