村山直儀・楊貴妃を描く
 
 

隠れ観音と昊天妃(こうてんき)
(油彩50.0×40.9 2004年)


鬼才村山直儀が「楊貴妃」に挑戦した。村山の美への憧れはついに中国唐代の伝説的美女楊貴妃(719?756)に向かった。何故「楊貴妃」なのか。 と聞けば、村山は笑って答えない。ただ一言、「現代の楊貴妃を描いてみたくなった」と語った。

この新作には、明らかに村山の画に様式的な変化がみられる。それは画面全体が明るいということだ。金色がふんだんに使われ、鳳凰や小鳥が五線譜の上 を跳ねるように配置されている。

明らかにこの絵の奥からは音楽が聞こえてくる。心地のよい胡弓の響きだ。唐代の美人というものは、概ねふくよかな美人である。ところが村山は、スレ ンダーな楊貴妃を描いた。ここには我々のイメージにある肉感的で妖艶な楊貴妃はいない。理知的でどことなく百済観音の面影がある。

村山が言った「現代の楊貴妃」とは、現代の観音様ということなのか。そのようにして、画の下側を見れば、薄ぼんやりとしたベージュ色の雲のようなも のが見える。この雲のように見えるのは、中尊寺蓮をデフォルメしたものだという。中尊寺蓮は、平泉の中尊寺金色堂にある泰衡の首桶の中から発見されて 800年ぶりに開花した神秘の蓮である。その蓮の中に観音の横顔が隠し画として描かれている。

背筋が凍るような衝撃を受けた。村山は、それを「雲際寺の観音さま」と答えた。雲際寺と言えば、源義経の妻が再興したと伝えられる奥州の衣川にある 古寺である。おそらく文治五年閏四月三〇日、盟友であるはずの藤原泰衡が、鎌倉の頼朝の再三再四の脅しによって、義経の館を襲った。この裏切りによって義 経は妻子を殺害し、自害したのち、その遺骸は、この雲際寺に運ばれたと推測される。

村山は、この寺に詣でた時、「中央の祭壇にある観音様が気になる」、「何か語りかけてくるようだ」と語った。とすれば義経の妻のイメージが、この楊 貴妃のイメージにはあるのかもしれない。

楊貴妃には、源義経と同じく不死伝説がある。何と日本に渡って来たというものだ。山口の萩市には、楊貴妃が流れ着いて、そこで亡くなったという言い 伝えが残っている。もちろん真意のほどは不明だが、長安から遠く離れた日本の人々が、楊貴妃という絶世の美女の菩提を弔ったという話には限りないロマンを 感じる。

ここ数年の村山は、執ように、ロシアのバレリーナの姿を追いかけてきた。そこにはバレリーナたち鍛え上げられた肉体が究極の女性美として描かれてい た。明らかにその流れとは違うものが、この画にはある。新しい村山芸術の展開がここから始まる可能性がある。



2004.11.4 H.sato

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