源義経公生誕祭の由来 義経公生誕祭は今年で4回目を数える。この祭は、菅原次男氏が1999年義経公の御首と胴体を合体しようと発願し、義経公の首塚である神奈川県藤沢市の白旗神社から沼倉の胴塚である判官森まで500キロ踏破の旅を見事成就したことを記念し、以後毎年開催されるようになった祭儀である。これまで、平泉での川下りなど、厳粛な中にも義経公と共に楽しむという気持ちを大切にしてきた。今年は、沼倉の里にある義経公ゆかりの場所を尋ね義経の思いを偲ぶ事とした。
1、日時 平成15年7月6日 9時
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いざ来たれ栗駒山の麓なる九郎奥つ城判官森へ
源義経公845生誕の儀(願成甲冑着装の儀)
胸を打つ法螺の音響く祭壇に九郎の御霊今甦り
願成甲冑着装の儀終わる
義経の奇跡の生涯偲ばれて願成甲冑着装の儀、了
判官森の偲び参り
判官の生誕祭を少年の面差しでする文月好日
源義経御葬礼所判官森
平泉美術工藝社社主柳沢翁、御歳九十六歳の生誕祭参加
何歳になろうと言へど人は皆九郎判官義経に酔ふ
沼倉の判官森をゆく偲び参りの面々
連なりて偲び参りの里人の思い今年も実を結びたり
判官森を直下にある貴船社跡に三代目の義経むち桜はある
沼倉の里に伝はる判官の伝承伝説面白きかな
つづく
最終更新日 2003/7/7