道の思想
日本には、古来より「道」という考え方がある。日本人が「道」という時それはもちろん単なる道路を指して言うのではない。日本的な意味における「道」とは、先人が訪ねた道を、「我もまたその道を歩いてみよう」と、決意し、覚悟し、腹ができた瞬間、その人物の前にはてしなく広がる一本の道である。
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若き世捨て人西行は、鳥羽院の御代に能因法師の辿った道を分け入ろうと、およそ百年後、奥州に能因の足跡を訪ねた。またその五百年後、すでに翁と呼ばれた松尾芭蕉は、西行を慕い、「奥の細道」の旅に出立した。
芭蕉は、「笈の小文」の中でこのように言っている。
「西行の和歌における、宋祇の連歌における、雪舟の絵における、利休の茶における、その道を貫くものは一つなり。しかも風雅におけるもの、造化にしたがひて四時を友とす。見るところ花にあらずといふことなし。思ふところ月にあらずといふことなし…云々。」
芭蕉のこの言葉を待つまでもなく。日本精神の伝達者たちは、すべからくこの極限の道を目指して歩き続けるそれぞれの「道」の先達たちであった。人が野辺を歩けば、やがて道にはなる。しかしその道の継承は、極めて難しい。
ところで先ほど私は「道」という考え方を日本古来の考え方といった。しかしどうやらこの考え方は日本だけのものではないようだ。現代最高の舞台演出家と言われるイギリスのピーター・ブルックは、あるインタビューに答えて、このように言い放った。
「演劇において、ギリシャ以降シェークスピアの出現するまでは空白期であった」
このことは、道という考え方が何も日本固有のものではなく、人類のあらゆる文化に共通の考え方であることを物語っている。つまり演劇という道を通してギリシャ演劇の精神はシェークスピアに伝わり現代に至っているのである。ピーターブルックはさらに続ける。
「演劇においては、過去も現代もない」と。そして、
「ギリシャもエリザベス朝演劇も現代に通じている道なのだ」
と、まで言った。このペーター・ブルック流「道」の論法で言えば、我々と芭蕉だって、西行だって、この私の感性に通じているはずだ。道の精神を使えば、八百年前の西行も三百年前の芭蕉も、我々のすぐ目の前を歩いているちょっと先を歩いている先人に他ならないということになる。
何と、すばらしい考え方であろう!!
我々は西行やシェークスピアという時、いささか構えて考えてしまうが、そうではなく、同じ道の少し前を歩いていた人物と捉えることで、この天才たちが、ぐっと身近になるではないか…。
このように考えてくると、道というものは、過去から伝わってきた一筋の精神の糸のようでもある。
我々の少し後ろを歩く、未来の後輩たちに、我々は果たして何かしらの「道」をよく伝えることのできる先輩となれるであろうか。佐藤
1999.11.