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ダマスカスは、シリア・アラブ共和国の首都です。
シリア砂漠の西端に位置
するオアシス都市で、その歴史は、数千年に及ぶとされ、紀元前10世紀頃にアラム人が建国したアラム王国の首都となって以来、シリア・パレスティナ地域の商業都市として栄えてきました。
現在の
ダマスカス
は、ウマイヤ・モスクを中心とする旧市街を核として、裾野を広げてきた近代都市です。
シリア現地名では、ダマスと呼びます。また、古代名をダマスコといいます。
ダマスカスの歴史
ダマスカスは、アラム人の支配をうけた後、アッシリア、バビロニア、エジプトの支配をうけ、さらにペルシャ帝国の覇権も及んできました。そして、紀元前4世紀には、アレクサンダー(アレクサンドロス)大王の東征により、セレウコス朝の支配をうけ、さらにローマ帝国へと受け継がれていきます。その後、イスラム帝国の勃興とともに、661年にダマスカスを首都とするウマイヤ朝イスラム帝国が成立し、その支配は、現在のスペインからアフガニスタンにわたる広域に及びました。
イスラム帝国はアッバース朝が興ることにより首都がバグダッドにうつりますが、その後もダマスカスはイスラム文化の中心にありました。やがてルネッサンスを迎える西ヨーロッパが、ギリシャ文明と出会うのも、11世紀から13世紀の十字軍遠征により、ダマスカスなどのイスラム都市を一時支配してきたことによるものなのです。
ダマスカスはその後、エジプト・アイユーブ朝、マムルーク朝の支配の後、オスマン・トルコ帝国の支配をうけて、現在のシリア・アラブ共和国の首都へと至っています。
旧市街
中東における華々しい歴史の変遷の中心にあったからこそ、旧市街には歴史の重みを感じさせるいくつかのモニュメントがあります。
ウマイヤ・モスク
ウマイヤ・モスク
は、一般には、708年の創建とされていますが、もともとは、ローマ時代の神殿であったものをそれぞれの時代の宗教建築物に改造されてきたものです。東ローマ帝国の支配時代にはキリスト教が公認されるのにともない、テオドシウス帝によりキリスト教会に改築され、さらにイスラム帝国時代にモスクと容を変えていきました。
したがって、ウマイヤ・モスクをつぶさに見ていくと、ローマ時代の建築様式を感じさせるところを随所に見ることができます。まず、
中庭
は、美しい列柱の
回廊
となっています。これは、ローマ神殿などの遺構でよく見られます。また、
モスク内部
も2段構造になったコリント式列柱が建物の長辺方向に2列に並び、モスクの高い天井を支えています。
モスクとなるまえは、聖ヨハネ教会として建てられていたため、モスク内部には、ヨハネの首がいまも安置されています。
サラディン廟
ウマイヤ・モスクの北側に、十字軍の侵略からアラブ世界を守った
サラディン(サラーフ・アッディーン)
の廟があります。また、その西側には、当時の
シタデル(要塞)
も残っています。
スークと「まっすぐな道」
ウマイヤ・モスクの西の入り口からは、西方にスーク・ハミディーエが連なっています。ダマスカス旧市街最大のスークです。通りは高い屋根でおおわれ、両側には衣類から食料品、宝飾品までさまざまな商品を扱う店がならび、まさにイモを洗うような混雑ぶりで、肩と肩を触れ合いながら市民が行き交っています。
スーク・ハミディーエの南がわに、それとほぼ平行に走るスーク・マダハット・バシャというスークがあります。この通りが聖書にも出てくる
「まっすぐな道」
で、ローマ時代には、ビア・レクタと呼ばれていました。新約聖書の使徒言行録で、パウロがキリスト教に改宗したときに通った道と著されているのがこの通りです。ビア・レクタ、現在のアリ・アルジャマルは、旧市街の西門から東門までほぼ真っ直ぐに走っています。道幅は、車がようやくすれ違うことができるほどしかありませんが、両側には幅1メートルほどの歩道があり、歴史を感じさせる家具や道具などの工房あるいは店がびっしりと並び、軒下で
職人などの作業
をしている光景を見ることができます。
ローマ記念門
ビア・レクタを東に向かっていくと、途中に
ローマ記念門
があります。凱旋門と呼ぶにはつつましいたたずまいです。現在の通りの脇に、保存のための柵に囲まれながらこじんまりとたっています。このあたりが、旧市街のほぼ中心地になりますが、ここまで訪れる観光客はまばらのようです。
旧市街には、このほか、
アゼム宮殿博物館
や新約聖書に出てくる聖アナニア教会、聖パウロ教会などがあります。また、旧市街に入る
市門
が今も保存をされて数ヶ所にあります。
私は、ダマスカスを訪れたときに、真っ先にウマイヤ・モスクに向かいました。ウマイヤ・モスクは、かつてキリスト教会だったように両宗教を融合したような雰囲気があり、なおかつローマ時代の遺跡を見ているような不思議な雰囲気をもっていました。とくにこのモスクの裏側に回ったときに、時代を遡ったような不思議な錯覚にとらわれました。そこには、
ウマイヤ・モスクの裏門
の大きな壁が立ちはだかっていたのですが、2千年の風雪を潜り抜けてきたような重厚なたたずまいがあったのです。壁の前のチャイハネで飲んだコーヒーは格別でした。