川村渇真の「知性の泉」

優れた作品の奥にある何かを求めて


既存の評論は狭い範囲しか対象としていない

 優れた芸術作品が、今までに数多く生み出されている。また、作品に対する評論も、多くの人が語っている。では、十分に幅広い視点で評論されているのであろうか。残念ながら、かなり狭い視点でしか語られていない。中心となっているのは鑑賞者側からの視点で、おまけに鑑賞者の好みや成熟度などをまったく考えていない。また、制作技術や表現技術の進歩を考慮する点も欠けている。
 ここで、芸術評論の様々な視点を挙げてみよう。狭い意味の評論ではなく、広い意味での評論となる作品分析に含まれる視点だ。分析や評論の大枠としては、鑑賞する側が感じることに加え、作る側の考えや制作過程に関することがある。また、評論が世間に与える影響も、十分に検討しなければならない。これら3つに分けて細かな項目を整理すると、次のようになる。

芸術評論と作品分析のいろいろな視点
・制作者側に関すること
  ・作品のコンセプト(社会的な使命や実験的な試みも含む)
  ・作品の細部での表現意図と、そこで用いる表現技術
  ・作品の構成要素ごとの役割(脚本、監督、役者、撮影など)
  ・作品に影響を与える外部要因(予算や期間など)
・鑑賞者側に関すること
  ・作品から受ける刺激の種類と大きさ
  ・鑑賞者の好みや成熟度による感じ方の違い
  ・制作した時点での作品の見え方
  ・制作技術や表現技術などの進歩による見え方の経年変化
  ・制作者の意図と鑑賞者の期待との関係
・評論に関すること
  ・評論家による影響の善し悪し
  ・悪い影響を与えにくい評論方法

各項目の細かな内容に関しては、ある程度の詳しい説明をしないと理解してもらえないので、ここでは省略しておき、別なページで解説しよう。
 このように改めて整理してみると、既存の評論がかなり狭い範囲でしか行われていない点に気付く。取り上げている狭い範囲内では、かなり深く突っ込んでいるものの、対象範囲が狭いために、考察での視野がどうしても狭くなってしまう。
 そんな既存の評論とは異なり、本コーナーでは、上記の視点の一覧全部を対象とする。そうすることで、作品を幅広い視点で見る基礎が得られる。また、世の中の評論をただ鵜呑みにするのではなく、その位置付けを理解しながら考えるようにもなれる。そんな成果を目指して、評論を展開してみるつもりだ。

制作者側の視点を大きく取り上げる

 本コーナーで取り上げる内容の中で一番重視するのが、制作者側の意図や表現技術である。優れた作品ほど、制作者の意図が明確であり、それを実現するために数多くの表現技術を用いている。何から何まで感性で作っているわけではないのだ。
 作品の中でも、映画に代表される映像は、特別に多くの表現技術が用いられる。映像の場合は、様々な要素が含まれるからだ。ざっと挙げてみよう。セリフも含んだ脚本による言葉、雰囲気を演出する音楽や効果音、役者による表情や喋り、ライティングやカメラワークなどの撮影関連、カットやシーンをつなぐ映像編集、小道具や大道具などの構成物などがあるし、最近ではCGに代表される創作映像も加わっている。これらのどの要素も、表現技術と大きく関わっていて、制作者の意図を実現するために使われる。
 有名な映画で感動するシーンを観たことがあるだろう。悲しいシーン、怒るシーン、嬉しいシーン、楽しいシーンなど、多くの人が同じところで感動する。このような結果になるのは、感動するように計算して作ってあるからだ。カットの組み合わせ方、音楽の使い方、照明やカメラワークによる絵作り、役者のセリフや表情など、感動を生むために多くの要素が総動員される。また、直前のシーンだけでなく、物語上の相当前のシーンを役立てる場合もある。この種の工夫が表現技術なのだ。
 いろいろな表現技術を知ると、ニュースやドキュメンタリー番組にだまされにくくなる。映像の中で使われている様々な演出に気付き、演出として加わった部分を排除しながら見れるようになるためだ。このような能力は、一般に「メディア・リテラシー」と呼ばれている。これからの社会人には重要な能力である。もちろん、一般の芸術作品を観る場合にも、深い理解を手助けしてくれる。ただし、分析があまりにも好きだと、作品を純粋に楽しめなくなる危険があるため、この分野の追求はほどほどがよいだろう。
 映像表現を知ることは、自分で制作する際にも役立つ。これからの時代は、映像作品を低コストで制作できるし、インターネットによって誰もが発表者になれる。その意味で、制作者側の知識である映像表現を知る価値は大きい。

当分の間は、分析しながら前に進む予定

 制作者の意図や表現技術を知ることは、作品の裏側というか、奥を覗くことに等しい。世の中の仕組みを理解するように、作品と感動の関係を解明できてしまう。今までの評論には含まれていないが、非常に面白い部分だ。
 また、既存の芸術評論の多くは、雰囲気だけで説明する傾向が強い。それを認めると、何でも言えてしまうし、評論内容を評価することができない。それが良いこととは思えないので、本コーナーでは、できる限り論理的な説明を心掛けたい。
 取り上げる作品の範囲だが、動画の映像作品を中心にする。絵作りから音楽まで、他の作品の要素が一番多く含まれているからだ。これを取り上げるだけで、映像以外の作品の一部を説明したことになる。
 作品の分析や評論は、やりだすと非常に範囲が広い。すべてを取り上げるのは無理なので、前述の一覧の全項目をサポートしつつ、制作者側の意図と表現技術を中心に据えて進める。また、映像評論における勘違いなど、間違って認識されている意見に対しても反論を述べる。
 最終的にどのような形になるのか、実は、自分でも予想できないでいる。考察しながら書き、その結果で方向を定めていくつもりだ。分析を進めるうちに、優れた作品の奥にある何かが見付けられそうな気がしている。その意味で、どのような内容になるのかは、書く本人自身が一番楽しみでもある。さて、どうなることやら。

(1999年5月6日)


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