先入観について
−雪の桜も美しい−

人の判断は、先入観に支配されていることが多い。例えば桜と言えば、「春」、「ピンクの花」、「西行法師が愛した花」、「吉野山」・・・という具合だ。

だからどうしても、花の季節以外、桜は忘れられた存在となってしまう。しかしながらそれでも桜は、いつもやはり桜であり、春夏秋冬、その時々の美しさというものを見せている。

ふる里に真白き雪の降り積もり種まき桜雪桜と化す

考えるに桜の花の美しさとは、懸命に花を結び実を付けようとする健気さと散り際の儚さにある。別に、桜は人間を和ませ、癒しために花を咲かすのではない。もちろん桜は、己の子孫を残すという目的を第一義に果たすため健気にも生きているのである。それにしても桜という花が、これほど我々日本人を熱狂させるというのは外国人の目から見れば、驚異に映るものらしい。


風雪に耐へて忍んでふる里に四百年の桜の木生ふ

確かにただ美しいだけなら、もっと美しい花は、他にもある。人間が精一杯、交配を重ね、美しさを窮め尽くした感のある蘭の花などはまさにそれである。いわば蘭は人間の手によって支えられている人工的な花である。それに対して桜は、自然そのものの強さを感じさせる「花の木」である。特に山桜などは、本来山奥に自生し、誰に見せるでもなく、その場所で自らの命を燃やし尽くすように花を咲かせ、一生を終えるのである。

さてここに我が家の「種まき桜」の三枚の写真を掲載することにしよう。まずは先入観を取り払い見て貰いたい。雪の衣を羽織って、すっくと極寒の北国に根を生やしている姿の何と気高いことか。この桜は、樹齢四百年である。そう聞くと、たいていの人は、「老いた桜」、つまり「老桜」と表現することが多い。しかし樹木医さんの見立てによれば、あと四百年くらいの寿命は十分あると言うことだ。するとこれは老いた桜ではなく、当然壮年の桜と言ってもよいことになる。「桜=春」という先入観にしても、「四百年の桜=老桜」にしても、その先入観によって、事の本質というか、新しい真実が見えて来ないことは明かである。

漆黒の冥き空から溢れ来る雪冷たくも桜の衣

先入観やこれまでの言い古された感覚を一切なくして、見ると実に色々なことが鮮明に見えてくるものである。佐藤(2001.1.10)