生贄の祭壇 ジッグラト ジッグラトへの入り口
ジッグラト
ジッグラト 日時計(?) 足跡 ユネスコ−日本基金

      
世界遺産チョガー・ザンビール   

チョガー・ザンビールの位置
 ペルシャ湾の最深部からほど近いイランの都市アフワーズから、北に約120キロほど進んだところに、チョガー・ザンビールの遺跡があります。荒涼とした大地の中に忽然とジッグラト(聖塔)がそびえています。あたりに人家はなく、もっとも近い町はそこから北西方向に約40キロ離れたシューシュ(スーサ)です。

チョガー・ザンビールの歴史
 チョガー・ザンビールは、紀元前1250年ごろに栄えたエラム王国の都市遺跡です。真ん中にそびえるジッグラトを中心に、三つの壁がありました。最内側の囲壁は、一辺が105メートル四方のジッグラトを囲んでいました。さらにその外側には、神殿や礼拝堂などの宗教的施設があり、2番目の壁が囲んでいました。そして、その外側の一般の人々が住んでいた市街部を囲むために、直径にして約4キロの3番目の市壁があり、外敵に備えていました。現在はこれらの囲壁・市壁の名残りを見ることができます。
 遺跡の中心は、ジッグラトと西方向の水利設備跡、そしてジッグラトから東へ約1キロ地点にある王族の地下墓群です。ジッグラトは、エラム王ウンタシュ・ナピリシャによって建てられました。

チョガー・ザンビールのなぞ
 ジッグラトは、ほぼ東西南北方向に各コーナーを向けています。現在は下層のレンガ積みの基壇がきれいに修復されています。もともとは5層構造で地上から53メートルの高さがあったと考えられています。現存するジッグラトでは、最大の規模のものです。
 四辺の各中央には、ジッグラトに上るための入り口があり、その内側に階段があります。
 ジッグラトは、神殿として祭儀のために利用されたとこれまでは考えられていたようです。私は折りよくジッグラトの調査にあたっている研究員の方の案内で、その内部に入ることができました。
 そのときの説明では、アッシリア地方に残っているジッグラトとはいくつか違う点があることを指摘していました。まず、地上階部分のフロアがジッグラトの中心部まで施されているとのことです。これは、エジプトやメキシコのテオティワカンのピラミッドとも根本的に違う点です。また、最下層の部分から、内部に部屋をもつ建造物として造られ、実際に下層、2層部分には部屋があるそうです。部屋は四辺の周囲に配置されていました。このことは、最初に発掘調査をしたフランスの考古学者ロマン・ギルシュマンも気がつかなかったそうです。
 また、ジッグラトの北西と南西側入り口の正面には、直径約3メートル、高さ1.5メートルほどの丸い台(西側は半円)があります。これらは従来は犠牲を捧げた祭壇日時計などと考えられたようですが、研究員によると用途は二つとも同じで、別の目的があったとのことでした。
 ジッグラトは、保存のために頂上部を土で覆っているとのことでした。なお、現在は一般観光客は、ジッグラトの内部に入ることはできません。
 また、ジッグラトの西方向約500メートルの地点に浄水池があります。これは、ギルシュマンが発掘したもので街に供給する水の、世界最古の浄化設備と考えられています。しかし、これも近くの河川の水位との関係で、解き明かされていないことがあるようです。
 このように、チョガー・ザンビール遺跡は、まだまだ研究途上にあるようです。今後の研究次第では、驚くべき事実が明らかにされるのかもしれません。この遺跡の保存には日本も資金を提供しているようで、遺跡に入る道沿いに大きな看板が立っていました。


チョガー・ザンビールのページを作成するにあたり、国士舘大学イラク古代文化研究所の岡田保良先生のご助言をいただきました。ここに謹んでお礼を申し上げます。
またこのページに埋め込んである写真の一部に、ジッグラトの内部にいる人が映っていますが、この人たちは、遺跡を修復している人たちです。観光客は内部に入れませんので、ご注意ください。