マウス

Macintoshは、パソコンである。パソコンとはパーソナルコンピュータを日本風に言うとそうなるのだ。世の中のパソコンを全て触ったことがあるわけでもないがだいたいその機械とのつきあい方は、礼儀をわきまえる必要がある。人間と機械の間のルールとでもいおうか。Macintoshに限って言えば、それは、マウスに始まりマウスに終わる。 Macintoshをある程度使い込んでいる人のマウスの動きを見ているとなかなかかっこがよい。無駄な動きをせず、的確に目標を捕えて次々と画面が変わっていく。気持ちのいいものだ。それに比べて、なれない人のMacintoshの操作といったら、観るに耐えない。横から口を出したいほどだ。
さて、Macintoshは、世の中のメジャーなDOSマシン(今はWIndowsマシンというのか?)から見ると、ボタンの数が少ない。一つしかないのだ。しかし、Macintoshはそれらよりマウスの持つ意味が重い。何しろそれがないと使えないのである。
マウスのボタンが一つであるということで、間違えて隣のボタンを押すと言うことはない。これで迷うことなくボタンを押すことができる。どの指でボタンを押そうがかまわない。これは、時と場合によっては、うれしいことだ。そして、必需品であるがゆえに、マウスの転がりがなかなかよい。私はDOSのマウスを今まで数個使ってきたが、Macintoshのそれにまさる動きをしたものは未だ出会っていない。車ではないが、止まる、曲がる、走るが手の動きときちんと一体になる。マウスを持ち上げても勝手にカーソルがソッポにいかない。よく研究されたものである。これは、マウスの作りが良いだけではなく、OSが標準でサポートしており、ハードがマウスを使うことを前提に作られているからなのだ。
マウスを動かしボタンを押す。その押し方には3通りの作法がある。一つは、クリックと呼ばれるボタンを一回押してすぐはなすという動作だ。ディスプレイに映っているボタンについては、それを押すと新たな動作が始まる。つまり動作をさせるように指令することになる。これは世の中の他の電気製品を使うときと同じ意味になる。もう一つの意味は選択するということだ。選ぶとか目的のものを引っぱり出すとかの意味になる。たくさんのウィンドウを開いているときに使いたいウィンドウをクリックして編集可能状態にしたり、ファイルの複製を作ったりするときにクリックという動作をする。つまり選ぶ、選択するといったような意味になるのだ。だから、ボタンを押して離さなかったら何もおこらない。もし、間違ってボタンを押してしまいまだ離す前に気がついたのなら押したまま画面のボタンからカーソルをはずしてみよう。そうするとMacintoshはまだ次の動作をしないで待っていてくれる。Macintoshはそれほどに寛容なのである。
次にダブルクリックという作法がある。これはある短い時間の間にマウスのボタンを押して離し押して離すという動作をする。早い話が二回クリックを続けて行うということだ。これは、開くという抽象的な意味を持つ。開くとは、フォルダを開く、書類を開く...オープンする、ハードディスクやごみ箱を開く、アイコンの状態からウィンドウを表示させるために使う。これらは、主にファインダーでの話で、アプリケーションのなかでは違う意味になる。図形ソフトウェアでは、図形や文字の詳細を設定する場面になるであろうし、ワープロではフォントを変更するための1ワードの選択になるであろう。つまり詳細を設定するための動作ということになる。もう一つ奥に入るというイメージがダブルクリックなのである。だから、画面のボタンを一生懸命ダルブクリックすることは意味のないことであるばかりか、誤った動作をさせる原因になるのだ。
最後にドラッグという作法だ。何かを移動するとき手に持ってやるが、そのようなイメージである。だから、画面の中では何かを移動させる時に使われる。アイコンやウィンドウの移動のときには必ず行う。さらに別の大切な意味がある。それは、メニューを選択する時にもドラッグを行う。ドラッグは、そのときにはある状態を保つという意味に使われる。メニューを押したままだとメニューは表示したままになる。マウスを離したときにそこのメニューが実行される。ドラッグアンドドロップとはこのたった一つのボタンを非常に有効に使うすばらしい使用方法である。であるから、ドラッグは非常に高度なマウスの操作になる。また精度も要求される。しかし、複数のボタンを選んでしかもドラッグをしなければならないということではないので限りなく明快な操作になっているのである。
Macintoshは、この一つボタンのマウスに可能な限りの用途を見い出して操作をするようになっているのだ。「選ぶ」「開く」「保持する」の抽象的な意味をマウスの操作に全て置き換えることに成功をしているのである。
そのようなマウスの動きが前提になっているので、ソフトウェアのデザインも洗練されたものになってくるのだ。だから、少しMacintoshを使いなれてくると、不自然なマウスの動作を強いられることが、苦痛になってくる。それは、人間の直観的な操作を妨げるデザインをしているからなのだ。だから、良いデザインのソフトウェアとそうでないソフトウェアとの見分けが簡単にわかるようになるのである。

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