客員主席研究員岩田次夫の研究室

 三崎尚人の師匠とも言うべき、岩田次夫さんの文章を掲載するページです。今後の予定として、新作だけではなく、過去に岩田さんが書いた文章の内、重要なものをいくつか載せていく予定です。なお、本ページの更新権限は、三崎尚人にあります。(2002年11月)

 岩田さんは、コミケット63で「悲しみのセールスマン」という本を発行しました。今回は、その中から、「同人即売会に立ち竦む」、「悲劇と喜劇が二七の十四」、「作家のモチベーション」の3本を紹介します。(2003年1月3日)

 既に御存知の方もいらっしゃるかと思いますが、岩田さんは、2003年10月20日より入院加療中です。岩田さんからのメッセージを公開すると共に、今後「入院日記」を随時掲載していきます。(2003年11月20日)

 去る3月22日、昨年秋より闘病中であった岩田さんが、肺がんに伴う重症肺炎により逝去されました。享年50歳でした。(2004年4月)


入院日記

[2003年10月] [2003年11月その1] [2003年11月その2] [2003年11月その3]

故岩田次夫さん関連の現状に関するご報告(2004.06.08)

納骨について

 5月8日に八王子霊園で納骨が行われました。ご遺族からのご要望もあり、同人誌関係の友人も数人参列させていただきました。

書庫の撤収について

 5月15日に、南浦和にありました岩田書庫の撤収を行いました。ゆうパックで約370箱もの量となりました。ご遺族のご意向により、残された同人誌の扱いについては、同人誌関係の友人に委ねられておりまして、とりあえず、現在は、コミックマーケット準備会の見本誌の倉庫に移送しました。今後の活用方法については、これからゆっくり考えていくことになります。

追悼本について

 8月のコミックマーケット66にあわせて「追悼本」を作成することになり、「偲ぶ会」当日にも参加のお誘いのチラシを配布しました。どなたでも参加可能です。詳細の要項については、こちら(nmisaki@st.rim.or.jp)にお問い合わせ下さい。折り返し個別に要項をお送りします。参加をお待ちしております(なお、勝手ながら締め切りを6月25日としておりますのでよろしくお願いします)。

「岩田次夫さん(イワえもん)を偲ぶ会」当日の様子について(2004.05.10)

・祭壇。最後に読んでいた「ぱふ」の4月号、入院日記をメモしていたノート、愛用していた帽子が供えられた。[写真1]
・祭壇その2。開場後、約1時間。[写真2]
・祭壇その3。開場後、約1時間。[写真3]
・祭壇左の献本箱。[写真4]
・祭壇右の献本箱。モローよ、もうじい様は死んでるって(苦笑)。[写真5]



・ビッグサイト入口の催し物掲示板。この日、ビッグサイトのイベントは、スーパーシティとこの偲ぶ会のみ。[写真6]
・偲ぶ会受付。会費の支払いと記帳はこちら。かわりにしおりとシールが渡される。[写真7]
・写真コーナーその1。祭壇向かって左側の写真は古めの写真が中心。幼少から30代前半までが中心。[写真8]
・写真コーナーその2。祭壇向かって右側の写真は新しめの写真中心。30代後半〜入院中まで。[写真9]
・落書きコーナー。皆さんのそれぞれの「イワえもん」をみることができて、面白かったです。[写真10]



・午後4時頃の祭壇。花に埋もれて……。皆さん、たくさんの献花、ありがとうございました。[写真11]
・コミックマーケット準備会代表、米沢嘉博さんのユーモアたっぷりの挨拶。[写真12]
・最後まで、たくさんの方々が会場に残っていただき、ありがとうございました。[写真13]
・岩田さんのお姉さんとお母さんのご挨拶。この日は泣かないつもりだったのですが、思わず涙が…。[写真14]
・偲ぶ会の運営委員会代表世話人でコミティア実行委員会代表である中村公彦氏からの締めの挨拶。[写真15]



「岩田次夫さん(イワえもん)を偲ぶ会」無事終了のお礼(2004.05.03)

 昨日、無事「偲ぶ会」を開催することができました。芳名帳ベースで1100人を超えるたくさんの方々にお集まりいただきまして、誠にありがとうございました。さぞ、岩田さんも喜んでおられるころでしょう。湿っぽくなく、なるたけ明るく故人を送ろう、という運営委員会の考えもありまして、シンプルかつほのぼのと会を運営させていただきましたが、いかがだったでしょうか。運営については、準備期間も短かったこともあり、いたらないところも多々あったとは思います。不愉快な点やご不満な点がおありの方もいらっしゃるかもしれませんが、なにとぞご容赦いただきたく存じます。
 また、色々とご協力いただいた、コミティア実行委員会、コミックマーケット準備会の皆さんの他、様々な関係者の方々のご協力にも深く感謝いたします。
 個人的には、田園調布のパーティハウスを貸し切って開いた40歳記念パーティの写真を発掘できなかったのが一番残念でした。ローラアシュレイの天蓋付きベッドに、岩田さんが抽選に当たった(!?)男性と上半身裸でベッドインした写真は、どこにいってしまったのかしら(苦笑)……。
 なお、「偲ぶ会」の様子については、近日中に写真をアップしたいと思いますので、少々お待ち下さい。

「岩田次夫さん(イワえもん)を偲ぶ会」詳細のお知らせ(2004.04.17)

 5月2日に、「岩田次夫さん(イワえもん)を偲ぶ会」が行われます。どなたでも参加可能ですので、岩田さんを見送りたい方はいらしてください。以下に、開催の要項を記します。

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「岩田次夫さん(イワえもん)を偲ぶ会」詳細のお知らせ

 去る3月22日、昨年秋より闘病中であった岩田次夫さんが、肺がんに伴う重症肺炎により逝去されました。享年50歳でした。葬儀は近親者・関係者により密葬に近い形で行われましたが、あらためてご遺族の了承を得て、「岩田さんを偲ぶ会」を行うことになりました。お写真・お位牌の拝礼と自由な懇談スペースだけのシンプルな会ではありますが、多くの人に愛されたイワえもんを偲び、みんなで見送ることのできる機会になればと思います。よろしくご参加ください。

「岩田次夫さん(イワえもん)を偲ぶ会」

●日時:2004年5月2日(日) 12時30分〜17時(時間内の入場・退室は自由)
●場所:東京ビッグサイト 会議棟6階 605〜608会議室
※JR大崎駅または地下鉄新木場駅から、りんかい線「国際展示場」下車8分/JR新橋駅から、ゆりかもめ「国際展示場正門」下車2分。
※東京ビッグサイト・エントランスホール内、「総合案内所」横のエスカレーターをご利用ください。

<主な内容>
・お写真、お位牌の拝礼、献花(会場で用意しております)と、自由な懇談スペースのご提供です。
・最後にご家族の方や関係者より簡単なご挨拶がある他は、特にスピーチなどの予定はありません。

<会費:1人500円>
・受付で入場証(ステッカー)と偲ぶ会のしおりをお渡しします。
・懇談は立ち席ですが、お飲み物を用意しております。

<運営委員会からのお願い>
・本会は葬儀ではありませんので、お香典はお持ちにならないで下さい。恐れ入りますが、会費以外の金銭のお預かりは、全て固くご辞退申し上げます。
・祭壇横にスペースがありますので、ご自分でご用意されたお花や同人誌を献花・献本していただくことも可能です。
・喪服等はまったく必要ありません。運営スタッフも普段着でおります。どうぞ普段着でおいでください。
・会場へのお電話などでの直接のお問合せはご遠慮ください。

<写真提供のお願い>
 在りし日の姿を写真で振り返るスペースを企画しておりますが、写真の数が充分ではありません。大変恐縮ですが、岩田さんが写っている写真をお持ちの方がいらっしゃいましたら、ご提供いただけけないでしょうか? 貴重なお写真と思いますので、返却等に粗相があっては、申し訳ございませんので、返却不要という方のみ現物でご提供いただけると幸いです。それ以外の方は、電子データ化、またはカラーコピーでお願いいたします。

1)写真をスキャナで取り込んでのデータ(JPEG形式)→可能であれば、A4サイズ程度まで拡大したいと考えておりますので、なるべく高解像度でお願いします。
2)写真のカラーコピー→可能なかぎり大きいサイズでいただけると幸いです。
3)写真現物→可能なかぎり大きいサイズでいただけると幸いです。

○メールでの電子データの送付先:iwaemon@lostlands.com
○その他の送付先:〒113-0034 東京都文京区湯島2-31-31-402 佐藤方 岩田さん写真係
○勝手ながら、締め切りを4/28(必着)とさせていただきます。
○写真の量がたくさんある方は、事前にご連絡下さい。別途ご調整させていただきます。

「岩田次夫さん(イワえもん)を偲ぶ会」運営委員会
代表世話役 中村公彦(COMITIA代表)

残念なお知らせ(2004.03.24)

 まずはじめに、この文章は岩田家の御遺族のご了承のもとに発表させていただいております。

 今回は、大変悲しいお報せをしなければなりません。かねてから入院され闘病生活をおくられていた岩田次夫さんが3月22日18時22分にご逝去されました。享年50歳でした。2月末の近況報告の後もどうにか持ち直し小康状態を保っておりましたが、2ヶ月に近い肺炎のために体力が極限まで落ちていたことと、肺炎のために治療を中断されていたがんの病勢が増したため、3月22日に重症肺炎による感染症性ショックにてその命を終えられました。

 お通夜とお葬式に関しては、今週の木曜日と金曜日に予定されておりますが、御親族のご意向により密葬に近い形で執り行わさせていただきますので、何卒ご理解の程よろしくお願い申し上げます。

 なお、岩田さんへメッセージがある場合、こちら(nmisaki@st.rim.or.jp)にお送り下されば、ご家族に責任を持って、お渡しいたします。場合によっては追悼本を後日出す場合がありますので、その場合、ここへのメッセージを追悼本へ再録してもよいかどうかについても、一言お書き添え下さい。

 また、お見送りの代わりといたしまして、御遺族のご了承を得て、まんが関係・同人関係で、後日別途「岩田さんを偲ぶ会」を執り行おうと考えておりますので、そちらの方に参加していただければと考えております。日程に関しましては、詳細が決まり次第このページ上にて公にさせていただきたいと考えておりますので、何卒よろしくお願いいたします。

岩田さんの近況について(2004.02.28)

はじめに

 本Webでは、11月30日まで、また岩田さんがコミケット65にて発行した「入院日記」では12月15日までの日記が公開された以降、岩田さんの近況について状況が更新されず、ご心配されていた方も数多くいらっしゃるかと思います。ついては、この2ヶ月間の状況について、簡略ではありますが以下にお知らせさせていただきます。この1ヶ月半というもの、岩田さんの病状が思わしくなく、不透明な状況のままではなかなかWebでの情報の公開ができませんでした。ご心配されていた方々が多数いらしたことは重々承知しておりましたが、上記のような事情でありましたことをご理解下さい。
 今回の近況の公開は、岩田さんの基本的なご了解を得ております。もともと岩田さんは今回の病気について、包み隠さず情報を公開する方針でいらっしゃいましたので、そうした意志にも反していないだろうと考える次第です。

経過

【12月中旬〜1月中旬】
 岩田さんは、12月中旬に一度風邪をひかれました。その後容態も安定し、正月はご自宅で過ごすために一時帰宅することになり、12月30日に帰宅されたのですが、12月31日の昼に呼吸苦と微熱が出たため、急遽、病院に戻られました。一時、容態は安定していたのですが、再び呼吸苦や微熱が出現、肺炎が認められ、本人のさらなる感染予防と治療に専念するため1月13日にICU(集中治療室)へ移られました。

【1月中旬〜2月上旬】
 ICUに移られた後も経過が芳しくなく、1月26日に一時危篤状態におちいりました。その後、危篤状態からは脱したのですが、危険な状態に変わりなく、1月27日から30日にかけて状況を確認するべく、ご家族の方同伴の上で、数人の関係者がICUにお見舞いにうかがいました。この時点では、人工呼吸器の補助なしでは十分な呼吸ができず、体力を温存するために薬を用いて沈静傾眠状態に置かれて、意識はありませんでした。

【2月中旬〜2月下旬】
 2月中旬より呼吸状態が徐々に改善してきたため、このままずっと寝たきりでは逆に体力が低下してしまうため、薬を継続するのを止め2月14日に意識が回復しました。人工呼吸器はまだ外すことができないため、会話は無理ですが、ご家族のからの問いかけに頷いたり応じたりできるようになりました。2月22日にご家族の方同伴の上で、再び関係者がICUにお見舞いにうかがいました。

現状

 ・ICUにて継続治療中です。
 ・呼吸状態が落ち着いてきているので、体力の維持とリハビリのために意識は回復しています。
 ・しかし、人工呼吸器の補助なしでは十分に呼吸することができない状況です。
 ・肺炎は完全に治まったわけではなく小康状態です。発熱も継続しています。

 したがって、状況は改善はしてはいますが、まだまだ楽観できるような状況ではないことに変わりはありません。

お願い

 以上が岩田さんの現在の状況です。現在もICUにて治療中で寝たきりだったため体力も筋力も極限まで落ち込んでいるため、当然ながらメールの読み書きはできません。また、面会にはご家族の方の同伴が必要であり、岩田さんも体力もかなり消費することになりますので、控えていただけると幸いです。現在は岩田さんにはご自身の体力回復に全力を注いでいただくのが第一と考えます。
 以上の事柄を念頭におき、ご理解の程何卒よろしくお願いいたします。なお、状況の進展がありましたら、このページにてお知らせいたします。

入院日記その4公開(2003.12.07)

 11月23日〜30日までの「入院日記」を公開します。

入院日記その3公開(2003.11.25)

 11月13日〜22日までの「入院日記」を公開します。

特別公開!これがイワエモンの病室だ!(2003.11.23)(三崎記)

 今日、お見舞いに行ってきました。先週から化学療法が始まり副作用が心配されたのですが、極めて幸いなことに副作用もまったくなく、病人とは思えないほど元気です。短い距離なら歩けるようになってます。詳しくは近日公開予定の「入院日記その3」を参照下さい。
 で、今日の夕方の病室の写真が下記の通り。すっかり「おたくな部屋」と化しております(笑)。しかも、年齢層が幅広く風体もバラバラな作家関係者(特に女性)が、日毎お見舞いに訪れているので、看護士さんにはさぞかし謎の人物と思われていることでありましょう(大苦笑)。

「入院日記」開始に当たって(岩田次夫)(2003.11)

 入院生活もほぼ一ヶ月になり、治療も開始して全体としてリラックスしているところです。二十年振りの休養なので何か手持ち無沙汰です。さて、さすがに一ヶ月も入院しているので病気の内容と今後の見通し及び、入院日記を書いてみました、暇な時にでもお読みください。

1.発端

 まず、病気の発端ですが、以下の3つの症状でした。

1.背中の痛み
 これは5月頃から発症しましたが、薬である程度抑えられていました、レントゲンを撮ったところ脊椎の強い側湾を抱えていたので、それが原因と思われていました。他の異常はこの時点ではありません。これは昨年の健康診断でも同様でした。

2.疲れやすさ
 今年の8月頃から疲れやすく、集中力を欠いた状態が時折発生しました

3.両足の感覚異常から麻痺の発生
 これが入院した最大の要因です、10/10夜に歩こうとしたところ、左足に違和感があり何故か左足にの膝の関節がガクッと力が入らなくなるような状態が発生しました。左足に触ると紙一枚を隔てたような感覚でしたが歩くだけだと引き摺るようにはなりますが歩行可能でしたになりました。10/11は自宅で安静にしていましたが、症状は変わらず、10/12に至っていたっては相当に力を込めて慎重に歩かないと危険な状態でした。10/13にはついに伝え歩きしかできなくなりました。同じような症状が右足にも発生し、10/14は仕事に行ったもののタクシーでの移動になり、尋常でない状態と私は判断しました。この期間は運悪く連休や休診日で10/15までは罹れない状態でした。

2.入院

 10/15にその前週に撮ったレントゲンが出て、脊椎に異常があり、他にも疑わしい部位があるとの診断で、専門医への伝達や入院検査の手配を行い、それまで自宅で安静状態になりました。4日ほどでは状況は変わらず、手配ができた10/20に自宅近くの総合病院の整形外科に紹介状を持って検査入院となりました。

3.検査結果

 入院状態でレントゲン,CT,MRI,各種化学検査等を行い、10/22にほぼ状況の把握ができました。担当の先生は私に対して直接説明及び告知を行っていただきました。

1.胸部両肺に多発性肺腫瘍(俗に言う肺ガンです)
2.胸椎(脊椎上部です)に転移性胸椎腫瘍(俗に言う脊髄腫瘍です)

 おそらく最初に1.が発生し、それが2.に転移し、胸椎内で増殖し脊髄内の神経を圧迫して麻痺が発生したと思われるとのことでした。10/22に関係者に連絡し、家族には10/23に整形外科及び呼吸器科の担当の先生から正式に告知を受けました。以後順次関係者に連絡行ってきました。その後、検査も継続して、生理学検査や、肺の組織検査、骨シンチレーション、その他多くの検査を行い確定しています。

4.状況判断と治療方向

 この状況はシビアであり、甘く見れるような状況では全くありません。ガンとしては進行性で肺の腫瘍もいくつも発見されています(この症状は出ていませんが)。胸椎への転移もあり、厳しい状況です。この病気の実態を調べれば、治療も相当に厳しいことは言うまでもありません。ただ、1年以内にどうのこうの、というような状況でも無いようですし(予測は不可能ですが)、幸いにして胸椎以外への臓器に転移はとりあえず見られないので、治療は明確になるかと思います。原発である肺腫瘍を治療の対象にし、ある程度、肺腫瘍の治療が進んだ段階で胸椎腫瘍の治療も行っていく予定です。転移性なので、当面は化学療法と放射線治療を中心に行う予定になっています(もちろん状況によっては外科手術もありえます)。年内は入院して、治療に専念したいと思います。もちろん冬コミに行くのは不可能ですね(笑)。
 勤務先は当然ながらこの状況では勤務不可能ですから、休職になります。

5.方針

 治療を最優先に組み立てます。と言っても悲壮な決意というようなことは全くありません。リラックスして余裕を持って治療に力を注いでいきたいと思います。私は過去、難しい課題に笑いながら挑戦していくのが大好きなので、この病気もそうして対応しようと思っています。まぁ今までのチャレンジに比べると、リスクも大変高いし、規模も大きく、何しろ私の命がかかっています(笑)。ただ、今まで面会にお見えになった方で病気の内容を知っている方は、たとえ青い顔をして来ても、みなさん例外無く私が元気で笑顔で対応されているのに安心されるようです。決して無理などしていなく、本当にリラックスしているのです。夜もちゃんと寝られますし、食事も毎日おいしく食べています。毎日規則正しく日記を付け入院生活を工夫したりしています。実際に退屈なのが最大の敵でしょうか(笑)。実は知人に本や同人誌を買ってきて貰っている日々です、冬コミのお買い物も知人にお願いする予定(笑)。

6.お願い

 私がみなさんにお願いしたいことは二つあります。

 一つはあまり深刻に考えて、みなさんのライフスタイルを崩さないでほしいと言うことです、多分崩すような方がそんなに居るとは思いませんが、少し心配です。私には治療と身体を良くしていく生活があり、みなさんには夫々の生活があります。私に心配掛けてどうするんでしょうか、当事者は私です(笑)。

 もう一つは、あまり動揺しないで欲しいと言うことです。私がこんなに元気(本当に元気なら入院していませんが…笑)で、リラックスして前向きになっているのに、動揺されたりすると、ちょっと困ります、私はフォローできませんから(笑)。

 万一お見舞いとか思われる方も、無理せず暇な時にでもちょっと顔を見る程度で本当に嬉しく思います(それより、冬コミに新刊を出して貰ったほうがもっと嬉しいかも…笑)。病院名・病室や面会時間は、検査や治療などがある時期とかあるので、事前にお見えになりたい希望日を何日かご連絡頂ければ、こちらからご連絡させて頂きます。偉そうで、本当に失礼ではありますが、なにとぞご容赦ください。有難いことではありますが、さすがに十人以上も一度に面会に来て頂く日が連続しては、この素晴らしくリラックスできる良い病院を私は追い出されてしまいます(笑)。

7.公開すること

 別に隠すようなことではありませんし、今までイベントに年に100回以上行っていた私が行かなくなれば色々と憶測も出かねませんし、私自身の状況も判りやすくなると思って、公開することにしました。

 この内容でしたら、どなたに教えても構いません、TOPからでしたらリンクも別に構いません。また、入院日記も冬コミには「サークル岩田次夫」で毎回順次頒布する予定です。もちろん、体調や治療状況では変化が出る可能性もありますが(笑)。もしかすると未完で終わるかもしれないし(笑)、ハッピーなら「退院日記&療養日記」になるかも知れません。

8.その他

 今はメールは見れますが、返事は少し遅くなります。また自宅の電話&FAX、あるいは携帯電話は入院中はほとんど意味ないと思ってください。郵便物は週に数回自宅から家族が持ってきてくれますが返事は遅れます。


同人誌についてのあれこれ

同人即売会に立ち竦む(2002.12)

 「悲しみのセールスマン」(サークル岩田次夫・2002年12月 コミケット63発行)からの再録。元版「悲しみのセールスマン」(サークル岩田次夫・2002年11月 Heartful Communication発行)から一部改稿。

悲劇と喜劇が二七の十四(2002.12)

 「悲しみのセールスマン」(サークル岩田次夫・2002年12月 コミケット63発行)からの再録。上記「同人即売会に立ち竦む」の続編的内容。

作家のモチベーション(2002.11)

 「悲しみのセールスマン」(サークル岩田次夫・2002年12月 コミケット63発行)からの再録。

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