「MIYUKI」01


 俺は退屈だった。俺だけではない。誰もかれもが退屈していた。いうなれば、この街が退屈しているのだった。だから、いつのまにかこんなゲームが生まれていた。
「みゆきが生まれました」
 バーのカウンターで安いウイスキーを飲んでいる俺に、何処の誰とも知らぬ女が耳打ちしていった。女は俺にウィンクすると、連れの男と一緒に店を出て行った。
 誰がこんなゲームを思いついたのか誰も知らない。これは伝言ゲームなのだ。
 何の意味も持たないような文章がどこからともなく流れて来て、この街の人々の間を行交い、どこへともなく去って行くのだ。俺も何度となく伝言を受け、そしてそれを流した事があった。伝言の内容はその都度違ったし、実際に起こった事に関係するような内容は一度もなかった。うわさやデマではなく、これは純然としたゲームなのだった。だから、誰も内容を期待しない。「全くの他人に何らかの情報を伝える」事を楽しむのだ。
 だが、俺はこのゲームにも退屈し始めていた。
 俺は、この伝言を伝えるのをやめた。

 一日が過ぎた。
 俺はしがない物書きなので、なにかネタになる事はないかと街をブラついていた。ビルの壁の大型液晶テレビで著名人がコミュニケーションの断絶がどうこうとしたり顔でしゃべっている。俺は疲れを覚えてベンチに腰をおろす。
「満月の日に、新臨海で」
 ふいを突かれた俺は、それが隣に座っていた男が俺に言った伝言だということに気づくのにしばらくかかってしまった。男はすでに雑踏の中に消え去ってしまっていた。俺は軽い違和感を感じた。明らかに今までの伝言とは質が違うように思えた。曖昧ながらも、実際の「時間」と「場所」が伝えられているからだ。
 しかし、俺達は伝言の内容に期待しない。
 俺は、この伝言も伝えるのをやめた。

 電話の音で目が醒める。
 物書きの仕事を持って来てくれる有り難い友人からの電話だった。俺は短い、そして下らないコラムの仕事を引き受けた。友人が言う。
「お前でいいや、伝言だ。0時に待ってます、以上」
 俺の背筋に何だか冷たいものが走った。
「おい、それ、誰から聞いた」
「誰からってお前、どっかの誰かからだよ。何だ?何かあったのか?」
「いや。なんでもない。ありがとう」
 俺は半ば強引に電話を切った。はっとして友人に電話をかける。
「何だぁ?どうした?」
「さっきの伝言以外に、最近なんか伝言を聞かなかったか?」
「うーん…2日前かな、「幻想は優しく人を傷つける」ってのを聞いたな。なんだ、「伝言」のコラムでも書くのか?」
「いや、…うん、それも面白いな」
「まあ、頑張ってくれよな。けっこう期待してるんだぜ」
「ああ、原稿料分の仕事はさせてもらうさ。じゃあな」
 何とも言えぬ圧迫感が俺を襲った。この情報は俺を狙ってやって来ている!?
 そんな馬鹿な事があるはずがない、これは偶然だ、たまたま不連続な三つの伝言が意味を持ったように見えるだけだ、俺は自分にそう言い聞かせた。そう、こんなことはありえない。俺はライティングデスクにでんと居座っているワープロに向かうと、依頼さ
れた原稿のプロットに思いをめぐらせた。

 昼を過ぎようとしていた。原稿の制作は快調だった。つけっぱなしのTVは天気予報が始まる。俺の好みの女性アナウンサーがにこやかに高気圧の南下を告げる。俺のキーを叩く指の音がリズミカルに響く。この分ならもうすぐ上がるだろう。波に乗っていた処に、FAXが鳴って、べろん、と紙を吐き出す。内容を読んだ俺は、その場で立ちすくむ。

「コレ ハ デンゴン デス
  アイ ヲ コメテ  ミユキ ヨリ」

 そして、俺の好みの女性アナウンサーがにこやかにこう告げる。
「今日は、雲ひとつなく、美しい満月が見えるでしょう」

 俺にはもちろん「みゆき」などという名前に心当たりはないし、結婚もしていなければ女を泣かすようなマネをしたこともない。俺は地下鉄に乗っている。新臨海はその名の通り海沿いの一角にある。人口増加と土地対策のために開発されるはずだった埋立地だ。だが、急速に起こった出産率の低下と産業の停滞によって放置される形になった。駅だけは先行開発されていたので、無人駅として残っている。地下鉄は地上に顔を出す事になる。時計は23:50と表示されている。リニアの車輛は音も無く新臨海駅に滑り込む。俺は駅に降り立つ。俺以外にこの駅で降りる人はいなかったし、俺以外の人影も見えない。今のが終電だったらしく、ホームのライトがすっと消えた。だが、こうこうとした月明かりが俺の影をホームに落とす。
 俺は待った。10分が何時間にも感じられた。
 そして、腕時計が0時を知らせる。

 誰も来ないし、何も起こらなかった。
 俺は大声で笑い出したい衝動に駆られた。何の事はない。まさに偶然だったのだ。自動改札機に切符を滑り込ませ、駅を出る。緑の電話機が目に入り、俺はこの伝言を伝えることにした。#8301。でたらめなトリプルを打ち込んで、俺の聞いた伝言をバラバラに登録する。これでこのゲームは終了だ。
 新臨海の駅から俺のアパートまではかなり距離があるが、俺は歩いて帰ることにした。途中で、髪の長い女が微笑みながら「ありがとう」と耳打ちしてきたが、俺には、もう関係のない事だった。

END


ちょっと情けないが作品解説。
 5年前に書いた近未来ネットワーク小説の第1部。いとうせいこう「ノーライフキング」(みえみえ)とか山田正紀(どこが?)とか鴻上尚史(う〜む)とか同人作家トボフアンカル(誰だそりゃ)とかにインスパイアされている。今とは句読点の使い方がぜんぜん違う。第1部というからには続きがあるのだが、第2部はコンピュータネットワークの話なので、5年前のままではあまりに貧弱で発表できない。第3部はテーマパークの話で、第4部で終了。短編小説の内容についてあまり話すとネタがわれてしまうんでこのへんで。そのうち第2部をリライトする予定。
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