双頭の鷲 ライオン クセルクセス門 アパダナ
牡牛 タチャラ 角のあるライオン 百柱の間

      
世界遺産ペルセポリス   

ペルセポリスの位置
 アケメネス朝(紀元前550年〜330年)ペルシアのダレイオス(ダリウス)1世によって造られ、アレクサンドロス大王によって破壊された世界史上の大いなる遺産です。1979年のイスラム革命によって追放されたパーレビ国王は、かつて大ペルシアの再現を夢見て、ここでペルシャ建国2500年祭を開きました。
 ペルセポリスはギリシャ語からきた呼び名で、古来イランでは「タクテ・ジャムシード」と呼ばれています。
 ペルシア湾に近い位置にシーラーズという町がありますが、ここから東北に約60キロ行ったところにペルセポリスはあります。シーラーズからは車で1時間ほどで行けます。


ペルセポリスの歴史
 イランは、現在でこそイスラム教シーア派を国教としている国ですが、イスラム教が浸透する以前は、拝火教(マズダ教・ゾロアスター教)が人々の生活に密着していました。その伝統的な宗教行事の一つに新年を祝うノールーズがあります。毎年3月21日(春分の日)がその日で、イランの1年はここから始まります。
 ペルセポリスは、ノールーズを祝う祭典と密接な関係があった宮殿です。
 紀元前6世紀末に、ダレイオス1世の命により建設がはじまりました。アケメネス朝の首都はスーサにありましたが、宮殿は、夏宮としてエクバダナ、冬宮はバビロン、そしてノールーズ祭儀を行う宮殿としてペルセポリスが造られました。
 ダレイオス1世の子クセルクセス1世、アルタクセルクセル1世、アルタクセルクセス2世、アルタクセルクセス3世、ダレイオス3世と歴代の帝王がペルセポリスの拡充につとめましたが、紀元前330年、東方遠征途上のマケドニアのアレクサンドロス大王によって宮殿は灰燼にきせしめられ、ダリウス3世はバクトリア(中央アジア)で死亡し、アケメネス王朝は滅亡しました。


ペルセポリス遺跡の概容
 西アジアの3P遺跡として、パルミラ(シリア)、ペトラ(ヨルダン)とともに多くの観光客をひきつけているペルセポリスは、山を背にした高台の上に広がり、おおまかに6区画より成り立っています。すなわち、クセルクセス門の区域、ダリウス1世の謁見の間、宮殿跡、百柱の間、宝物殿跡、そして磨崖の王墓区域です。
 遺跡に上るための階段を上りきると、いきなり人面有翼獣の像を左右に配した大きな門が現われます。これがクセルクセス門で、「万国の門」とも称されています。正面の人面有翼獣の像は、顔の部分が破壊されていて、右側の像が著しい損傷を受けています。しかし、門を通り抜けると内側に向いた門の両側にも同じ像が左右にあり、こちらは両方とも比較的よく残っています。
 ダレイオス1世の謁見の間は、アパダナ宮殿とも呼ばれています。この宮殿に上るための階段が北側にありますがその側壁面に見事なレリーフが刻まれています。外国の外交使節や属国の朝貢使節の行列が描かれ、そしてその壁面の左右(階段スロープの壁面)には、牡牛と闘うライオン像が刻まれています。こうしたレリーフは、アパダナ宮殿の東側の階段にも描かれています。特に東側は保存状態がたいへん良いので、屋根で覆って保存に気が配られています。
 ペルセポリス遺跡の南西の一角には、各時代の帝王の宮殿跡があります。ダレイオス1世の宮殿、クセルクセス1世の宮殿、アルタクセスクセス3世の宮殿です。ダレイオス宮殿の階段や土台石の壁面にはやはり数多くのレリーフが刻まれています。
 百柱の間は、アパダナ宮殿の東側に位置しています。一辺が約70メートルのほぼ正方形の大広間は、縦横各10本の柱列が整然と並び宮殿の天井を支えていました。さらに玄関にあたる北側には、東西8本の柱が2列に並んでいたようです。広間への入り口は東西南北にありました。現在は、それぞれレリーフが施された門を見ることができます。大広間の百柱の大部分は破壊され、規則正しく並んだ柱の台座が往時を偲ばせてくれます。
 宝物殿跡は、東側の山の麓にあります。その広さは、1ヘクタール以上あります。アレクサンドロスはペルセポリスを陥落させた後、1万頭のラバと5千頭のラクダでペルセポリスの宝物を略奪したとプルタルコスは書いています。想像を絶する富がペルセポリスに蓄えられていたことでしょう。
 遺跡の背後の山の中腹には、岩を削って作られたアルタクセスクセス2世の墓があります。このテラスからは、遺跡全体を俯瞰することができます。また、その南方の中腹にも、やや小規模ながら、王族の墓があります。


遺跡の現状
 遺跡の中には、ペルセポリスからの出土品などを展示している博物館があります。かつて後宮があった場所に建てられたもので、その建物の構造は、ペルセポリスが最盛期の頃のアケメネス様式を再現しています。柱や天井など、百柱の間を彷彿とさせるつくりとなっており、一見に値します。
 また、ペルセポリス遺跡のレリーフの一部や柱の彫刻などはテヘランにある国立博物館内に展示されています。
 アパダナ宮殿東側階段のレリーフは、鉄骨に支えられた屋根で覆われています。また、遺跡のあちこちに異様な形態の怪獣像が復元されています。
 ペルセポリスの入場券売り場には、老人のガイドがいました。かなりブロークンながら英語を話すガイドで、大いに助かりました。