【2001/01/27】
今年は、雪の多い年だ。今日も朝からしんしんと4度目の積雪。
雪は、窓から見ているうちはとても綺麗で良いが、出かけるとなると非常に厄介なものだ。
本日も、所要でここ水戸から新橋まではるばる出かけて行った。どうしても外せない事情のため、もし仮に雪の影響が出そうな場合は始発電車(厳密には始発の特急)で出かける心算でいたために、起床は5:00。この段階ではまだサほど降っていないむしろ、雨交じりで少し暖かい気もしていた。このため、電車の遅れのない場合を想定した集合時間に丁度良い特急に乗ることにした。始発の特急をやり過ごした途端。吹雪のような大雪で、あっと云う間に白銀の世界。数cmの積雪に変わってしまった。最寄り駅までは一級国道を経由して向かうため、まだ問題はなかったが、駅も、ホームも真っ白な真冬の世界で上京するのは、あまり気乗りしない。
新橋に到着。どちらかと云えばやはり都心の方が気温は幾分高い。
が、降雪の量はこちらの方が多い気がする。雪の日比谷、しかも土曜、歩く人影はまばらで、警備の人たちや、コンビニエンスストアの店員。運送屋さんの車が行き交うのみである。傘は雪の重みと吹雪で重く。悴んだ手では持ちにくいことこの上ない。そんな中何とか目的地には到着した。何とか無事に目的は達成し、用事も無事に済んだのである。めでたしめでたし。


【2001/01/17】
本日は、6432人という歴史的な被災者を出した、阪神淡路大震災から6年の歳月を数える。突然テレビの音声からサイレンの音を聞いて何事かと思った人も多いことでしょう。家族や愛する人を亡くし、一瞬のうちにすべてを奪ってしまった大地震の傷跡は、被災者のみならず日本国中の人々の胸に今もなお残っている。まだ見ぬ神戸は復興までに数十年が必要とされていたにもかかわらず、町並みには、震災の傷跡を見つけることが難しいほどに回復したらしい。改めてたくましさと、神戸の人たちのパワーに感動させられる。
阪神淡路大震災では、被害者の多さから危機管理手法問われた大きな事件だった。
この「危機管理」と云う言葉もそれまで聞き慣れない専門用語のようなものだったが、震災を機によく耳にすることが多くなった「言葉」でもある。
先ほども震災から6年経った、残された被災者のドキュメンタリーを放映していたが、当時生まれたばかりの子供も今では6才、小学校に通い始めたばかりの学童は中学生になるほどに時が経ってしまったのである。
しかし、今なお、震災の子供たちまた大人たちの心には深い傷跡が残り、夜中に突然地震に遭っているような夢を見ておき出したり、突然鬱病のように無気力になったりする「後遺症」を抱えている人たちは多いそうである。
危機管理も大事だがこうした被災者のケアも今後の課題として考えていかないといけない気がする。天災、特に前触れもなく一瞬ですべてを奪っていってしまう震災は、まさに防ぎようがなく、このところ微震が多いこの地に住むものとしては、決して人事と安穏として過ごしてはいられない。
願わくば、神戸のように望みを捨てず、自らの生活を立て直し、復興した勇気と活力を見失わないように生きていけたらよいと思うばかりである。
震災でご不幸に遭われた方々に深く、心から追悼の意を表します。 黙祷


【2001/01/16】

何のメンテナンスもしていなかった、このページ。
この「一言History」は更新の都度、何かメッセージを残していく予定のページです。
多くは、更新日前後の出来事や期待をつらつらと綴ることになるでしょう。
さて、久々に我がページを覗いてみれば、当然のことながら、何の変化もなく。
ふと、最終更新の日付に目を止めて驚いた。
1998年11月の最終更新から、二年と二ヶ月も経過しているではないか!
これではいけません、また懲りずにせっせと更新を続ける覚悟をいたしました。中身といえば、この果てしない年月の間に少し事情も変わり、おかげさまでページの趣も変わる予定です。
「ガラッと」変わるのではなくじわじわとモーフィングの様に、そして最終的には、見るも無残な(笑)結果になるのかも知れまません。
とりあえず、そんなこんなの再出発宣言です。よよしく。


[1998/11/16]

先週の土曜日に東京晴海ふ頭まで出かけてきました。私は、2年ほど前まで東京に在住してまして、以来久しぶりの上京。 出かけた理由と云えば、会社の後輩が日経連の洋上研修に出かけるため、お見送りにまいったのでした。 洋上研修の船「あすか」はまさに豪華客船でちょっとうらやましかったです。 労働組合の書記長もその場にいらしたので、何時かは私にもチャンスを下さいとお願いしてきました。
「あすか」に乗船した後輩を見送りつつ、ふと後方を見ると、なにやら渋い色合いの船が停泊。 周りには、こちらの見送りに負けないくらいの人手が出ております。船体を良く見れば「しらせ」の文字が。。。
奇しくもその日は、第十四次南極地域観測隊を乗せた「しらせ」の出航と重なったのでした。 「しらせ」は、この14日に晴海ふ頭から日本を離れ、オーストラリアのフリーマントルを経由し十二月の中旬には 南極昭和基地の北側の流氷域に到着の予定だそうです。国立極地研究所教授:白石和行隊長をはじめ総勢60名の一行は 家族や、恋人たちに見守られながら、銀色に輝く東京湾:太平洋へと滑り出していきました。 夏隊は来年の2月まで、越冬隊は更に一年間基地による調査をするそうです。


[1998/11/03]

私の住んでいる「水戸市」は茨城県の県庁所在地です。
徳川御三家の一つ「水戸藩」の街で、諸国漫遊で有名な「天下の副将軍水戸黄門」こと「水戸光國公」を思い浮かべる方も多いでしょう。
光國公は紛れもない実在の人物ですが、諸国漫遊の話は架空のもののようです。
歴史のある水戸市でも、さすが地方都市(^^;; 夜ともなれば星の綺麗な田舎の街です。

夜空を見上げるのが楽しい季節となりました。
再来週には、「しし座流星群」が極大を迎えます。
遥か上空には、2度目の邦人宇宙飛行士の向井さんが魚を使って実験するNewsが毎日入っていますね。
個人的には宇宙のロマンに科学的メスで挑むことにちょっと切ない想いがしますが、
近未来に宇宙に気軽に旅行なんてことも考えると、ワクワクします。
来世紀半ば頃には、決して夢では無くなるとのことです。

「しし座流星群」に話を戻しましょう。
もっとも流星を見ることが出来る時間帯は 18日明け方4:00頃です。
眠い目をこすりながら東の空を見つめてください。もしかすると1時間あたり数千という、
とんでもない天文ショーを見ることが出来るかもしれません。
この「しし座流星群」は、過去に 33年周期で大出現をしています。
前回は 1966年に、更に 33年前の 1933年にも期待を裏切らない大出現となったようです。
本年は、その 33年周期の前年ですが、多いに期待の持てる年と云えます。
気象条件はなんとも解りませんが、条件的には大変有利です。
観測の邪魔をするは、前日17日に新月を迎え、当日は 4:00の極大の後に月の出を迎えます。
4:00頃極大と云っても、出現時間帯はかなり幅を持って現れると思いますので、前日夜半から、日の出までが絶好の観測時間帯となるはずです。
後は、雲一つない天気を期待しながら、じっと待つことにいたしましょう。
私は当日、翌日の仕事の影響へを振り捨てて、カメラと三脚を持って観測に出かけようと思います。
水戸市周辺(茨城県中央以北)で観測に好条件(東方向に開け、人工光源の無い場所)の撮影地は無いものか今から物色中です。
どなたか条件にあう場所の情報をお持ちの方いらっしゃいましたら、 kimiまでMail下さい。お待ちしてます。
また、流星って見たこと無いから見たいなんて方、もしいらっしゃいましたら、ご一緒しませんか?
もしよろしければ、気軽な気持ちで、声を掛けてください。
流れ星に沢山願いを掛けながら、夜明の珈琲でも飲みましょう。


[1998/10/18]

また、台風が接近しているようですね。九州を通過してなお、岡山県に再上陸したそうな。
経路上にあたる方、暴風圏内にある方、充分な注意が必要です。
発生数に比較して、上陸する颱風の多さも以上ですが、
先日のこと、ある所属団体のゴルフコンペに出かけたところ、寒桜でない桜が咲いてました。
楽しみにしていた紅葉も今年はパットしないようです。残念なのと同時に、
これから地球がどうにかなってしまうようで少し不安です。


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