2004年5月16日
栗駒山開山式

いわかがみ平での開山式(8時10分)

5月16日、午前8時、いわかがみ平にあるレストハウスで、2004年の開山式が駒形根神社第69代鈴杵宮司の先導で厳かに行われた。その後、9時、約200人の登山者が、ホラ貝の音を合図に、雪渓を踏みしめながら、栗駒山山頂(1627m)を目指した。折りから、小雨が降り、頂上に近づくに従い、ガスが濃くなるあいにくの天候だったが、栗駒山頂上にある駒形根奥宮での奥宮神事を控えた奥羽一の宮駒形根神社氏子と同神社を崇敬する約50名の人々は、ワラでこしらえた駒形大明神を神輿に担ぎ、ホラ貝をふきながら、「六根清浄・御山は繁盛」のかけ声も高らかに、一歩一歩山頂を目指した。

山開く宮司の祝詞に合わせしか微かに聞こゆ鴬の声

いわかがみ平をスタート直前の喧噪(8時30分)

とりどりの合羽にリック引っさげて目指すは駒嶽山頂にあり
 

駒形根奥宮参詣登山スタート(9時00分)

笈負ひて奥宮目指す先達のホラ貝の音や夏山開き
 

御幣を先頭に雪渓にかかる

小雨降る開山式に集い来し人の思ひの美しかりし
 

雪渓を抜けて快調に奥宮を目指す

晴れて欲しいという期待を胸に2004年の夏山登山が始まった。皆は余裕たっぷり、会話も弾んだ。雲間に顔を見せた山肌に雪渓が乗っていて、乳牛の背のようにも見える。清々しい気分だ。まもなく、風雨に悩まされるとも知らずに・・・。
もう直に花の山なる山道の白き残雪牛の背に見ゆ
 

お花畑に差し掛かるとガスが濃くなる(10時5分)

  一瞬にガス立ちこめし山道を巡礼の徒の如我ら登りく
 

頂上に近づく毎に風雨が強まる

雪渓を見渡すほどの余裕なくただひと歩づつ歩を進めたり
 

頂上は間近最後の雪渓にかかる(10時30分)

山の天候は、一瞬にして豹変する。奥宮神事を控えた我々は、雪渓を踏みしめながら、約2時間余り、ほとんど休みなく歩いていて、頂上近くの最後の雪渓に差し掛かる。ひょっとしたら、山頂ではガスが晴れて、晴れているかもしれないという淡い期待は、見事に打ち砕かれて、どんどんと風は強まり、雨は風に乗って横殴りとなる。

駒神輿に担がれたワラの御駒様は、どんどんと雨水を吸って重くなってゆく。カメラには、俄にコンビニの袋に穴を開けて、防水を試みたが、この強風ではまったく役に立たない。なるようになれとばかりに、神輿に向かってカメラを向ければ、水滴がレンズに群がって見えないほど。

神輿を担っているのは、くりこま高原自然学校の若きスタッフふたり。前には、神奈川県出身の塚原俊也さん(通称つかちゃん)。後ろには、大阪出身の中山崇志さん(通称ルパン)。共に24才の若者だ。さすがは、くりこま高原自然学校のスタッフ。難関の雪渓でも一度も滑ることなく、まったくへばるそぶりも見せず最後まで笑顔で大役を果たされた。聞けば、中山さんは、学生時代水泳をやっていて、全盛時は肺活量7千を超える猛者だと云う。一方、塚原さんも冒険教育の勉強をしたいと栗駒にやってきた野性味あるれる若者だ。日本の未来も、このような若者がどんどんと現れてくれば、もっともっと明るいものになるに違いない。そんなことを思った。

 雪渓を駒神輿ゆく降りしきる雨を吸い吸い奥宮間近


一歩一歩足場を確認しつつ

輿に乗る御駒の神は「それ行け」と励ましつつも歩みは厳し
 

頂上にたどり着く(10時50分)


ガスに霞む風雨の山道を歩くことおよそ二時間、木幣(いなう)を先導役に、御駒神輿は、山頂にたどり着くことが叶った。最後の難所の雪渓の坂では、雪渓に足を取られながらの苦闘であったが、ふたりの担ぎ手は、氏子からの「六根清浄・御山は繁盛」というかけ声に背中を押されながら、ついに今年も御駒神輿山頂渡御の神事を成就させたのである。

御駒神輿が奥宮の左に降ろされ、山開きの儀式が催行される準備が調えられた。笈からは木製の御幣が奥宮に安置され、宮の前には、早苗が備えられた。これは山の神である駒形根の神が実りの秋まで、栗駒山を下って、田の神となることを擬似的に行うある種のイニシエーション(儀礼)である。

駒形根神社の鈴杵禰宜が、強風吹きすさぶ中で、これから山を下って、田を守る神に祈りを捧げる。もちろんこの一年の山の安全も祈願される。今、栗駒山は、中高年の登山ブームにのって、訪れる人も年々その数を増している。しかしその反面、栗駒山の霊山としての意味を理解している人は残念ながら少ない。

かつて日本人は、山を神聖な神仏の集う場所と深い敬意をもって遠くで眺め、そして登った。そして、人が亡くなった後には、あの青い頂き近くに死後の世界があり、そこに行くのだと思った。霊山の信仰は、日本人が縄文の昔より、営々として培ってきた民族的文化的情緒である。この良き風体が失われつつある昨今、一見何気なく毎年執り行われている。駒形根神社奥宮への「御駒神輿山頂渡御」の神事は、大変意味があると思うのである。

禰宜の祝詞奏上の儀が終了すると、突然に腹を揺らすような花火が「ドドドーン・ドドドーン」と二回鳴った。すぐに上空を見たのだが、ガスが掛かっていて何も見えない。玉串奉奠(たまぐしほうてん)の儀が行われる。氏子代表が深く頭を垂れて、駒形根の神に祈りを捧げた。周囲の人も、皆心をひとつにして祈りを捧げる。神聖な空気が山頂一面に立ち込めた。

その時、何故か、昨年亡くなった母の言葉が頭に浮かんできた。
「生きるということは、様々な困難に出会うことだけれど。困難の中にこそ生きる意味があり、やがてその困難が喜びに変わる瞬間が必ずくるよ・・・。」

山に登るということは、自ら困難に出会いに行くことである。風雨という中での登山は、けっして楽しいだけの経験ではない。でもそれが尊いのである。困難を克服して、ひとりの脱落者もなく登り切ったことが素晴らしいのである。初めて顔を知った人もいる。でも山に登れば、駒形根の神を通じて心をひとつできる。

やがて神事が終わった。風雨の中で、顔を見合わせながら、御神酒(おみき)を酌み合い、一気に飲み干した。少し冷えていた体に、酒が染み渡って神からエネルギーを頂いたような気がした。「さあ、では下山しましょう。本年の奥宮神事に参加頂いた皆さまに感謝します。」と声が聞こえた。


  雲の嶺となりし栗駒山頂にたどり着きたり落伍者なしに
 

駒形根神社奥宮での神事で山の安全祈願と五穀豊穣の祈りを捧げる(11時)
 

山神に早苗捧げて祈りしは五穀豊穣家内安全
 

奥宮で御駒神輿は一休み

奥宮に藁の御駒も一休み神酒振る舞ひ笑い声満つ
駒神輿、風雨の山道登り切り奥宮神事今年も終ゑぬ
 

下山後の直来。鈴杵宮司より護符と御駒様の拓本を頂く(午後2時半)

「奥宮に登りし皆に良きことがきっとある」とぞ宮司申せり


2004.5.18 Hsato