世界遺産アンジャル

アンジャルの位置
 アンジャルは、ベカー高原の中央よりやや南にあります。ベイルートからダマスカスまでベカー高原を横切る幹線道路を、アンチレバノン山脈の裾野に入る手前から左に折れてしばらく行くと、田園の中に塀に囲まれた遺跡の入り口が見えます。

遺跡の概要
 アンジャルがウマイヤ朝の都市であることがわかったのは比較的新しく、1949年のことです。
 遺跡は、長方形の区画で、4辺がほぼ東西南北に面しています。各辺の中央に、町に入る入り口があり、幅約20メートルの道路が反対側の入り口に向かってのび、町の中心で直角に交差しています。道路の交差する中心部には、4本の円柱が各コーナーにあり、かつて凱旋門のような建造物があったのではないかと考えられています。現在はそのうちの一つが残っています。
 中心を貫く2本の道路の両側には、かつて商店が軒を並べていたと考えられています。 2本の道路によって分けられた4ブロックには、モスク、浴場、家畜のかこい、宮殿、そして住居などがありました。これまでに東側の2ブロックについては発掘がすすみ、宮殿など一部は復元された姿を見ることができます。

遺跡にのこるつめ跡
 私がアンジャルを訪れたときは秋の夕ぐれ時で、北側の入り口の管理舎はすでにしまっていました。管理舎の前に1台の車がありそこに一人の男が暇をもてあますようにシートに座っていました。いっしょに来たガイドは彼になにごとか話し、それによって時間外の遺跡見学を大目に見てくれたのでした。
 北から南への道路に立ったとき、最初に目には入ったのは、土の路面に深く刻まれた自動車の轍の跡でした。ガイドの話によると、アンジャル遺跡の南側にシリア軍のキャンプがあり、ひんぱんにこの遺跡内の道路を利用しているようです。私はガイドの案内により東南のブロックにある宮殿跡までは行くことができましたが、それ以上南へはガイドが行くことを嫌がりました。宮殿前のけっして広くはない広場にも道路と同じく、戯れにこの場所に乗り入れたとわかる車のタイヤの跡が、幾筋も記されていました。レバノンを取りまく複雑な政治状況が、アンジャル遺跡の管理にも影響していることを垣間見た思いがしました