WWIIのフランス艦列伝Ver.1.2
戦艦編
Courbet級
|
Courbet、Paris、Ocean
|
フランス海軍はド級艦以降の流れに乗り遅れた状態で条約時代を迎えた。その為、こんな旧式のド級艦がWWIIでも主力の扱いであった。両舷側にも主砲のある配置はどうにも旧式である。
主砲:30.5センチ砲連装六基 副砲:13.8センチ砲単装22基
|
|
- クールベ(1913)
敗戦時英海軍に拿捕される。しばらく自由フランス海軍の宿泊艦として使用された後ノルマンディ上陸作戦で防波堤替りに自沈。
- パリ(1914)
敗戦時英海軍に拿捕される。亡命ポーランド海軍の宿泊艦にされる。
|
Bretagne級
|
Bretagne、Provence、Lorraine
|
Courbet級の改正型。主砲はさすがに中心線上にあるが旧式のド級艦には違いない
主砲:34センチ砲連装五基 副砲:13.8センチ砲単装14基
|
|
- ブリターニュ(1915)
40年にメルセルケビルで英戦艦の砲撃により轟沈。
- プロヴァンス(1915)
メルセルケビルの戦いでは、英軍の攻撃に最初に反撃する。この際、隣接するダンケルクのマスト越しに射撃を敢行したという。で逃走しようとして大破着底。後に浮揚してツーロンへ回航するも42年自沈。
- ロレーヌ(1915)
この艦のみ近代化改修に伴い主砲を四基に減らした状態で参戦。
対伊作戦の待機中にアレキサンドリアで敗戦の報を受け、英軍によって武装解除される。この際、緊迫した空気をなごませるべく、仏軍水兵は英艦の砲が狙っている前で甲板磨きを行ったという、まるで孔明の空城の計の様な話が伝わっている。43年より連合軍に参加。
|
Dunkerque級
|
Dunkerque、Strasbourg
|
多分2万5000トン前後のクラスでは最強と思われるが、なぜこの程度の新戦艦をこの時期に作ったのか不明。しかしそもそもビスマルクはこの艦を仮想敵に作られたのでドイツ艦ファンは感謝すべきである(なんだかなぁ)
艦尾方向には主砲が無い為副砲を集中配置。この辺にはネルソン級の影響が大きい様だが、ネルソンが弾薬庫の集中で重量軽減を狙っていたのに対しダンケルク級では主砲間の距離をできるだけ離してサバイバビリティを求めている。つまりあまりメリットのある配置ではないのだ。
シャッター付の航空兵装を後檣の後ろに配置したフォルムはシンプルで美しい。
主砲:33センチ砲四連装二基 副砲:13センチ砲四連装三基+連装二基
|
|
- ダンケルク(1937)
37年にスピッドヘッドの観艦式に登場し、アドミラルグラーフシュペー、足柄と並んで注目される。39年L部隊としてベアルンと共にシュペーの捜索に一応参加。メルセルケビルで敗戦を迎え、40年7月、同地で仏艦の枢軸側接収を恐れる英軍H部隊の攻撃を受ける(カタパルト作戦)。港内で後ろ向きの状態で攻撃され、電源系を破壊され大破着底。更に3日後、修理中をアークロイヤルに追い討ちされる。後に浮揚されてツーロンまで回航。42年11月27日ツーロンにて、ドイツ軍の接収を避ける為僚艦多数と一斉に自沈。
- ストラスブール(1938)
艦橋の改正でダンケルクとは微妙に印象が違う。実は装甲もちょっと厚い。 40年にダンケルク同様英軍H部隊の攻撃を受けるもからくも港外へ脱出。低速のH部隊戦艦群から逃走に成功。この時空母艦載機の追撃を受けている。つまり英軍は洋上を航行中の戦艦を世界で最初に撃破するというチャンスを逃したのである。しかしこの艦の幸運もそこまで。42年ツーロンにて自沈。この際接収に来たドイツ軍の戦車砲で副砲に被害を受けたという説があるがいまいち怪しい話である。
多くの資料が第2SS所属戦車の88ミリ砲による損害といっているが、TIGER-Iの装備時期と2SSのその時の所在からしてありえないからである。おそらく信憑性の低い資料からの引用が独り歩きしているだけだと思うのだが、本当だったら戦車が戦艦に損害を与えたとても珍しい例といえよう。
44年に(ドイツ軍の手で?)浮揚してもらう。しかし米軍の空襲で再着底。45年に
再浮揚(フランス軍による?)。後ハルクとして利用、55年解体処分。浮いたり沈
んだりとにかく忙しい。
|
Richelieu級
|
Richelieu、JeanBart、Clemenceau、Gascogne
|
Dunkerque級の延長上にあるフランス最強最後の高速戦艦。
Dunkerque級との外観上の大きな違いは航空設備を露天の貧弱なものにした事と煙突と後檣が一体となったマック形式を採用している事である。
主砲:38センチ砲四連装二基 副砲:15.2センチ砲三連装三基
|
|
- リシュリュー(1940)
敗戦時、ブレストからまだ未完成のまま脱出ダカールへ移動。同年7月に侵入して来た英軍モーターボートの爆雷で推進器を損傷。行動不能になったところを英空母ハーミスの雷撃機により大破。行動不能のまま9月にバーラムとレゾリューションの攻撃を受け、砲撃戦をやらかす。これはなんと撃退。
43年、連合軍に参加。ニューヨークに回航されて対空兵装の強化などの改修を受ける。この際メートル法とフランス人的新基軸を導入して設計されたリシュリューをインチの国で改修する為にいろいろ困難があったと言われる。ここで主砲を38センチから381ミリに広げている。それ以降はイギリス艦隊に編入され、インド洋方面で従軍。終戦を迎える。
46年に仏印で行動。この際の塗装の美しさは絶品である(青灰色と青紫)。かってのフランス海軍には艦長が私費で塗料を買い、ある程度好きに塗っていいと言う不分律があり、その伝統が影響しているのかもしれない。ま、3万5千トン艦の塗装を私費でまかなえるはずはないけれど。
- ジャン・バール(1949)
開戦当時未完成だったジャンバールだが、戦争勃発にもかかわらずフランス的作業能率のため工事の進捗ははかどらなかった。敗戦の報を受けた時の完成度は77%。主砲は一基しか搭載していなかった。四軸のうち二本だけ装着されていた推進軸に機関をつなぎ、対空用の機銃をのっけて急拠水路を浚渫して脱出。座礁したり味方飛行機を撃墜したりの大騒ぎを起こしつつサンナゼールからカサブランカへ移動。しかしここには艤装できる様な設備はなく乗員の努力でなんとか陸上に三か所の射撃指揮所を建設。この状態で42年に北アフリカ上陸作戦で米軍の攻撃を受ける。マサチューセッツとレンジャーに反撃するも大破着底。
以後ほったらかし。45年に浮揚。戦後の49年になってようやく完成。その為、世界で最後に完成した戦艦という事になった。つまりフランスは最初の戦艦と最後の戦艦を作った国という事になる。ちなみにCICを増築したため、排水量が1万トン程増加しているが、機関出力を増大し、速力を32ノットに上げている。
- クレマンソー(未成)
リシュリューとは副砲配置が違う。未成のまま44年ドイツ軍がブレスト港の閉塞船として利用。米軍の空襲で沈没。
- ガスコーニュ(未成)
前後に一基ずつ主砲塔を持つ配置の予定だった。資材収集の段階で建造中止。
|
#…さてダンケルクからガスコーニュまでのフランス戦艦、どれ一つ同じ外見のもの
#がない。この小手先の変更が実にフランスらしいのである。
空母編
Normandie級
|
Bearn
|
戦艦として起工されるも軍縮条約で放棄され、空母に転用。40機搭載可能。舷側に戦艦時代の魚雷発射管を持つとしている資料もある。
|
|
- ベアルン(1927)
出自からして赤城やレキシントンの同類ではある。しかし、不幸にもフランスの辞書には「巡洋戦艦」という文字がなかったのだ。…速力実に21ノット。この空母では新鋭戦艦にまったく追随できない。おしなべて速力自慢の仏艦の中では、部隊の中で最も遅いのが空母ではなかろうか…。
39年L部隊としてグラーフシュペーの捜索に参加。敗戦時にはブレストにおり、西インド諸島はマルティニク島まで脱出。44年まで抑留。連合国側に参加後は航空機輸送に従事する。この際飛行甲板を切り詰めて対空機銃を載せたため、もはやまともに離発着が不可能な状態になる。しかし、こんな情けない空母しかなかった国が今では正規空母数世界No.2なのだから世の中はわからんものである。
|
Commandant Teste級
|
Commandant Teste
|
船体に長さ84メートル、高さ7メートルのシャッター付格納庫を持つ水上機母艦。水上機26機を運用可能。驚く程窓が多い。
|
|
- コマンダンテスト(1932)
40年メルセルケビルで英軍の攻撃を受けるも逃走、ツーロンに脱出。ストラスブール隊とは別行動をとっている筈である。速力的に追随できなかったのだろう。当然42年ツーロンにて自沈。
|
重巡編
Duquesne級
|
Duquesne、Tourville
|
条約型重巡。日本の重巡を見慣れた目で見るとなんだか軽巡のようなデザインである。装甲は弾薬庫でさえ30ミリ。異常に軽防御の重巡である。あまりに軽防御なので戦闘に耐えないと判断され、何回か空母に改装しようという話があった。
条約巡の排水量では14機しか飛行機が乗らないので没ったが、当然だろう。
|
|
- デュケーヌ(1928)
戦艦ロレーヌと共にアレキサンドリアで武装解除される。アメリカで改装後、フランス沿岸の艦砲射撃などを行う。
- トゥールヴィル(1928)
デュケーヌに同じ。
|
Suffren級
|
Suffren、Colbert、Foch、Dupleix
|
デュケーヌ級の改正型。装甲強化を行ったが何故か排水量は小さくなっている。
例によって軽巡の様なデザイン。
|
|
- シュフラン(1930)
敗戦時にアレキサンドリアで武装解除。43年アメリカで改修し連合軍側で参戦。
- コルベール(1931)
40年敗戦直前の対伊戦争で沿岸を砲撃。42年ツーロンで自沈。
- フォッシュ(1931)
防御力強化型シュフラン級。40年敗戦直前の対伊戦争で沿岸を砲撃。42年ツーロンで自沈。
- デュプレ(1932)
さらに防御力強化がなされている。40年敗戦直前の対伊戦争で沿岸を砲撃。42年ツーロンで自沈。
|
Algerie級
|
Algerie
|
イタリアのザラ級に対抗すべく作られた重防御の条約型重巡。艦橋構造が檣楼になったのと煙突が一本にまとまったのでようやく近代的重巡らしい外観に。
|
|
- アルジェリー(1934)
40年敗戦直前の対伊戦争で沿岸を砲撃。42年ツーロンで自沈。
|
軽巡編
Duguay Trouin級
|
Duguay Trouin、Lamotte Picquet、Primauguet
|
七千トン級軽巡。陸軍の弾薬を使えるように155mm砲を装備しているところが予算の少ないフランス海軍らしい。
|
|
- デュゲイ・トルーアン(1926)
敗戦時にアレキサンドリアで武装解除。43年連合軍に参加しアメリカで改修。44年にはアンヴィル・ドラグーン作戦に参加。
- ラモット・ピケ(1926)
敗戦時の極東艦隊旗艦。敗戦後はヴィシー政権下の指示で植民地警護。41年トンブリを主力とするタイ艦隊と交戦、これを圧倒する。フランス海軍の戦争初期の唯一の勝利ではないだろうか。42年に日本軍により武装解除。45年に米艦載機の攻撃で沈没。
- プリモゲ(1926)
敗戦時にカサブランカにおり、42年の北アフリカ上陸作戦で米34任務部隊と交戦、撃沈される。
|
La Tour d'Auvergne級
|
La Tour d'Auvergne
|
敷設巡洋艦。
|
|
- ラ・トゥール・ドーブルニュ(1931)
完成時は敷設巡洋艦Pluton。一時練習艦になった時に艦名を変更。39年モロッコ防衛に出動時、機雷の陸揚げ作業中に爆発事故で沈没。
WWIIのフランス海軍最初の損失艦は事故喪失でした。
|
Jeanne d'Arc級
|
Jeanne d'Arc
|
練習巡洋艦。日本の鹿島等に相当する艦だが、こちらの方がはるかに出来が良い。陸砲と共通弾の使える155mm砲装備なのは練習時の経費削減策なのだろうか?
|
|
- ジャンヌ・ダルク(1931)
敗戦時はベアルンとともにマルティニク島におり、43年連合軍に参加、コルシカ作戦に従事。でもコルシカ作戦って何?
|
Emile Bertin級
|
Emile Bertin
|
6000トンの軽巡。前檣と背負い式の主砲がなだらかなラインを描いており、なかなか近代的なデザインの軽巡である。
|
|
- エミール・ベルタン(1934)
敗戦時ベアルンとともにマルティニク島におり、43年連合軍に参加し地中海で活動。艦名の由来は三景艦の設計者で、日本で言うとさしずめ軽巡「平賀譲」なんて感じだがその割にはマトモな艦でつまらない。
|
La Galissonniere級
|
La Galissonniere、Jean de Vienne、Marseillaise、Gloire、Montcalm、Georges Leygues
|
舷側装甲100ミリの重防御はアルジェリー級に匹敵。フランス人の考える事はわからない。後檣はシャッター式の格納庫になっており、第三砲塔上にはカタパルト。艦尾には格納式のハインマット装置があり、もはや航空軽巡と呼んでも差し支えない。航空機4機運用可能。通商破壊をやるにも通商護衛をやるにもこの艦の航空兵装は重宝だったに違いない。…やればだけど。
|
|
- ラ・ガリソニエール(1935)
42年ツーロンで自沈。イタリア軍が浮揚、FR12として接収したが連合軍の空爆で沈没。なおこの艦の名はその後、後檣が折り畳み式ヘリ甲板になっている駆逐艦に継承されている。
- ジャン・ド・ヴィエンヌ(1937)
42年ツーロンで自沈。イタリア軍が浮揚、FR11として接収したが、43年9月にイタリアが降伏。ドイツの了承を得てフランスが保管している所を11月に連合軍の空爆で破壊。ああややこしい。
- マルセイエーズ(1937)
42年ツーロンで自沈。
- グロアール(1937)
ツーロンで敗戦を迎え、ダカールに逃走するも英の妨害でカサブランカに停泊。42年から連合軍に参加。
- モンカルム(1937)
ツーロンで敗戦を迎え、ダカールに逃走するも英の妨害でカサブランカに停泊。42年から連合軍に参加。ノルマンディー上陸作戦に参加。
- ジョルジュ・レイグ(1937)
ツーロンで敗戦を迎え、ダカールに逃走するも英の妨害でカサブランカに停泊。42年から連合軍に参加。ノルマンディー上陸作戦に参加。オマハビーチで艦砲射撃を行ない、付近の村の牛60頭殺戮と言う偉大な戦果を得る。
|
駆逐艦編
Chacal級
|
Chacal、Jaguar、Leopard、Panthere、Tigre、Lynx
|
2100トンの大型駆逐艦。速力34ノット。
|
|
- シャッカル(1926)
40年ダンケルク撤退戦中にドイツのJu87によって撃沈。
- ジャグアール(1926)
40年ダンケルク撤退戦中にドイツのSボートによって撃沈。
- レオパール(1927)
英で抑留され自由フランス軍に所属。43年トブルク沖で座礁沈没。
- パンテール(1926)
42年ツーロンで自沈。浮揚後イタリア軍にFR22として接収され、43年にラ・スペチアで自沈。
- ティーグル(1926)
メルセルケビルの戦い時ストラスブールと共に脱出。42年ツーロンで自沈。浮揚後イタリア軍にFR23として接収され、戦後返還される。
- ランクス(1927)
42年ツーロンで自沈。
|
Guepard級
|
Guepard、Bison、Lion、Vauban、Valmy、Verdun
|
2400トンの大型駆逐艦。速力35ノット。完全な缶機の分離がこの級より為される。
|
|
- ゲパール(1929)
42年ツーロンで自沈。浮揚されたが44年に連合軍の空爆で撃沈。
- ビゾン(1930)
40年ノルウェー戦でナムソス撤退時にドイツJu87により撃沈。
- リオン(1931)
42年ツーロンで自沈。43年に浮揚。イタリア軍FR21として接収。イタリアの降伏で43年にラ・スペチアで自沈。
- ヴォーバン(1931)
42年ツーロンで自沈。
- ヴァルミィ(1930)
42年ツーロンで自沈。43年に浮揚。イタリア軍FR24として接収。45年にドイツ軍によって、ラ・スペチアで自沈。
- ヴェルデュン(1930)
42年ツーロンで自沈。
|
Aigle級
|
Aigle、Vautour、Albatros、Gerfaut、Milan、Epervier
|
ゲパールの改正型。
|
|
- エーグル(1932)
42年にツーロンで自沈。43年浮揚されたが連合軍の空爆で撃沈。
- ヴォートゥール(1931)
42年にツーロンで自沈。浮揚されたが44年連合軍の空爆で撃沈。
- アルバトロ(1931)
カサブランカで擱座したものを再浮揚、戦後試験艦に。
- ジェルフォー(1932)
42年にツーロンで自沈。浮揚されたが44年の連合軍の空爆で撃沈。
- ミラン(1934)
34年竣工。42年の米軍の北アフリカ上陸作戦時により擱座、放棄される。
- エペルヴィエ(1934)
34年竣工。42年の連合軍のオラン攻撃で大破、擱座。
|
Vauquelin級
|
Vauquelin、Tartu、Kersaint、Cassard、Chevalier Paul、Maille Breze
|
やはりゲパールの改正型だが、ほとんど違いはない。
|
|
- ヴォークラン(1933)
42年ツーロンで自沈。
- ケルサン(1933)
42年ツーロンで自沈。
- カサール(1933)
42年ツーロンで自沈。
- タルテュ(1932)
42年ツーロンで自沈。
- シュヴァリエ・ポール(1934)
41年6月シリアへ弾薬運送中、英軍機の雷撃で沈没。
- マイレ・ブレゼ(1933)
40年4月に英クライド湾グリーノック在泊中停泊中に魚雷暴発事故と続く燃料引火で全損。
|
Le Fantasque級
|
Le Fantasque、Le Malin、Le Terrible、Le Triomphant、L'Audacieux、L'Indomptable
|
ゲパールの改正型の最終シリーズ。煙突を二本にまとめ艦容はぐっと精悍に。機関の向上で速力は37ノット。
|
|
- ル・ファンタスク(1936)
ダカール作戦後自由フランス軍に所属。
- ル・マラン(1936)
ダカール作戦後自由フランス軍に所属。
- ル・テリブル(1936)
ダカール作戦後自由フランス軍に所属。
- ル・トリヨンファン(1936)
休戦時プリマス在泊。その後自由フランス軍に所属。
- ローダシュー(1935)
43年ダカール上陸作戦で大破、ビゼルトで修理中空襲を受け撃沈。
- ランドンターブル(1936)
42年ツーロンで自沈。
|
Mogador級
|
Mogador、Volta
|
秋月級よりでかい!島風より速い!主砲は連装4基。最強最後の大型駆逐艦、それがモガドル級である。排水量夕張並の2880トン。公試最大速力なんと43ノット。
ここまできてようやく主砲塔が密閉式になり、半自動の連装砲を採用したものの、ゲパール改からの技術的飛躍が大きすぎて不調。主砲の発射速度は単装の従来艦と伝えられている。面構えは圧倒的に恰好ヨイのでそれでいいという気はする。
|
|
- モガドル
メルセルケビルの戦いでは機雷に誘爆し艦尾を喪失。ツーロンに回航修理するも42年自沈。メルセルケビルでのダンケルクの損傷を、この艦の機雷誘爆に巻き込まれたものとする資料もある。
- ヴォルタ
メルセルケビルの戦い時にストラスブールを護衛してツーロンへ移動。42年ツーロンで自沈。
|
Bourrasque級
|
Bourrasque、Orage、Sirocco、Cyclone、Tramontane、Tornade、Typhon、Mistral、Ouragan、Simoun、Tempete、Trombe
|
1300トン級の(フランスとしては)小型の駆逐艦。
|
|
- ブーラスク(1926)
40年のダンケルク撤退作戦中に触雷沈没。
- オラージュ(1926)
ブーローニュ撤退作戦中に独軍の空襲により撃沈。
- シロコ(1927)
ダンケルク撤退作戦中に独魚雷艇S23とS26の雷撃で撃沈。
- シクローヌ(1927)
ダンケルク撤退時に独S24の攻撃で大破。降伏翌日にブレストで自沈。
- トラモンターヌ(1927)
42年の連合軍北アフリカ上陸作戦時に英軍の攻撃で大破、擱座放棄。
- トルナード(1928)
42年の連合軍北アフリカ上陸作戦時に英軍の巡洋艦Auroraと駆逐隊により撃沈。
- ティフォン(1928)
42年の連合軍北アフリカ上陸作戦時に閉塞船として自沈。
- ミストラル(1927)
休戦時英海軍が接収、砲術練習艦に。
- ウーラガン(1927)
休戦時英海軍が接収。後自由ポーランド軍に配属し自由フランス海軍発足後は自由フランス海軍所属。
- シムーン(1926)
休戦時英海軍が接収。のち自由フランス海軍所属。
- タンペート(1926)
休戦時英海軍が接収。のち自由フランス海軍所属。
- トロンブ(1927)
42年ツーロンでの自沈に失敗。伊海軍に接収されFR23となる。後自由フランス海軍。
|
L'Adroit級
|
L'Adroit、Foudroyant、La Railleuse、Boulonnais、Brestois、Fougueux、Frondeur、Le Mars、La Palme、Bordelais、L'Alcyon、Le Fortune、Basque、Forbin
|
ブーラスク級の改正型。排水量1500トン。
|
|
- ラドロア(1929)
ダンケルク撤退作戦中、独空軍により撃沈。
- フードロアイヤン(1930)
ダンケルク撤退作戦中、独空軍により撃沈。
- ラ・ライユーズ
40年カサブランカで魚雷弾頭爆発事故で沈没。ラ・トゥール・ドーブルニュとい
いカサブランカでの事故が多くないか?
- ラルシヨン(1929)
42年連合軍の北アフリカ上陸作戦時にカサブランカで連合軍と交戦。停戦後自由
フランス海軍に。
- フーグー(1930)
42年連合軍の北アフリカ上陸作戦時、カサブランカで米戦艦Massachusetts他により撃沈。
- ブーロネー(1928)
42年連合軍の北アフリカ上陸作戦時にカサブランカで米巡Brooklynにより撃沈。
- ブレストア(1928)
42年連合軍の北アフリカ上陸作戦時にカサブランカで大破浸水し転覆沈没。
- フロンドゥール(1931)
42年連合軍の北アフリカ上陸作戦時にカサブランカで大破浸水し転覆沈没。
- ル・フォルテュネ(1928)
敗戦時アレキサンドリアに抑留、自由フランス海軍に。
- バスク(1930)
敗戦時アレキサンドリアに抑留、自由フランス海軍に。
- フォルバン(1930)
敗戦時アレキサンドリアに抑留、自由フランス海軍に。
- ル・マルス(1928)
42年ツーロンで自沈。
- ラ・パルム(1928)
42年ツーロンで自沈。
- ボルドレー(1930)
42年ツーロンで自沈。
|
Le Hardi級
|
Le Hardi、Mameluck、L'Adroit、Foudroyant、Casque、Le Cyclone、Siroco、Bison
|
連装砲の採用などでモガドルに似た艦容。排水量1800トン。速力37ノット。
|
|
- ル・アルディ(1940)
42年ツーロンで自沈。後浮揚され伊海軍FR37に。45年ジェノアで閉塞船として自沈。
- フルーレ(1940)
後にフードロアイヤンと艦名変更。42年にツーロンで自沈。後浮揚され伊海軍FR36に。44年ツーロンで閉塞船として自沈。
- レペー(1940)
後にラドロアと艦名変更。42年にツーロンで自沈。後浮揚され伊海軍FR33に。イタリアの降伏により仏に返還、解体処分。
- ランスクネー(1940)
後にル・シクローヌと艦名変更。42年ツーロンで自沈。後浮揚され伊海軍FR34に。45年ジェノア?で閉塞船として自沈。
- ル・コルセール(1940)
後にシロコと艦名変更。42年ツーロンで自沈。後浮揚され伊海軍FR32に。43年ジェノアで閉塞船として自沈。
- ル・フリビュスティエ(1940)
後にビゾンと艦名変更。42年にツーロンで自沈。後浮揚され伊海軍FR35に。44年ツーロンで閉塞船として自沈。
- マムリュク(1940)
42年ツーロンで自沈。
- カスク(1940)
42年ツーロンで自沈。
|
…まだ潜水艦多数や、スループやらフリゲートやらに相当する植民地通報艦などもいろいろあるんですが、とりあえずこの辺りでやめときましょう。
さてお気づきでしょうか?巡洋艦以上の艦で、独伊に沈められた艦が一隻も無い事を。そう、仏自らの手による自沈か英米の攻撃で沈んでいるんですね〜。なんと悲惨な事でありましょうか。
とりあえず興味の出た人は、世界の艦船別冊「第2次大戦のフランス軍艦」でも読んでみてください。でわでわ。
参考資料
- 世界の艦船別冊「フランス戦艦史」、海人社
- 世界の艦船別冊「第2次大戦のフランス軍艦」、海人社
- 世界の艦船別冊「第2次大戦のイタリア軍艦」、海人社
- 世界の艦船259集「特集・フランス海軍」、海人社
- 世界の艦船387集「特集・フランス海軍」、海人社
- 世界の艦船437集「特集・軍艦の煙突」、海人社
- 世界の艦船463集「特集・フランス海軍のウェポンシステム」、海人社
- Warships fotofax"FRENCH BATTLESHIPS 1876-1946",Arms and Armour Press
協力:青山剛師匠:感謝しとります!