フィンローダのあっぱれご意見番

第75回:2200円問題

初出: C MAGAZINE 1998年08月号
Updated: 1998-11-17

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 定価550円と裏表紙に書かれている本を4冊買った。いくら払えばよいでしょうか。小学校の算数に出てきそうな問題である。書店の店員が2201円要求した所から物語が始まる。

 実はこれは「天」という漫画なのだが、これを書いている時点で12巻まで出ている。4冊ずつ買ったわけである。4冊をA書店で買った時には2200円だった。ところが、あと4冊を別の書店で買ったら2201円払えと言われたのだ。店によって値段が違うというのは、消費税の話だというのは分る。しかし、はっきりと本の裏表紙には、fig.1のように「定価550円」と書いてあるのだ。

---- fig.1 裏表紙 ----
雑誌57593-76  定価550円 本体524円

これを4冊買ってなぜ2201円になるのか、という疑問は残る。こういうのは不当表示で、消費者センターに苦情を言えば書店に指導が入るのかもしれないが、残念なことに電話をかけただけで1円の10倍では済まない出費になりそうで、だったら10回我慢した方が現実的である。

 それよりも記事のネタにした方がもっと現実的である。そこでわざわざ店長を呼んでくれと言って直接説明を聞いた。まず、これは内税と外税が云々という説明を始めた。税別に計算すると、この本は524円だから4冊買えば524×4で2096円。これに1.05を掛けると、2200.8円。問題はこの0.8円の処理で、この書店は0.8円を切り上げるというのだ。なるほど。

 気になったのは、その明細である。レシートには単に2201円としか書いてないのである。つまり、本体価格がいくらで、税がいくら、というのが分らない。そういう機械だから仕方無いというのだが、だったら計算して紙に書いてくれと言えばよかったかもしれない。領収書をもらうという手もあったわけだ。実際、同じ本を紀伊國屋書店で買った時には2200円だったが、こちらのレシートは本体いくら、税がいくらで合計いくら、ときっちり書いてあるのだ。

 さて、ところで、2201円の書店だが、同じ本を1冊だけ買うとどうなるか。524円×1.05は550.2円である。切り上げて551円なのか? 実は551円になりますと言われた。そんなバカなと思われるかもしれないが、この書店ではそうだというのだ。消費税法ではこのような場合に切り上げてもいい、ということになっているのだろうか? 法律はいまいち詳しくないのでよく分らないが、こうやって端数を処理して大金を手に入れるという話はどこかであった。銀行のコンピュータを操作するのである。都市伝説なのかもしれないが、いかにもありそうな話だ。それにしても、単品で買った時に表示価格より多く取るというのはかなり無理があると思う。だから、1冊で買えば550円になるように設定してあるというのは間違いなさそうだが…。ところで、税込1,000円だとどうなるのだろう。とか話は尽きないが。

 しかし、実際に計算してもらうと、この場合はなぜか550円になるのである。店長の話とレジの主張が食い違う。レジが四捨五入するように設定されているのだろうか。だとすれば話は簡単である。1.05を掛けて端数がどうなるか分ればよい。とりあえず、この場合は1冊ずつ本を買えば4冊買っても2200円で済んだわけである。もしかすると、2冊ずつ買った場合もやはり2200円で済んだ公算が高い。

 だいたい、消費税額が1円増えても店には何の得もないはずである。もちろん、1円を納税しなければ1円得だが、それって脱税という行為だ。


 折角だから「天」にも触れておこう。この人、絵はうまいとは思えない。主人公の顔がどんどん変わって行くというのも何とも。しかし、内容が凄い。同じ作者で「アカギ」という作品も出ている。別冊宝島ではかなり賞賛されていた。内容は麻雀漫画である。だから、麻雀を知らないと面白くないと思う。思うのだが、別冊宝島では、麻雀を知らなくても面白いというのである。そう言われてみるとそうなのかもしれない。麻雀というのは、手役を作るゲームである。ルールも複雑だ。「天」や「アカギ」という作品は、そのルールを少し越えた所を描いている。打ち手の心理描写だ。もう一回負けると殺されるという所で開き直ったり、安全圏に逃げたと思ってふっと油断した所を突かれたり、そのような設定が実にうまいのである。麻雀漫画には「哭きの竜」という伝説になっている作品があって、これは麻雀に関しては理屈というより神懸かり的なツキの主人公が全てという感じなのだが、「天」の方は理屈が明確になっていて、ルールが分ればどうしてそう予想したかというプロセスがはっきり分るのである。これが面白いのだ。

 ユーザーというのもそうである。大抵の人は限られた思考パターンの中で生きているのだ。何か刺激があった時の反応はパターン化されている。だから、エンドユーザーを想定したアプリケーションを作る時に、このような画面設計にすればこう操作するだろう、といった予想が可能である。これがユーザーインターフェースの理論の骨格になっているわけだ。例えば、パニックになった時にどうするか。電源を切ろうとするか、モジュラプラグを外すか。ウィンドウを強制終了しようとするか。このあたり、ありそうな反応である。状態を検査するプログラムをすぐに動かす、というような発想をする人はなかなかいないのである。だから、パニックに対処するようなプログラムは、パニック時に起動してくださいというものではなくて、ランチャーが常駐していて何かあった時に自動的に起動した方がいい。


 麻雀の話ばかりでナニかもしれないが、折角だから続ける。最近「東風荘」に顔を出している。「東風荘」というのはインターネットにサーバが設置されたフリーの対局麻雀サーバ、もしくはそのソフトとか一連の環境のことだ。ソフトは無料でダウンロードできる。

 これが面白い。やはり麻雀というのは相手が人間だと面白いということだ。つまり、相手がどういう思考をするかを読むという所だ。相手はこの場面では無理をしないだろう、ということは勝負からオリて来るだろう、ということはこのあたりの牌が出てきそうだ、という所を見切るのである。pcやプレイステーションの麻雀ソフトもあるが、それなりに相手の個性があるといっても限界がある。特に、こちらの打つ手を考えて打ち方を変える、というような細かい処理ができるものはないと思われる。


 NIFTY SERVEのFPROGORGに書いた話題。既に発言は消滅しているが、コンピュータと暗号の話題である。3人の探偵が暗号を前にして別々の解き方を試みるというシナリオだが、暗号化にセンテンスコンバージョンという手法が使われている。聞いたことのない手法かもしれない。私が勝手に創作したので当然である。しかし発想は平凡なので、実は既に実用になっているのかもしれない。アイデアの単純さは今までの暗号化のアルゴリズムに比べると群を抜いて平易である。平文を平文に変換する。ただこれだけの話だ。

 例えば「明日は雨が降る」という文を暗号化すると「イントラネットは問題を抱えている」になるのである。解読のキーを間違えると「給料日は酒場が混雑する」という文章になってしまう。どこがミソかというと、正しく解読されたかどうかをコンピュータが判定できるかという所だ。ランダムな文字列と意味のある文の違いは、コンピュータが機械的に判断することも可能である。しかし、「イントラネットは問題を抱えている」と、「給料日は酒場が混雑する」の、どちらが正解か、コンピュータに判断できるか? 最近の暗号化アルゴリズムは、機械的な変換を行う方向に走っている。ただし、キーなしで解読しようとすると計算時間が非現実的になり、キーがあれば一瞬で復元できる、という仕組みだ。

 センテンスコンバージョンを使う場合、計算時間はどうでもいい。割と単純な置換でも構わない。復元するのが困難というのではなく、復元は簡単だが贋物がたくさん出てきてどれが本当の文なのか分らないという状況、これではお手上げのはずだ。もっとも、これは単なるアイデアで、そのようなプログラムを完成したという話ではなく、あくまでフィクションの中の話だから、その点は誤解なきようお願いしたい。ちなみに、FPROGORGに書いた時には、ホームズ、ポワロ、メイソンの三人がこの暗号を解こうとする設定になっていた。ホームズは理詰めで解釈を試みる。ポワロは暗号を書いた人の性格から推理する。メイソンは書いた本人を捕まえて締め上げようとする。あなたはどのタイプか?

 出てくる文章が皆、意味があるとしたら、どれが正しいかを検証するのが不可能、となると、最後に勝てるのは理詰めではなく相手を読むという方法、つまりここではポワロが有利ではないかと思う。相手が人間だけに、人間の行動パターンを知っている人には先を読むことも可能なのである。東風荘が混むわけだ。

(フィンローダ ニフティサーブ FPROG SYSOP)


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