Director's Statement  監督・出演の土屋 豊

は、ずっと出口を探している。
 この日本を覆う空気、あらかじめ全てをあきらめてしまったかのような虚無、あるいは、そこから何も生み出しようもない、自分以外のモノへの思考停止の依存は何なんだろう?高度資本主義の強迫から生まれた、拠り所を求めて浮遊する個?確かにそうかもしれない。国家、会社、学校、あるいは家族という近代の物語が崩れていくと同時に個人の価値観が問われ始めた。私たちは漂っている。

 でも、拠り所なんていらないんだ、ということをなぜ、人は言わないのだろう?「大きな物語」はもう終わったのだ。自らコントロールできない物語など、私はいらない。自律した個人同士のミクロな関係性にこそ、出口があると思う。そして、そこからはじめて「私たちの物語」が始まるのだと思う。

 この作品の主人公、雨宮さんは、民族派右翼思想に救われたと言う。社会と自分の接点を見い出し、虚無からぬけ出せたと言う。でも、民族主義者の雨宮さんは、雨宮さんではない。

 〜主義を背負った途端に、人は自分を見失う。彼女は、ビデオカメラと向き合うことによってそのことに気づき始めた。

 『新しい神様』は、ビデオカメラを通じたコミュニケーションの映画でもある。観て頂いたあなたと一緒に考えたくて、私は、この作品を作った。右翼、左翼、〜主義など、どうでもいい。私が作ったのは、あなたに対する精一杯のビデオレターである。

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