混沌の廃墟にて -200-

「都合のよい所だけ」比較広告(2)

1992-12-30 (最終更新: 1996-03-15)

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以下、広告の文面は日本経済新聞、1992年11月9日の紙面を参考にさせていただ いた。
 >  98は、問う。
 >  日本で使うパソコンは、どうあるべきか。98は、事実をもってお答えしま
 >  す。
それが答えになるかどうかは、「事実」の解釈次第だ。

解釈の変な例として、今はなき FFUTURE で、誰かがこんなことを書いていたの を覚えている。

ある人が百足を使って次のような実験を行なった。

百足を机の上に置いて、走れ、という。すると百足は走る。次に足を2本ち ぎる。机に置く。走れという。走る。また2本ちぎる。机に置く。走れとい う。走る。最後に足を全部ちぎった。机に置いた。走れという。走らなかっ た。

【結論】百足は、足を全部ちぎると耳が聞こえなくなる。

そして、当り前だが、書かれていることは「事実の一部」に過ぎないのである。 特にアピールしたいのはそのことだ。一般論として、もし、自分の都合のいい事 実だけを提示して真実であるかのように見せかけるとしたら、それは極めて悪質 なレトリックである。

また、事実の解釈は、解釈する人の責任だと言わんばかりのスタンスである。 これがどうも高飛車な印象を与えているような気がするが、あえて私見を言えば、 98の場合はそれ位の姿勢である方が、かえって頼もしいとも思う。

    *
 >  ソフトが少なくて、使えますか。
 >  98の事実    98ソフト%%%%%%%%14,500本
 >              *(DOS/V日本語対応ソフト  約800本)
これが、おそらくNECが期待したのと異なる解釈を私がした最初の項目であ る。

14,500本のソフトを全部使おうとすれば毎日一本ずつ使っても約40年かかるの だが :-)、もちろん、そんな意味で本数を書いているのではなく、これだけあれ ば、ユーザーが必要とするソフトが中にはあるだろう、という含みだと思う。し かし、この比較を見て、私がまっ先に感じたのは、「えっ、DOS/Vのソフトって、 そんなに出ているの?」ということだった。

この広告の最後が「ありがとう10周年」で締めくくられているのからも分か る通り、98ソフトは10年の蓄積の結果である。これに対して、DOS/V日本語対 応ソフトは、ここ1年程度に出た本数のはずだ。しかも、98とは違って、まだ DOS/Vは海千山千と言われており、成功するかどうかも未知数である。そのような 不確実性が残っているマシンに、これだけソフトウェア業界が賭けているのなら、 最初の方に書いたソフトウェアハウスとハードメーカーとの構図を考え直す必要 があるのではないか。

※98ソフトの14,500本という数が、ここ一年の新作ソフトウェアではなく、 現時点で利用できるものの累積であるというと勝手に解釈している。
この比較、もう一つ重要なことが書かれていない。日本語対応でないソフトは、 一体何本あるのか。私が DynaBook を買った時に、IBM-PC のソフトが使えるとい う点を評価したことを思い出す。特にゲーム等は、PC/ATでなければ出ていないも のもあるし、例えばBC++ の 3.1 は、かなり前に発売されているにもかかわらず、 98で動作する日本語版はまだ 3.0 のままである。このような時間的なロスが 我慢できない、という人もいるだろう。ビジネスマンの中には、とりあえず英語 で使えればいいという凄い人もいるかもしれないのだ。

で、DOS/V マシンで動作する、日本語対応でないソフトは一体何本あるのだろ うか? これは実は知らないので、概数でもいいから、誰か教えて欲しいものだ。

    *
 >  サービス・メンテナンスが不安で、使えますか。
この件に関しては、もう書きたくないので省略したいが、最後にもう一度だけ 書いておくが、私がNECのパソコンを買わない理由は、サービス・メンテナン スが不安だからであり、不安なのは、実際そういう経験をしたからである。納得 できないという方は、私の例でなくても、今なら FNEC98 の 20 番会議室に、多 くのユーザーが事例を自ら発言しているから、読んでみてはどうか。
 >  ●98は、サービス・メンテナンスも性能だと考えています。
これはちょっと違った感想がある。私は、サービスやメンテナンスは別料金に してもいいと思う。もちろん、初期不良品だとか、簡単に壊れるような設計に対 する責任については別だ。普通に使っていても故障しないという前提のもとで、 それ以上のサービスについては別料金でも構わない、というのである。当然、そ の分安い価格で売ってくれないと困るが。98の考えとは違うようだが、私見を 述べるなら、性能として重要なのはサービスそのものではなく、むしろ信頼性だ と思う。パソコンの信頼性に関しては、あまり情報がないので、比較できないの だが、98の場合、特別な事例(例えば3.5インチのFDDの欠陥問題のような)を 除けば、他のマシンに比べて悪くはないと思う。

ただ、あえてサービス・メンテナンスを比較の対象にするならば、DOS/V陣営と の比較はどうか。一例として、Compaqのサービス体制に注目したい。これは特筆 する価値があると思う。

 >  アフターケアのほんの一例、出張無償メンテナンスサービス(オンサイトサー
 >  ビス)
 >
 >    購入後1年間は万が一、マシントラブルが発生した場合、お客様のもとに
 >  お伺いして無料の修理サービスをいたします。これもコンパックのアフター
 >  ケアの常識のひとつです。
  (コンパックの広告より引用)
常識ときたもんだからすごい。128,000円のパソコンでここまで本当にしていた だけるのか(思わず敬語になってしまうぞ)ちょっと信じられないのだが、とり あえず98に言わせれば「サービス・メンテナンスも性能のうち」なんだそうだ から、Compaqのパソコンは非常に高性能、と考えてよいわけだ。

98にこの種のサービスがあるのでしょうか? 私はそんな話は聞いたことは ないのだが…。

    *
 >  日本語が使いにくくて、平気ですか。
これは重大な問いである。パソコンの用途も人それぞれだと思うが、ゲーム専 用だとか、MIDIのシーケンサーにしか使わない、という場合を除けば、おそらく 日本語が多かれ少なかれ関係してくると思う。

パソコンと日本語というと、高千穂遙さんというSF作家がいらっしゃるが、 98ではお名前の漢字が表示されないので、自分の名前も出ないパソコンが買え るかということで、結局EPSONを買ったというのは、あまりにも有名な話だ。

以前にも書いたが、個人的に「ネットに参加するためのパソコンは何がいいか」 と相談されたら、まず候補から98を除いている。98程度の信頼性があれば、 サポート云々を言う必要はないし、実際言わない。要するに、未だにJIS83の漢字 が表示できないようなパソコンを薦めるわけにはいかないのである。これは後で トラブルの原因になるのであり、実際トラブルだらけではないか。今でも「JIS83 の罫線を使うと98を使っている人が読めないので、使わないように」という無 謀なことを言う人がいる。1983年が何年前だか分かっていらっしゃるのだろうか。 そういう人は相手にする必要はないと思うから、私はJIS83で決まっている文字を 使うことに何等躊躇はしない。罫線だろうが記号だろうが、がんがん使う。

 >  98の真実    日本語ソフトに適した基本設計
 >                FDD×2またはFDD×1+RAMドライブ
 >  高速日本語表示
 >  一貫したキーボードレイアウト
 >  カラー文化を支えるTFT液晶
 >  ●98は、右ハンドルパソコンであるべきだと考えています。
高速日本語表示、というのは重大な問題を含んでいるので、後で述べる。先に、 わからない点が多過ぎるので、それに関して疑問を提示しておこう。

まず、この記述で全くわからないのは、「FDD×2またはFDD×1+RAMドライブ」 という仕様と、日本語ソフトに適した基本設計との間に、どのような関連がある のかということだ。ビジネスの分野で考えれば、最近発売されているソフトウェ アの多くが、ハードディスク必須であり、その代わり、FDDは1台で十分である。

キーボードレイアウトは確かに一貫している。もちろん、一貫というのは、全 く変わらないという意味ではない。途中の機種で目立った変更といえば、まず、 初期機種のNFERの追加、これは無印とE/F/Mには無かったキーを後の機種に追加し たのである。もう一つ大きいのは、RA以降のvf.1〜5キーの追加、およびROLL UP /DOWNキーとINS/DELキーの位置が入れ替わったことである。途中XA、XLのよ うな機種もあるが、あまり台数は出なかったようなのでこれは無視しておく。

ただ、キーボードレイアウトが一貫しているかどうかと、日本語ソフトに適し た設計であるかどうかは、無関係である。日本語入力を考えている点を強調する ならば、親指シフトを採用しているFMRシリーズの方が優れているのではないか。 一貫して適していない、という最悪の場合も考えられるからだ。98のキーボー ドがそうであると言っているのではない。レイアウトの一貫性と日本語ソフトに 適していることの関連性が薄いと主張しているのである。

そして、一番わからないのが「右ハンドルパソコン」だ。これが何を意味する のか、全くわからないし、従って何を主張したいのかもわからない。一体どうあ るべきだと言うのか。もっとも、これは98の責任ではなく、コピーライターだ か誰だか知らないが、このたとえを考えた人の責任だと思うが。

    *
最も重大な問題と指摘した「高速日本語表示」に関して考えておきたい。

確かに、16ビットパソコンが出始めてから暫くの間、98が他のパソコンを 大きく引き離した理由は、高速日本語表示だった。テキストVRAMに漢字コー ドを入れるだけでハードウェアにより表示を行なう方式は、CPUに負荷をかけ ることなく、極めて高速な画面表示が可能とした。これに対して、ビットマップ ディスプレイにイメージを転送するような仕組みでは、どうしても負荷が高く、 速度を出すのはマシンのパフォーマンスが非常に高くなるのを待つしかなかった のである。

98のいう所の「高速日本語表示」というのは、このテキストVRAMを使った表 示を意味する。

今までのソフトウェアは、やはり作成者の立場としても、この高速表示を活用 して描画しようとまず考えるわけで、この機能をふんだんに用いて設計するとい う前提があった。また、1画面を全部使って、一つのアプリケーションだけが使 えればいい、という環境の下では、それが大きな問題になることもなかった。

ところが最近になって、様子が変わってきたのである。

大きな変化は2つある。一つは MS Windowsのような、GUI環境下でのOSが出て きたこと。もう一つは、アウトラインフォント等を使って任意サイズの文字を描 画したり、多彩なフォントを使いたいというニーズが高まってきたこと。2つの ニーズにはいずれを実現するにしても、もはやテキストVRAMを使った漢字の表示 ではなく、グラフィックVRAMに直接イメージを転送する必要があるという共通点 がある。この環境下では、98の高速日本語表示機能は、もはや意味をなさない。

98特有の高速日本語表示機能は、画面一杯を使って、固定の単一サイズのフ ォントセットを使い、40×25行の文字を表示する、という厳しい制限を満た した状態でなければ意味がないのである。

    *
 >  みんなに愛されているのは、なぜでしょう。
 >  98の真実    出荷累計%%%%%%%%%%%%%%576万台
 >                国内メーカ別シェア%%%%53.1%
意外だったのは、シェアがこの程度? ということだ。576万台というのは さておき、これでやっとシェアの半分ちょっと、ということは、残りの46.9%は他 のパソコンということになる。片寄った環境にいるのかもしれないが、私の周囲 を見た感じでは、もっとシェアの割合は高いような気がしたが…。

さて、この広告で誤解しないで欲しいのは、ここで述べている「98の真実」 というのは、シェアが53.1%ということであって、

 >  みんなに愛されている
が真実かどうかを考えると、この広告全体に対しては、私はむしろ哀れな心証 を持たざるを得なかった。日頃の態度に反して、NECにも何とか頑張ってもら いたいものだと思ってしまったのである。

今年も余す所あと1日少し。来年末の「事実」に注目したい。


    COMPUTING AT CHAOS RUINS -200-
    1992-12-30, NIFTY-Serve FPROG mes(6)-351
    FPROG SYSOP / SDI00344   フィンローダ
    (C) Phinloda 1992, 1996