バックパッカー「香田」青年の悲劇
「バックパッカー」という言葉があるのを初めて耳にした。日本の「バックパッカー」香田証正青年(24)が、戦争状態のイラクに半ズボン(ジーンズ)にTシャツの軽装でテクテクと入って殺害されてしまった。あ然とした。首を刎ねられるというショッキングな事件であったが、それ以上に戦場に入るというのにまるで映画を観に行くような軽い「ノリ」のようなものを感じて、日本の若者の国際感覚を思わず疑いたくなってしまった。

捕まった時、彼は小声で、「スミマセン」と言った。あの声が耳に残っている。数ヶ月前、韓国のビジネスマンが、同じく反米勢力の連中に捕まって、「僕は死にたくない。僕は死にたくない」と二度絶唱した。この違いは何だろう。

今「バックバッカー」たちは、世界の危険地帯でも何でも、自分に厄は降りかかってくるとは、思わないようにして入って行く傾向があると言う。今回の日本人青年が、何故あのような危険地帯に行ったのかは、今後の検証を待たなければ何とも云えないが、今云えることは、現在のイラクは、単なる興味本位で行くような場所ではないという絶対的な認識の欠如があったということになる。今そこは、人が日常的に死んでいる戦場である。しかもそこはイスラム教の国であり、たとえ男性たりと言えども、半ズボン姿で、素足を出してゆく場所ではないのである。

同じように殺された韓国人青年だが、彼は確かアメリカの大学を出て、英語も十分に話せる人物で、イスラムの慣習も理解していた人物だった。彼はそれなりの覚悟を持ちながら、「まだ死ねない」という気持をもって、「僕は死にたくない」と絶唱したのである。今回の日本の青年は、イラク戦争の現実も、イスラムの常識も理解せぬまま、飛んで火にいる夏の虫のように、反米勢力の捕虜となり殺害されてしまったのである。あのか細い声の「すみません」とは、いったいどのような気持で、呟いたのか。国の関係者に迷惑を掛けるというすみませんか。家族親類に親類に申し訳ない意味の言葉か。はたまた、無意識の日本人がよく口にする「スミマセン」だったのか。そこに韓国人青年の絶唱に感じた意志と気迫を感じられないのは私だけか。

今回の事件によって、また自己責任論が浮上してくるだろう。しかしはっきり言わせて貰えば、それ以前の問題ではないかと思う。つまり自己責任ということを云々するのは、それが一定のレベルの精神性とか覚悟をもった人物に言うことである。今回のように、国際情勢も地元の制度風習もほとんど解することなく、戦場に踏み込むような人間の場合には、どう言えばよいか言葉が見つからない。強いて云えば、国際情勢を認識し、非常識な行動を取る人間を生み出さないかという教育の問題ではないかと思うのである。

今回の悲惨な事件の根本には、日本の教育に欠如している国際感覚の育成ということに行きつくのではないだろうか。その意味からも、早急に日本の若者の国際感覚を高める教育カリキュラムを作らない限り、再びテレビを観るようにして、イラクに何気なく行ってしまう若者が出て来るのではないかと思う。私は今回の日本人青年の姿に、言葉は悪いかも知れないが「平和ボケした日本人の姿」を見せつけられるような気がした。そして尊い若き命が失われたという悲しみと同時に日本という国家の未来に対する暗雲のようなものを感じてテレビに釘付けになってしまった。

そして一通り観た後、イラク戦争の混乱がついにここまで来たのかという暗澹たる気持になった。それは、以前3人の日本人人質を救出する際、力を発揮してくれたイスラム教の聖職者が、電話で、「今の反米勢力には、交渉の窓口がなくなった」と話していたことだ。おそらく彼に限らず胸を痛めているイスラム圏の人々はいるだろう。心から願うことは、今回の事件が、日本において、イラク国民やイスラム教の人々への偏見を助長しないようであって欲しいということだ。子供の頃、私自身、「アラビアンナイト」の中の物語を読みながら、冒険や恋や正義を学んだ。生涯あのロマンにあふれた物語を生み出したイスラム圏の人々に対する崇敬の念は失われないであろう。一説には、イスラム圏での親日意識を砕く意図が今回の事件を起こした連中にはあったのではないかという見方がある。ここは日本人として冷静な対応をすべきである。

最後になったが、青年の家族と関係者に対し心からの哀悼の意を表明するものである。



2004.11.1 H.sato

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