東物見から見えるのは工事現場ばかり!!
中尊寺東物見から北方を観る
(2005年11月5日 弁慶堂前の展望台から佐藤撮影)
神々もきっと見ている愚かなる景観破壊の工事現場を
05年11月5日、中尊寺の紅葉の下には、多くの観光客が訪れていた。月見坂を登り、弁慶
堂で義経公と弁慶に手を合わせると、直ぐ右に折れて、展望台にゆく。下は東物見である。そこには芭蕉が、「兵どもが夢の跡」と句に詠んだ原野が拡がってい
るはずだ。
ところが、今そこは工事現場そのもので、かしこまって観るような景色ではなくなった。平泉
バイパス工事の先端部は、ついに衣川をタテに横断し、衣川を北に向かって着々と工事が進んでいる。さらに問題なのは、衣川の堤防工事が中尊寺をかすめるよ
うにして進んでいることだ。数年前、衣川が台風で叛乱し、住民の要望によって、堤防の敷設話が持ち上がり、高さにして20mにも達するような堤防が北上川
河口付近から上流に向かって進んでいるのだ。
すでに南の太田川は、巨大な堤防が建設され、一級河川だった太田川は、見ると小川のように
しか映らなくなった。ちょうどライオンが檻に閉じこめられて、子猫に見えるような様相である。衣川も同じようにされようとしている。奥州平泉は、こうして
東西南北を堤防に囲まれ、殺風景極まりないコンクリートの城壁都市となりつつある。
衣川の堤防工事の予定地には、吾妻鏡に言う義経終焉の地衣河館との説も浮上している「接待
館」などもあり、今回の堤防工事でそれが失われてしまうことになる。岩手日報によれば、平泉遺跡群調査整備指導委員会の委員長である河原純之川村学園女子
大教授)は、さる10月14日、「衣川周辺には、衣の館と比定されるような場所も点在し、その遺跡が堤防工事で破壊されてしまうのは、余りにしのびない。
遺跡の保存と地域の安全を両立できる方法を考えて欲しい」として、一部工事の見直しを岩手県に求めたとされている。
残念だが、二年後に予定されているユネスコ世界遺産登録は、ますます遠いものとなった、と
私は見る。
せっかく
の兵どもが夢跡も、実感しうる何ものもなし
いつ終ゆと問ふても無駄と
知りつつも知事に問ひなむ工事の終焉
この景色見慣れてしまう我ありてこれは如何と古写真を視る